何者かになりたい

イメージがイメージに憧れる

小さい子供に自我が芽生えてくると、、、仮面ライダーになりたい、、という衝動が起こってきます、、これは自分はこの小さい非力な存在であるというイメージが子供の中に作られたからです、、、そこでもっと強い存在、もっと逞しい存在に憧れるという衝動が起きるのです。自分というイメージに意識が集中することで、、仮面ライダーというイメージに興味がでます。

敏腕社長になりたい

子供はやがて成長し社会人になると、、、今度は敏腕社長になりたい、、、カッコ良い仕事ができる先輩のようになりたいという衝動が湧きます、、、これも同じ、、、私という「自己意識」が出来上がることで、、不足感が同時に湧くようになり、、その不足感を埋めるために、、目標というイメージが必要になったのです。ですが実際に敏腕社長になれたところで、、、何も不足感は満たされない、、、一瞬の安堵以外は、、、

何者になっても無駄

結論から言えば個人意識は何者になっても無駄なのです、、なぜならば何者になったという個人というイメージは全く解消されないからです。この個人が居るというイメージこそが苦しみ、不足感、孤独感、分離感を生み出すのですから、、、、このイメージがただのイメージであることを見抜く以外に解決はないのです、、「わ・た・し」というのは言葉です、、この言葉がイメージを作り上げ、、さもこの経験の全てを所有する私が居るという壮大なストーリーが作られました。。自己意識、、、自分が居るという意識です、、、意識ですからこれは実在ではない、、、このとんでもなく簡単なトリックに人間は騙され続けているのです。

脳が進化し「私」を作り上げた

人間の脳は進化し、、この「私」というイメージを作りました、、この私はこの分離した世界を生きるというストーリーを作ったのです、、、脳はこの体を安全に維持するために、、このような仕掛けを作ったのです、、、事実人間は人口を増やし続けている、、、これは脳の大きな偉業です、、、ですが同時に人間はイメージの世界に閉じ込められて、、苦しみも味わうようになりました。。。これが人間の宿命です。

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