OSの自動反応

会話は相違のOSが反応しているだけ

会話とは双方のOSが自動反応を起こし、、ただ反応が起きているだけです、、、、データベースにある全記憶が元になってOSが自動反応を起こすのです、、、ですから会話とはただお互いのOSを強化することにしかなりません。そして見える世界は全記憶がベースになった観念が元になっておりそれがアウトプットという形で画面に移ります。観念はその場でディスプレイに映し出されるのです。

この世界は観念が映し出すディスプレイ

この世界は全記憶によって形成された観念が作り出したディスプレイ映像です、、これが今我々の目の前に映し出されています。。。この体も当然その真ん中に映っているはずです。ですがこの体だけが映像なのではなくこの体以外も、、観念が映し出すディスプレイ上に映像化されます。。この現実が幻想と言われる所以はここにあります。画面上に写った友人が、、言葉を投げかけますと、、、OSが作動し自動反応を起こします。

私も相手も実在しない

このプログラムで分かる通り、、、自我という存在はOSであり、、実在はしません、、、反応を起こすプログラムに過ぎません。自分という存在ありきの思考という反応も自分という存在ありきの感情も、、自動反応で起き続けますから、、そこにフォーカスしても意味があるわけではない、、、勿論その反応にフォーカスし、、とことん付き合うこともできます。

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