言語を覚える前から気づきは確実にあった

自分など存在する前から気づきがあった

言葉を覚え、この体を自分と記憶するまえから、、、ずっと気づきの意識はありました、光を感じ、空腹を感じ、気温を感じる感覚は確実にありました、、、これが気づきの意識です。。。我々は恐らくこの気づきの意識の中にずっといます、、、この気づきの意識が無くなることは絶対にない、、、熟睡中もこの気づきの意識の中に居る、、、ただその記憶がないだけ、、、起きている最中は必ずあり、熟睡中もある、、、記憶があるかないかの違いだけです。

常に気づいている

この私が怒っている、、、これに気づいているのは気づきの意識です、、この私が幸福を感じている、、こレに気づくのは気づきの意識です。気づきの意識その外に我々は出たことがありません、常に気づきの意識の中で存在しています。だから全部気づけるのです。思考を覚えるはるか前から気づきの意識は確実にあり、、ただそれを記憶していないだけです、、

孤独感はこの気づきの意識の存在を忘れているだけ

孤独感とはこの気づきの意識の存在を忘れ自我に没頭している時に起きます、、あれたった一人しかここに居ない、、こうなります。違います、、、気づきの意識の中に全てが在ります、起き上がっています、、全ての経験は気づきの意識を通じて起きており、これは人といようが居まいとと同じことです。気づきの意識の感覚をもっていれば孤独感が湧いてきにくくなります。なぜならばそこは絶対的安心の場所だからです。

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