声を大にして伝えるわけ

難しいものという概念こそが自我の罠

悟りなんて、、、どこか遠くのインド人が達成するもの、、、これが多くの日本人が抱く悟りのイメージです。ですが実際には悟りは決して遠い国のファンタジーではありません、むしろ超現実、現実そのものです。あまりにも身近なために自我は遠くに悟りを押し込め、、、気づかせないのです。

こんなに近くに答えがあるからこそ、、、

我々が追い求めていた悟りは、、、まさか生まれてきてこれまで常に自身と一緒に居ました、、、???遠くに押し込めようがないのです、、、完全に毎瞬毎瞬、、、もっとも近くに居た存在です、、、、光の気づき、温度の気づき、食感の気づき、感情への気づき、、、、全部に対する気づきこそが、、、悟りです。。。。そうです、、人類全員が持っているこの意識こそが悟りです。。。。全員というのが重要、、これは、、、決して体調不良、病気でも失われない感覚なのです。。。自身が体調が悪いと感じる、、この感じている感覚、、、これが悟りです。

意識だけが先ずある

朝起きて、、、意識がない、、、、ということはありません、、、体調が悪い、、、だから意識が無い、、、それはない、、、そうです、、、意識は常に在るのです、、、絶対的に、、、この絶対的な存在、、これが悟り、気づきの意識、全体です、、、、この意識を誰が所有するのか????これまでは自分が所有していると信じてきました、、、違います、、この意識が全部を所有しているのです、、、意識がこの自分も所有しています、、意識が、、、ただ意識そのものであるという気づき、、、意識の中で、、全てが起こっているという気づき、、これらが悟りです。

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