反省も、、、執着

いつも反省ばかりしている、、、

いつも反省ばかりしていて、、、人生が苦しい、、、なかなか自分の思い通りに行動できなくて、、、それで反省ばかりしている、、、、ここには大きな勘違いがあります、、、「自分で決めて動くことなど全体にできない」ということです、、我々は全部全体からの起こりをこの体を通じて表現しているだけです、見かけ上。反省するということはハッキリと「自由意思」があると信じ切っています、ですがありません「自由意思」は、、そしてこの体の中に居るはずの「自分」も居ません、本当は。ですから「自分の言動を反省する」というのは不可能なのです。

自我は反省すらも自我存続の道具にする

反省は自我の延命戦略です、、、反省のするのは誰か『自分』です。。自分を強烈に意識する行為「反省」です、、、大いなる意識が「自分」を意識するのです、、反省によって、、、すると自分は延命されます、、、、毎日毎日反省して、、大いなる意識に「自分」を意識させるのです。これが反省できなくなるとどうでしょう、、大いなる意識は「自分」を意識できません、、、自分が途端に居なくなってしまいます。

こんなことしちゃって、、あんなことしちゃって、、、

相談では無い、、、友人に「私こんなことしちゃって、、、あんなことしちゃって、、、困っている」これぞ相談風自我存続メソッドです、、、こんなことをしたのは誰、、あんなことをしたのは誰、、、、「自分」です、、、他人を使って自分を強烈に意識できます、、大いなる意識が、、、この自分を意識します、、、、はい、自分延命完了です、、、、いや「あなたは居ないよ」こんな回答を受けようものならば、、、怒り出して「私」は帰るでしょう。ここに色々な真実が隠れています。

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