至福

悟りとは思考の存在に意識的になるだけ

思考をどう扱うか

悟りとは思考との付き合い方である、、、そう断言してもいいぐらいに思考に左右されます、、、、というのは多くの方は思考癖がついて自分が今思考しているという事実に気づいていません、、、つまり思考に意識的であるということは、、、その時点で思考を観察する存在、、気づきの意識、全体、神に戻るということなのです。

思考を野放しにしない

思考の存在に対し意識的である、、、たったこれだけで、、、常に静寂、平和、歓喜に包まれます、、、こんな簡単なことで、、なぜ???そうです、、、我々は意識そのものであり、、静寂、歓喜、平和そのものなのです、、だから簡単にその境地に行けるわけです、、、ところが思考に簡単に取り込まれてしまうことでこの座を受渡してきたのです。だから幸福、至福を追い求めるのです、、おかしい、、そんなに遠い場所にあるとは思えないんだけど、、と。

絶対幸福が遠い場所にあるという罠

絶対幸福は遠い遠い場所、一部の一部の成功者だけが手に入れるもの、、、この発想が実は罠です、、、そうなるために思考をフル回転して、、獲得しましょう、、、全部罠、、、、絶対幸福とは、、思考に取り込まれていない状態、、ただそれだけ、、、、思考の発生に意識的である、、、ただそれだけで成就していしまう、、なんじゃそりゃです、、、、何も達成する必要もなく、、何も成就する必要もない、、、ただ思考に対して意識的であるだけ、、、それだけです。

思考に取り込まれても、、

思考に取り込まれても反省しない

思考に取り込まれないようにしよう、、、ですが実際には気づけば、、取り込まれます、、、本当に思考というのは現代人にとって最強で、、、簡単に思考に取り込まれます、意識が。ですからそのことに一々反省しないことが重要です、、思考にこれまで24時間取り込まれてきたのだから、、、多少取り込まれるぐらい大したことではないのです。取り込まれ続けるのが当たり前、、、そこから抜け出せたら大成功です。

その日から、、何かが変わる

思考に取り込まれないことを始めると、、、その日から何かが変わります、、静寂が突然漂っているのに気づきます、、しかもなぜか疲れにくい、、、????一体何が起きているんだ???そうです思考に取り込まれていない状態は霧が晴れるような感覚、、今まで霧が掛かっていたことに気づくのです、、、なんだ??こんなことだったんだ、、という気づきが起きます。

もう何も達成しなくていいじゃん

思考に取り込まれない、、、たったそれだけで、、、こんなに気分が晴れるとは、、、今まで何を一体全体頑張っていたんだ????いつも追われているような感覚、いつも焦っている感覚、、常に前に前に何かを達成しなくてはならない感覚、、、それが急に無くなる、、、なぜならば達成する前に静寂、平和だから、、、これまでは今は静寂、平和じゃないから、、先に何かを求めていたのです、、今が至福じゃないから、、、先にあるはずの何かを探し求めていただけ、、、このラットレースが終わります。

思考、思考、思考

自分のために思考は過去未来する

思考が湧く時の内容をしっかりと観察すれば直ぐに分かります、、、あの人の言ったことって、、私に何を言いたかったんだろう???あの人の発言は私も陥れようとしてるかも、、、次に会ったら、、あの人にああ言ってやろう、、そうすれば私のことを見直すかも、、、終始こんな感じです。私がいて相手がいてその関係性を自分にとって都合が良いように動くのが思考です。

この思考の動きに無自覚になる

思考はこの私をいかに都合良く、得が多い方に、、そして損が少なく、少しでも優位に立つように動き続けるわけです、、、これが思考です。この思考を野放にすれば自分にとって最善の策を取ってくれるはず、、、なんですが、、、これには大変なデメリットがあります、、、意識が思考にフォーカスし続ける最中ただ苦しいということです、、意識が意識で在ることを忘れ、思考に意識が集中している間苦しいのです。意識が思考に閉じ込められているからです。

思考を意識する

思考の観察に意識を向けます、、、すると思考が湧かなくなります、、、意識は一つのことにしか意識ができませんから思考を観察するとそれ以外が起きなくなります。全てを観察する存在になってしまいます、、思考を観察し、、感情を観察し、、音を観察し、、光を観察し、視界を観察します、、、観察する気づきの存在になるのです、、、ここが静寂の場所、平和の場所、至福の場所です。

思考が過去と未来に向けて

思考とは過去のこと、未来のために起こる

思考というものを注意深く観察してみてください、、全思考は過去についての内容か未来についての内容になります、、、過去、未来の存在を全肯定した内容になっています、、将来のためにこうしなくちゃ、あの時あれをしなければ良かった、、、ばかり、、、本当は今しか存在しないにも関わらず、、なぜか過去、未来についてのメッセージなのです、、、これによって我々の意識が過去、未来に焦点が合います、今に焦点が合わなくなるのです、結果静寂、平和が離れます。

思考との同一化は、、過去、未来への同一化

思考の内容が過去、未来に向けてであることから、、、ここに意識がフォーカスされますと、、、今に居れなくなります、、今この瞬間の森羅万象の現れに意識が向かなくなります。。。。本当は今しか起きておらず、しかしなかが思考に飲み込まれれば、、過去、未来という幻想の中に入り込むのです、、、これが今映画、TVゲームに夢中になっている状態です。過去、未来は本当は存在しないのですから幻想です。

でも今見える世界も幻想ですよね???

そうです、今見えている分離した世界も幻想ではあります、、ですがこの幻想の世界で体感する経験は幻想ではありません、それはリアルです、経験だけは大いなる一つ、根源、神そのものです、、、そこが静寂、至福、平和なのです、、、今ここで思考にふけるということは幻想に意識がフォーカスしていう状態です、、今に居ながら、、幻想に意識がフォーカスされているのです。これが苦しみを生み出します。

今この瞬間勝つ

思考に取り込まれない

思考と意識の完全同一化、これが悟りが閉じた状態です。。。思考していることにも気付いていない状態、独り言を言っていることに気付いていない老人と同じ状態です、、、あの状態は意識が思考に焦点が当たり過ぎ、、無意識状態に入っています、、これが苦しい状態です。思考を観察する存在になります、、思考が湧いても気づく存在になるのです。

最初は苦しい

最初は苦しいです、、思考が湧くのが当たり前、思考に取り込まれているのが当たり前過ぎて、、思考と距離を取るのが苦しい、、、気づけば思考に取り込まれ、、、無意識になっています、、、そこを何度も自覚的になります、、、途中で気づく存在を取り戻します。何度もこれを繰り返しますと、、、思考を観察するのが気持ちよくなります、、思考を観察している状態こそが気持ちよくまります、、、静寂に包まれたこの感覚こそが最高に至福になります。これが今この瞬間に在る状態です。

行動の目的が180度変わる

何かしなきゃが湧いてこない、、、この状態にシフトします、、、これまでは何していないと苦しい、、だから何かをする、、、ところが思考観察が慣れてきますと何もしていない状態に親しむことができます、、、ただ静かにここに座り、、思考を観察するだけで心地よい、、、これがデフォルトになるのです、すると何かをしなくては、、という焦りが消えます、、、、するべき時にすればいいに変わります。川の流れのように来るべき時が来れば動くが起きる、、に変わります。

虫が部屋に入ってくる

ただそれだけ、、

虫が部屋に入ってきただけなのに、、、それが楽しい、、、、将来に対する不安も過去に対する後悔も完全に無くなってしまった時に、、、見える世界が変わります、、、、平和そのもの、、、、ニュースを見れば、、毎日それでも騒々しいですが、、、全くそれで心が動かない、、、いや動けない、、そのニュースを聞いて判断を下せる自分がいないのですから。。。そんなことよりも、、、ただ景色が綺麗、ただ虫が面白い、、ただ鳥が美しいになっていきます。

年金が貰えなくなるよ!どうするの???

年金が将来、貰えないみたいだよ!!!どうするの????どうもこうもそれを判断する自分が居なければ、、自由意志もないのです、、、どうもできんのです!!、、、以上、、、これは何もかも情報を得ないことではありません、、、自分という機能としては情報を積極的に集めそれに備えることは勿論可能です、、ですがその動きが森羅万象の動きそのものしかないということです、、、

老後に向けて森羅万象が動くのかも

老後に向けて森羅万象の動きがあるかもしれませんし、ないかもしれません、、、それは森羅万象の動き次第なのです。これが究極の答えです、、その上であえて便宜上の意見があるとすれば、、、そこに向けて無我に入るということです、、老後に向けての貯金に対し無我に入って働くということです、、、無我に入って働けばそこから静寂、至福、平和に入れます。

今に居れないから、、、時間を気にする

今に居ることが出来れば将来不安はない

今に居ることができれば、、、その時その時にその行為に埋没すればいいだけです、、、仕事に入り無我になる、、作業に入り無我になる、、、読書を通じ無我になる、、、なんでも気が向くことに入り無我になればいいのです。。ここは静寂の場所、平和な場所、至福の場所です、、、、誰にも邪魔されません、、、ここに入れない人が、、将来を過剰に心配するのです。

後悔も心配もしなくていい

後悔も心配も自由意志があると信じているからこそです、、、ですが自由意志はありません、、、将来を左右するような決断を自分の意思では一切できないのです。。。これが真実です、、、、だとしたら一体何を心配し悩むことができるのでしょうか????無理です。。。。心配も後悔もできなくなると自然と今に居ることができるようになります、、小さな子供が今に居れるのは、、心配できないからです。

現象として幻想として情報を集める

株のブローカーであれば、、、情報を集めるのは当然のことです、、、この際にはこれは現象、幻想であることを見抜いて集めればいいのです、、、情報という現象から株を精査し次に買うべき株を吟味していきます、、、ですがこのことと、、、静寂、至福、平和とは全く関係がありません、、、静寂、至福、平和は時間ではなく今にしかないのです、、、、ここを理解し、、、情報収集を通じて無我に入ります、、、もしくは株に関して思考が湧いてきてもそこを気づきの意識として観察し今に入るのです。

マインドという現状維持機能を俯瞰する

思考はただ現状維持のために機能する

多くの方は自分の思考に絶対的な信頼を置いていますが、、、この思考は、、、現状を維持するためにただ機能として湧き続けるだけです。今食べれているならば、、、、この状況を維持するために湧き続けます。。。例えばスーパーブラック企業に居てもそこにいて食べれていれば、、、思考はこの会社を辞めさせないように働くのです。過労死が存在するのはこのためです。これが思考のメカニズムです。この思考を絶対的に信頼するのはどなのか???これが気づきです、、、気づきの意識による気づきです。

思考は悪でもなく善でもない

思考とはただの機能です、、、現状維持機能、、、この機能に善も悪もないのです、、、ただしこの現状維持機能は、、、今至福を全く感じれていなくても、、、その状態を維持するために機能します、、、、覚者が思考を止めろというのも一理あるのです、、、、思考が止まり、、、気づきの意識そのものになれば至福が湧いてきますが、、、、この状態が安定すれば思考はこれを維持しようと機能します。思考が湧き続け、これは自分で在るという思考が湧けば、、、苦しいのですが、、、それでも思考は湧き続けこれを維持します。

思考を俯瞰するとは悟りである

多くの方は思考に振り回され、感情に振り回されて生涯を終えます、、そのような中で思考を完全に俯瞰できるのは思考の機能を完璧に理解し気づけた者だけ、、、これは悟りです。悟りとは究極の俯瞰であり、、、思考を現状維持機能であるという気づきはその一つです。「今日で首だ、、、」こう宣告された者からはあらゆる思考が湧き出すのは、、、、現状維持機能が働くからです、、、なぜ???頭がおかしくなったのか?法律的に大丈夫か??、、、これは現状維持機能のフル活動です。

悟りをコンフォートゾーンに

気づきの意識の状態に慣れる

瞑想とは気づきの意識そのものの状態に慣れることです、、、無我夢中になって何かに集中するのも同じことです、、自我のない状態に率先して慣れていきます、、、するとそこに至福、静寂、平和があることにはっきりと気づきます、気づきの意識が、、、これが悟りです。自分など全くの不在の場所にこそ、、、平和があることに気づくのです。自分が美味しい物、刺激物を得なくても、、、その場で安堵、平和、至福に至れることに気づきます、気づきの意識が。。。これが悟りです。

悟りを理屈として理解し実践して慣れる

悟りについての正しい理解は大切です、、これをしないと自我は全てを所有し、、コンフォートゾーンをズラすことができません。自分がはっきりと居るという認識の中で無我に入ろうと、瞑想をしようと、、、その獲得を全て自我が所有するという場所に戻るでしょう。理屈として悟りを理解し、、その上で瞑想、無我になって集中することで、、自己の不在が安定します。

機能としての自分に戻る

自己の不在が安定してもこの幻想の世界、夢の中の世界、イリュージョンの世界が続く限り、、機能としての自分は存続していきます、、、機能としてこの世界での役に立っていかなければ食べていくことができません。機能としての自己を維持していくことになるのです、、、、ですがこの時にはマインドはこの状態を維持しようとしますから、、、機能向上にただ努めるでしょう、、、機能としての自分磨きに入るはずです。。。

瞑想で気づきの意識そのものになる

気づきの意識に目的はない

何かのために瞑想をする、、瞑想をして元気溌剌、、瞑想で願望実現、、、、、そういった瞑想の使い方もあるかもしれません、、、ですが瞑想とは自身が気づきの意識であった、神羅万象そのものであったという気づきです。集中とは、、、自分など最初から居なかったという気づきです、、、、瞑想は、、、集中とはまた違う形での、、、自己実現、、、瞑想そのものが、、、至福、、静寂です。

とりあえず、、瞑想しよう

色々嫌なことが1日中あったけど、、、とりあえず瞑想しよう、、、瞑想に帰ろう、、、です。。目を閉じて現象の世界を締め出し、、、気づきの意識そのものになるのです。。。感覚、意識だけになります、、、本当は気づきの意識しかなく、、、そこに戻る感覚です。1日に何度もここに戻ります、、、すると、、、現象界で起こる様々な事件に深刻さを感じなくなっていきます、、、これは、、、頭で考えるのではなく、、、そう感じるようになっていきます。

これが夢だと見抜いていく

これが夢だと見抜くためには真実に触れる意外に方法はありません、、真実に触れれば、、、これがファンタジー、夢であるこちが腹落ちします、、、夢だ、夢だ、夢だと、、、、1万回説明を受けるよりも、、、真実に触れる、、、真実になってしまう、、、これ以外にこれを夢だと見抜く方法はないのです。。。。何かに集中することは、、、まさにその一つ、、、そして目を閉じて、、、全く対象のない世界(ノンデュアリティ)に直接触れるのも一つです。