執着はなぜ苦しいのか

執着が苦しいのには理由がある

執着が苦しいのには理由があります。それは執着するには自分が必要だからです。自分の奥さんに執着するということは奥さんが人のものにならないように恐れているということです。奥さんがどこか遠くに行ってしまうのでは、奥さんが自分を捨ててどこかに行ってしまうのでは、、と自分の所有物という感覚があるのです。ですから執着が始まると非常に苦しい、自分という感覚と対象を同一視する行為です。

いくら奥さんに執着しても

事実だけをお伝えすればどれほどあなたが「奥さん」に執着しようと奥さんは根源そのものからの起こりであるということは変わりませんからあなたの執着とは何も関係なく動きが起こり続けます。もしかしたら他者に興味が湧くかもしれないし突然仕事に目覚め忙しくなるかもしれません、ということで執着が苦しいのは根源の起こりに対し「個人」は一切の関与ができないということになります。そんなことはない「家にずっと居ろ」と言ったら去年はしっかりと家に居てくれた、、それはそのような反応がたまたま根源から起こっただけです、根源からの起こりそのものをコントロールすることは不可能です。

ただし執着すらもあなたを通じて根源から起こっている

ですが執着すらも実は何も問題がないのはこの執着すらも根源からあなたを通じて起こっているということです。執着そのものが根源の起こりですからこれもあなたには一切に関与することができないのです。ですから奥さんへの執着が苦しいというのならばそれをとことん味わえばいいのです。あなたにはどうにもならないということです。サレンダー、降参とは上手い表現で本当に個人は根源からの起りに対し無力です。全ての起こりが根源から湧き出し、自分という感覚も根源から湧き出し、執着という感情も根源から湧き出ている、、ただそれだけです。

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