コンフォートゾーンの崩壊

快適域

個人は、、、コンフォートゾーン、快適域の中で生きます、、、、会社員をやっている、、年収はだいたいこのぐらい、、、快適と思える生活を無意識にしています、、、、私というイメージは、、、、、、慣れ親しんだ空間、生活、友人関係を維持しようとします、、、、脳は、、、生き抜くために、、、快適域を設け、、、、その中で良くも悪くも生きるのです。

個人が居ない

個人が居ないとなりますと、、、、このコンフォートゾーンが崩れます、、、、、快適域に収まる個人が居ないのですから、、、快適域自体が消えてなくなるのです、、、、私というイメージに見合った、、空間、友人、財産、、、全てが消えてなくなります。。。。この時に気づくのです、、、、この快適域は、、、、実は個人という妄想を縛り付けていたのだと、、、この快適域こそが個人を絶対的なものに仕立て上げていました、、、、

あなたってこういう人だよね

〇〇さんってこういう人だよね、、、〇〇さんらしいね、、、これらは全部周囲が認識する、、、、「私」のイメージです、、、、、このイメージが、、、この私というイメージを強化します、、、、、やっぱり「私」ってこういう人なんだ、、、、と。。。。ですが全ては妄想、イメージ、概念です、、、、本当は、、、「私」は居ないんです、、、、、ですから「私」に見合った、ちょうど良い、環境は存在しません、、、、あえていうならば「私」とは見渡す限りの現象全てです、、、生命現象、幻想そのものです、、、、

(Visited 4 times, 1 visits today)