超能力はあるかもしれないがそれも夢物語の一つ

超能力

サイババが流行った時、サイババの手のひらから砂のような物が出てきてそこれを参拝者は聖灰と称して一生の宝にしました。故に覚醒や悟りはどこか超能力を称えそのような能力すらも湧くのだというイメージを与えました。ですが実際はそのような超能力と悟りは一切関係がなくむしろこのようなイメージは悟りを遠いものにします。悟りとはこの世が夢だと腹落ちさせることであり夢の中で自身が聖人君子になる話とは全く異なるのです。

ただしサイババはそれで価値が下がるわけではない

この夢物語ではこれが夢であることを再発見させるためのヒントがたくさんあります。例えばこのサイババもその一つ、超常現象を引き起こすような存在を信じることで再発見に至ることもあるわけです。キリストが水をワインに変えたなどの逸話が残っているのはやはり悟りにそのような期待を持つ方が多いからでその期待から悟りに入ることは間違っていません。全部が全存在の現象化ですからそこに善悪があるわけがないのです。

サイババも全存在の現れ

サイババも全存在の現れです。サイババに何か役割があるとかそういうことではありません、厳密にいうとサイババという人は幻です、全て夢ですからサイババという分離した個人がいるわけではないのです。ですが人間の視覚ではハッキリとそう見えます。視覚ではハッキリとサイババは人に見えますし、話をすればか反応もします。触ればそこに人がいるようにも感じます。ですがそれでもこれは夢ですから全て幻です。

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