顕在意識(私)は潜在意識(神)が決めたことを私が決めたと錯覚を起こす

顕在意識はただひたすらに錯覚を起こす

顕在意識とは私のことです、この私は潜在意識(神)が決めたことを私が決めたとひたすらに錯覚を起こし続けます。本当は全部潜在意識が決めているにも関わらずただ健在意識はそれを私が決めたと錯覚を起こします。全部が全部このパターンで行われています。だからこそ無自覚であっても料理、掃除、食事、トイレなどの日常生活の行為は勝手に遂行されます。今私はタイピングしていますが自分が打っているという自覚は後付けでしかありません。

顕在意識が私が決めたと錯覚を起こすことすらも潜在意識が決めている

ということは顕在意識がこの錯覚を起こすことすらも潜在意識が決めているということになります。大変面白い事実です。結局のところ「覚者は全て自作自演であると言う」のはこの事実からです。潜在意識から昇ってきたきた衝動を顕在意識が自分が決めたと錯覚を起こし続けるメカニズムが人間(私)です。

何も決めていないならば何も反省できない

このメカニズムを知ると、、顕在意識(私)に決定権は何もなく、、、決定権が何もないにも関わらず慢心したり、反省したりするのは無茶苦茶な行為です。人間(顕在意識)に決定権が何一つないならばこの世界で行われている責任の擦り付けに何か意味はあるのでしょうか。ただしこの責任の擦りつけすらも潜在意識が決めてそれを顕在意識が錯覚を起こしているだけですのでそれすらも顕在意識には関与できません。この世は神の遊び場というのはどこまで行っても本当のようです。

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