自由意志の延長線上に悟りはない

なんとか頑張って悟りたい、、の罠

自由意志の延長線上に悟りはありません、自由意志がなかったという気づきこそが悟りです。自由意志で切り開く人生の先に悟りがあるのではありません、切り開く人生が幻想であったことに気づくことが悟りです。自分という存在とは何も関係がなくただその気づきが起こります、というよりも自分という存在が明らかに無いことの気づきが起こるのです。

見える世界は映像

見える世界は映像です、PCもカーテンも、TVもやかんも、そしてこの体も、、なぜ映像と言い切れるか、、逆に言えばなぜ見える物が実在していると言い切れるのでしょうか??恐らくそれができないはずです。では何なのか??映像であるならばそれを証明できます。なぜならばしっかりとそれが見えるからです。見えるというのは事実です。香るというのも事実です。触れるというのも事実です。この事実だけが証明できる世界こそがこの世界です。五感を使った経験だけを寄せ集めると経験が在ったという事実に集約されます。だからこの世は何もないに繋がるわけです。朝起きて寝るまで経験しかしていません、経験以外何もないのです。

今日も俺は物理空間で頑張って働いたなーは嘘

残念ながらそのような事実は全く起きていません、俺という物質は存在していませんし、会社という物質も存在していません、同僚という物質も存在していません、電車という物質も存在していません、PCという物質も存在していません、、、五感を通じて映像を見て、手の感触で何かを触り続け、足の感触で何かを感じ続け、聴覚で何かを聞き続け、味覚で何かを感じ続けただけです、、、経験だけが起き続けたのです、、、これが事実です。経験=事実=根元です。これだけが確実に在りました。この世界は経験という事実、根源だけが在る場所です。そこに自分という物体は居ません。経験(根源)だけがあります。

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