思考、感情、体を観察し続けると、この三つと同一化できなくなる

思考が湧いたら観察し、感情が湧いたら観察する

思考、感情、この体を自分と思い込むシステムを自我と呼びます。思考、感情、体そのものであるという思い込みが自我ですから「これを観察する存在」を別に作り込むことで自我を観察する無我を強制的に作り出します。多くの人は思考が湧いてもそれに気付いてもいません、なぜならばそれが当たり前過ぎるからです。思考が湧いて何が悪い?終始このパターンです。何も悪くありません、ですがこの習慣を継続する限り苦しみのメカニズムを脱却できません。

思考、感情が湧くスペースになる

思考、感情は常に湧き続けます、この思考、感情が湧き出したらそれが湧くスペースになり切ってこの湧き出しを観察します。思考、感情が湧くというならば絶対にそのスペースがあるわけでこれに成り切るのです。これによって思考、感情が湧くことが同時に観察する無我を作りだすというとんでもない状態になります。これまで自我にのみ同一化してきた全存在が自我と同時に無我(全存在)になるという新しいメカニズムが誕生します。これによって無意識の感情フル回転、思考フル回転がなくなります。無我が意識的に観察する感情フル回転、思考フル回転にシフトします。

思考が湧けば平和(無我)が訪れ、感情が湧けば歓喜(無我)が訪れる

今までは思考が湧くと自我が肥え太り苦しくなり、感情が湧くと自我が肥え太り苦しくなっていました。ですがこれから思考が湧くとそれを観察する無我が湧き出し平和が訪れます。感情が湧き出すとそれを観察する無我が湧き出し歓喜が訪れます。思考、感情が苦しみの根源ではなくなりむしろ平和、歓喜、安堵(無我)の到来になります

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