覚者

巻き込まれる

ラメッシ

ラメッシは「巻き込まれる」という言葉を使います。エゴによって巻き込まれる、巻き込まれない、、、、物事の結果は完全にプログラムの入力と出力に過ぎず、、全自動です。全自動であることが事実です。にも関わらずこのコンピューター(肉体精神機構)はああすれば良かった、こうすれば良かったと考えます。この考えはコンピューターの構造上間違っているのです。遺伝子的反応、外部的環境への反応としてアウトプットがされるのであって、、全ては全自動なのです。

全員が異なる

遺伝的要因、外部環境的要因によってこの肉体精神機構は全く異なった反応をするのですから全員が全く異なった反応をするのです。このことが本当の意味で分かると、、、起こった事実、反応に対して「悩む」ということが起こりにくくなります。なぜならば誰も意思でもってその反応を起こしておらず、、、結果は神のみぞ知る、のですから。あとは個人が思い思いの期待をするだけであってその期待に添う時喜び、添わない時悲しむだけなのです。

分かったとて

そのことが分かったとてこの肉体精神機構から起こるアウトプットをコントロールできることは一切なく、、唯一できることはアウトプットに悩む、妬む、悲しむ、という巻き込まれが無くなることしかありません。なぜそれが無くなるのか????それはアウトプットが完全自動であるという完璧な理解が起こった時、、、結果に悩むということが実質できないからです。

エックハルト・トール

大いなる存在

エックハルトトールの教えの特徴は「偽物の思考」に気づく、、これです。止むことのない思考を自分と捉えることで、この回転思考の中にひたすらに居続ける状態、、、これが苦しみの根源と説きます。電車で独り言を言っている精神異常者と頭の中で独り言が止まらない人と何が違うのか???????何も変わらない。つまり我々はほぼ全員が精神異常者であると彼は説きます。

思考の罠

彼の教えの特徴は思考が作り出す「エゴ」このエゴシステムの特徴を徹底的に詳細に書き連ねることです。エゴはこういう時このような反応をする、、、これです。「エゴ」とは機械反応であり、、こういう状況ではこういう反応をし、、人間関係のトラブルを作り続けるというシステムです。そしてなぜエゴはそのような反応をするのか????そこに迫ります。

防衛反応

エゴとは防衛反応です。状況に対してこの体を守るよう機械反応を起こします。エゴがいかにこの体を守るために機械反応を続けそれに成功したとしてもそこから「苦しみ」が消えることはありません。なぜならばそのエゴ反応こそが苦しみを作り出す大元だからです。とはいえこのエゴ反応は機械反応ですからこれを意図的に止める方法はなく、、唯一できる方法は「このエゴ反応」に自覚的であることです。するとそこに隙間が現れその隙から平安が訪れます。

意識とエゴ

ラメッシ・バルセカール

全ては意識です、、全部が意識、、、そうなるとエゴは何ですか???????エゴとはこの世界とは分離した自己意識のことです、、、ところが全てが意識ならばエゴは全体とは分離した何かであることは構造上不可能です。そうです、、つまりエゴとは嘘です。この世界は全て意識ですから分離した何かは存在しないのです。つまりエゴ、自分とは勘違いです。

肉体精神機構

ラメッシはこの体、そして思考を含めて肉体精神機構と言います。この体はこの世界とは分離した存在であるという認識は起こりますが、、その思考は構造的に間違っています。この世界は意識が作り出した現実であり、非現実です。この世界に現れ出る肉体も、、視界が作り出した映像に過ぎず、触覚が作りだした幻に過ぎないのです。

WHO CARES?!

ラメッシ・バルセカール

意識以外は存在しない、、それが彼の教えの特徴の一つです。「意識」は100%あります、意識の存在を疑うことはできません、、、そして「その意識と対象」という分離が100%存在しないのですから意識と対象物という分離はないのです。全ての対象物は意識です。その証拠に対象物の認識は、、認識そのもののみです。五感という認識以外に対象物を認識する術はないのです。

対象物が在ると信じる方法

なぜこのコーヒーカップが在ると思えるのですか??????だって触れるし、見れるますから、、、つまり五感を使ってそれがあると思うことが出来ているのです。逆に言えば五感がなければそのコーヒーカップは存在しません、、その存在が五感が支えているのです。つまり意識がそれを支えているのです。だから意識と対象物があるのではなく「意識」しか存在しないのです。

その意識すらも

その意識すらも「絶対」から起こる現象に過ぎません。熟睡寺には「意識」は消えてなくなりますが我々の存在が消えるわけではありません。つまり意識すらも根源「絶対」から湧きでる現象に過ぎないのです。その意識は根源である「絶対」から影が現れた瞬間に起こります。「絶対」の中には自らを「絶対である」と認識する部分が含まれていて、、その認識がまさにこの「意識」です。移り変わるこの無限の影こそが絶対が絶対である証拠です。

絶対

マハラジの教え

ニサルガダッタ・マハラジの教えの特徴はなんと言っても「絶対」でしょう、、、我々は「絶対」の存在でありいまここに「私が在る」という観念が起こるのは、、その影がここに起こっているからだ、、ということです。目覚めた時「私が在る」という思考は現れ、、熟睡すれば「私が在る」という思考が消えます。この「私が在る」という思考が消える時、、残されたものそれが「絶対」です。全思考の活動が消えますがそれでもそこには何かが確実に残るのです。それが「絶対」です。

偽物を偽物と理解する

この世界が現れ出る時「私は在る」という思考も起こります。これが第一のマーヤー、ムーラマーヤーです。第一の幻想です。その中に第二の幻想が現れでます、それが「この体は私で在る」という思考です、、これが偽物なのです、、それを見抜きます。偽物を偽物と見抜くのです。これを彼は子供ー原理(child-principle)と呼びます。

世界は幻

朝目覚めた時に起こるこの世界は幻です、、その瞬間「私は在る」という思考も現れますがこれも幻影です。「絶対」以外は全て幻であり、、、その認識はこの「絶対」から起こるのです。二つの観照段階があり、、存在がこの全ての顕現を観照し、、、この存在の観照が、、、絶対から起こります。そしてこの存在と顕現には分離はなく、、さらに存在と絶対にも分離はありません。よって絶対、存在、顕現には分離がないのです。つまりそれらは全てであり一つなのです。