言葉はイメージ

言葉を覚えることでイメージを共有する

なぜ街をあるけば、、マックがあり、スタバがあり、、吉牛があり、ABCストアがあり、、交差点があり、、信号があり、、車が走り、、、という現象が続くのでしょうか???それは我々がその言葉を覚えたからです。。2、3歳児が生きる世界にはこれらは存在しません、、認識できないのです、、言葉で覚えていないから。。原始人も同じ、、この世界を歩いてもこれらの現象は現れません、、言葉で覚えていないから認識できないのです。視界に入った車を認識するには車という言葉を暗記する必要があるのです、、脳はこれをイメージとして認識に、、このイメージを現象に当てはめることでこれを見ることができます。

言葉を覚えない限り

言葉を全く覚えない、、すると、、2歳児のまま、、この状態で街を歩いても何も認識できない、、車も、横断歩道も、信号も、歩行者も、、、家を出る時に、、パンツも履けない、、靴も履けない、、服も着れない、、となります、、、なぜならばそれらを認識できないからです。。言葉を覚えそれをイメージ化しそのイメージがあるからそれを探し出せるのです。つまり我々は覚えた言葉のイメージを、、この現象界に重ね合わせてそれを「見る」ことができているのです。

だから夢

覚者が言う、、我々は夢を観ている、、というのは本当で、、、この「体」すらもイメージ、、この体の中に「私」がいるもイメージ、、見える世界のイメージを見続けています。この私が居て、私のストーリーがある、、、完全なイメージ、、幻想、、夢です。だからこの世界で私が幸福になる、、というのも完璧なイメージであり、、無理ゲーです、、、、なぜならば幸せになる「私」が実在しないからです。

(Visited 4 times, 1 visits today)