ラメッシ・バルセカール
意識以外は存在しない、、それが彼の教えの特徴の一つです。「意識」は100%あります、意識の存在を疑うことはできません、、、そして「その意識と対象」という分離が100%存在しないのですから意識と対象物という分離はないのです。全ての対象物は意識です。その証拠に対象物の認識は、、認識そのもののみです。五感という認識以外に対象物を認識する術はないのです。
対象物が在ると信じる方法
なぜこのコーヒーカップが在ると思えるのですか??????だって触れるし、見れるますから、、、つまり五感を使ってそれがあると思うことが出来ているのです。逆に言えば五感がなければそのコーヒーカップは存在しません、、その存在が五感が支えているのです。つまり意識がそれを支えているのです。だから意識と対象物があるのではなく「意識」しか存在しないのです。
その意識すらも
その意識すらも「絶対」から起こる現象に過ぎません。熟睡寺には「意識」は消えてなくなりますが我々の存在が消えるわけではありません。つまり意識すらも根源「絶対」から湧きでる現象に過ぎないのです。その意識は根源である「絶対」から影が現れた瞬間に起こります。「絶対」の中には自らを「絶対である」と認識する部分が含まれていて、、その認識がまさにこの「意識」です。移り変わるこの無限の影こそが絶対が絶対である証拠です。
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