映画

誰が見てる??

スターウォーズという映画があります。その映画を見る「私」が存在します。スターウォーズという映画は「二元ストーリー」です。ですからそれを見る私も二元世界の中でこれを見ます。二元世界の映画を二元世界の私が見ます。ここまでいいですね。。。。『「二元世界のスターウォーズ」という映画を二元世界の私が観ている』というこの事実は本当に真実ですか????嘘発見器にかけてこの事実を1億円賭けれます??????1億円は賭けれないかもしれませんが、、、映画を観たということに関しては絶対的に否定できないはずです。

ならば

『「二元世界のスターウォーズ」という映画を私は観たという映画』が誰かによって気づかれていることは分かりますよね???「スターウォーズ」の登場人物ではない私が映画の外から見たことには異論がなく、、、そのことに気づいているのならば「映画を観た私」という映画も映画の外から確認されていなければなりません。そうでなければ1億円賭けれないはずです。つまり私が「二元世界のスターウォーズ」を観たという映画が確実に私の外の誰かによって気づかれているのです。

その誰か

その誰かが、、私のように二元世界の住人である場合、、、そのことも誰かに気づかれなければ、、成立しなくなることは分かりますか???つまりこの証明作業は延々に続くことになるのです。ですから、、私が「スターウォーズを観た」という映画は、、、二元世界の誰かによって気づかれたのではなく「絶対」でなくてはなりません。唯一無二の絶対にこれが気づかれる以外にないのです。

私がスターウォーズを観た

この事実は、、、絶対的存在、神によって気づかれたのです。だから今その事実を観ているのは「神」です。神がスターウォーズという二元世界の映画を二元世界の私が観たということに気づいているのです。そうなると問題が起こります、、この景色が神によって気づかれているとなると、、、かつての私は「神」ということになってしまうのです。となると、、、体の中の私という想定が成り立たなくなります。そうです、、この景色は神によって見られているのですから、、体である私の居場所が無くなるという話です。

つまり

この景色は神のものであり、、体である私のものではないのです。「私=神」だったということです。だからこの体は神が見る景色に現れる画像に過ぎません。個体という物質であることは間違いないのですが、、これは神の前で現れては消える現象なのです。神が見るこの景色の中に体の中の私がこれを見ているという思考現象が現れていたのです。実在するのは、、神であるこの景色の鑑賞者と、、その前に現れるあらゆる現象だけです。景色も私も全て「現象」です。現象として実在です。