言葉だけが
この世界には「悟り」「解放」「目覚め」といった言葉だけはありふれています。言葉がこれだけ流布しているにも関わらずなぜ「悟り」を理解している人はほぼ皆無なのでしょうか???????言葉を流布させるには一定の「理解」がなくては起こりません。ですが「悟り」に関しては全くもって意味が理解されていません。ここは大変面白い点でもありここに大きなヒントがあります。
デフォルト
悟りとは「我々が当たり前に感じている全てが当たり前ではない」、、というメッセージです。当たり前と信じていることが当たり前ではないのですから、、、、伝わるわけがないのです。多くの方はこの当たり前の能力を否定させることを極度に恐れます。なぜならば生命の危機だからです。価値観が百八十度変わってしまった時「食べていけるのか????」という大問題があり、、、、そんなことをしてまでやるわけない!!!が起こるのです。悟りが広がらない理由とは「生命の危機」という錯覚ゆえです。
パニック
「本当は私が居ない」、、、、なんてことさも分かったような爺さんが話せば「こちらはパニック」です。歳を重ねて全部をやり尽くしたような人にそんなこと言われてしまうと「そうなんだろうな、、、、、」が起こります。でも同時にこっちは日々生活のために生きていますから、、勘弁してよ、、、です。
正解
では正解をお伝えします。。この上記の文章を読んだ人はいったい今何をしていたのか?????文章のままイメージの認識を起こしたのです。この上記の200文字近くがイメージに変換されそのまま認識が起こりました。だから今ここまで読めているのです。その認識を起こしたのは誰でしょうか?????誰でもないんです。認識だけが起こり続けイメージが連鎖していったのです。その中に「わたし」も現れでています。そうです、、私とはこの現れ出るイメージです。言葉が起こすイメージの認識だけが起こっているのです。世界とは実はこのことなのです。言葉によってイメージが現れでてそのまま認識されます。だから私もあなたも息子も親も友人もこの世界に現れ出ているのです。言葉がそのままに認識を起こしその認識が次の思考言葉を起こすのです。その中に「悟り」という言葉も現れては消えていきます。悟りとは「このシステムの理解」です。