神が見る景色

今も

今我々が観ている景色は神の景色です。神が今まさに景色を見ています。「私」ではなくて???いいえこれが神が見る景色です。それしか実は存在しません。たった一つの存在しか存在せず、、それが神と神が見る景色です。私がこの景色を見ている???たった一つの存在しか存在しないにも関わらずどうして「私」が存在できるのでしょうか???

つまり

見える対象の全ては幻です。この私も当然幻、、何もかも幻です。神が存在し神が見える景色があってそれ以外が何も存在しないのです。でも街で知人に会えば、、話しかけてきますよね。。幻が幻に向かって話しかけるという幻がただ起こるのです。そこには何一つ分離はなく、実は何も起こってもいません。幻による幻活動以外がないのです。だから神と神が見る景色以外は何もありません。それは微動だにせず、、そのままです。

自我という幻

神と神が見る景色の中に自我という幻が現れてあらゆる幻展開をします。ただそれだけです。どんな幻展開をしようとも、、それも幻活動です。時間という幻が起こり、空間という幻が展開しようともそれだけです。宇宙も幻であり、、神と神が見る景色以外がないのです。眠りとは自我という幻の世界撤収であり、、夢見は新しい精神的幻の展開です。この現実とは粗大な幻世界の展開です。