自由意志

自由意志があると思っている限り

思うことはできる

この世界では自由意志があるとハッキリ思うことができます。これは事実です、私もいるし、あなたも居る、そう思い込むことができるのは事実です。ですがその思考の内容は真実ではありません、そのためその分の緊張感を味わうことにあります。真実の中で真実ではない事実をイメージし続けるのは緊張力が必要になるのです。なぜならばその緊張を解いてしまたら途端に真実の中に溶け出すしてしまうからです。

そして夜中は溶ける

真実ではないことを信じ続けるのは緊張しづけることであり疲れます、そのため夜になると眠くなり、、その緊張を一旦解こうとする動きが起こります。それが睡眠です、、人間が過剰な睡眠を欲するのは真実ではないことを真実であると信じ続ける緊張感から起こります。緊張とは嘘を信じた時に起こるのです。嘘とは方便であり我々はこの方便を生き抜くために両親から散々教え込まれ、、方便が完全に染み渡った状態で社会に出るのです。

自由意志を放棄すると

自由意志がないこが理解できますと、、、人をみて羨ましい、おかしい、などの判断が薄れていきます。なぜならば自由意志を行使する人格もないため、、、自由意志の結果競争が無くなるのです。私が成し遂げた、あの人が成し遂げた、、、という自由意識競争が消えます。マリオカートをみんな自由意志でやっていると思っていたら実は自由意志じゃなかった、、、というオチです。このオチは面白さを半減させますが、、緊張が抜け、全く次元の違う緩やかさが訪れます。

強い刺激を得た時に起こること

大金を得た時に

大金を得た、気になる異性を手に入れた、株が10倍になった、、、大きな大きなターゲットを得ることは自身のとっては大きな大きな刺激です。刺激的な日であることは間違い無いでしょう、、最高の1日です。ではその日になぜ最高の幸せになるか知っていますか?????そのターゲットがなぜ私を幸せにしたのか???それはそれを望まなくてよくなったからです。お金を異性を地位を名誉を望む必要が無くなったからです。マグロを一本吊した際に、その瞬間もう何もしなくて良くなったのです。頑張らなくて良くなったから、、幸福なんです。緊張感から解放されて幸福になったのです。

刺激からの緊張の解放

大金という大きな刺激を得て、、頑張って努力する必要がなくなったから幸福を感じたのです。実はこれってゼロからプラスになったんじゃないんです。マイナス(緊張)がゼロになったのです。全てのターゲットって、、実はゼロをプラスにするんじゃなくて、、マイナス(緊張)をゼロにしていたんです。つまりつまり、、私たちはマイナスが基本なんです。だから宝くじ3億円、世界一周旅行プレゼント、最高級乗用車プレゼントに食いつくのです、、、全マイナスをそれらが解消してくれる気がするからです。

マイナスの原因は????

ではこのマイナスの原因はなんですか????このマイナスの原因が分からなくては全くもって問題解決にはならないじゃないですか!!!そのマイナスとは、、、、、勘違いです、、人間としての勘違いが全マイナスを作り出しています。。。勘違い?????そうです、、我々はただ勘違いをしていてそれがマイナスを作っています。

勘違い

例えば人は何かを達成したら幸福になると思っています、、事実は違います。例えば人はここ以外に世界があると思っています、、ですが事実は違います。例えば自分の行動の責任は全部自分にあると思っています、ですが事実は違います。例えば人は自由意志があると思っています、ですが事実は違います。このような勘違いの連続で人は自分を責め、人を責め、後悔し、恨み、、不幸を作り出しているのです。

たった一つの景色

実は何も起きていない

私たちの生活は日々色々なことが起こっているように見えますが実は何も起きていません。全体からあらゆる現象が起こり、思考が起こり、感情は起こります。思考の内容は「私はしなくては」「私はするぞ」「私はこれを守る」、、、と私前提の思考が湧き続けますが、、実はそれ以外何も起きていません。この体はその思考に反応し感情を作り出しますが、それだけです。この体は思考とは何も関係なく動きがあえばない時もあります。その動きに合わせてまた思考が湧き上がりその動きを評価判断反省するのです、、しかし実際には何も起きていません。

思考とは何も関係なく

明日はこれやってあれやってこうしてこうしてから寝よう!!!!しかしこの思考の内容とは何も関係なく、、体の動きは起こります、細かく言えばその思考の内容によって化学反応が起こり、、その化学反応通りの動きがこの体に起こります。それはコントロールではなく、ただの反応です。そしてその動きに応じてまた評価判断反省の思考の動きが起こるのです。その思考が体に化学反応を起こし感情が起こります。

視点の変換

体という視点から見れば我々には間違いなく自由意志、自由行動、自由思索、自由思慮がありますが、、、この背景という視点から見ると全ては背景から湧き起こっています。背景とはこの画面の背景ですが、、その背景はまさに大いなる存在、気づきの存在、在る、動きのある神です。。そしてその湧き上がるという現象の大元には空、絶対、THE ONE、動きのない神、、、が居ます。

究極のリラックス

真実を受け入れますと、、無駄な思考が止まります、無駄な感情が止まります。体の動き、周囲の現象に対する思考の判断が減ります。すると無駄な感情が減ります。喜怒哀楽という感情が抜け落ち、、真の感情、、これは感情ではなく、、BEING,STESTE、大いなる存在から起こる真の安らぎが漂ってきます。自由意志、自由行動を諦めた時、、大いなる存在として「私」の行動を観察する観察者になり、、ここには真の自由があります。

失敗できないという重責

これを現実とすれば

これは現実で、この体には「私」が居て、、私には自由意思がありこの世界をこの私が自由意志を駆使してサバイブするんだ、、、という概念に染まりますと、、、、頭が良い人ほど、、、あらゆるリスクを考慮し、重くなります。リスクが見えれば見えるほどにそれに対応を迫られますからこれはきつい。あらゆる保険に入りまくってその保険料で首が何重にも巻かれた状態になります。

頭が良いからこそ

頭が良い人にとってこの人間の初期設定『この体、この思考は私』という概念は恐ろしく重い重い設定なのです。だからエックハルトトールは恐ろしいほどの重圧の中で悟りを開きました。あれは頭が良過ぎる故の重責ではないでしょうか。逆に言えば、、、これが夢かも!!!という気づきに頭が良い人が至ったら、、その理解はとんでもなく早い、、なぜならば夢という想定では何一つ矛盾がないのです。これは現実、、、こちらは矛盾だらけで正解がない、、これは夢、、、は正解しかない、、、となります。

どこでリミットオーバーになるか

「この現実の世界をこの私がサバイブする」この発想はどこかでリミットオーバーになります。なぜならば初期設定のこの現実は、、現実ではないからです。初期設定が間違っているのですから全く正解のない世界を私がサバイブしていかなくてはならずクリアは不可能なのです。勘違いをベースにした人生戦略は歩めば歩むほど矛盾をダイレクトに受けるので辛くなるのです。

夢だと分かって夢を生きる

これが夢だと見抜く最大の障壁はなんでしょうか???それは周囲に合わせて生きていく、、、というこの作戦と、、、コレが夢だと気づくという事実があまりにもかけ離れていることです。この夢の多くの方は周囲に合わせて安心する、、という作戦を信じ切っていますから、、、どれほど苦しくてもその作戦を変更できないわけです。そうなると限界リミットオーバーしかこのパラダイムシフトを起こせない、、となります。あくまで夢の中のストーリー上ですが。

夢の中でコンサートLIVE

大好きなミュージシャン

大好きなミュージシャンのコンサートLIVEに行きます、。半端ない音量、照明、、、熱気、、、時に涙を流し感動する、、、、ところがこれが夜見る夢だった、、、、そんなこと全然ありますよね!!!半端ない臨場感、、ありますよね!!!!そうです、、、夜見る夢の臨場感って半端ないんです、、この現実と呼ばれる世界を凌ぐ臨場感を作り出せるのです。で、、この夢って誰が作ったんですか????「私」ですよね、、その証拠は????もしもこれを神が作っていたら???

この現実は神が見る夢

夜見る夢の臨場感が神が神が作った夢ならば、、、、この現実と呼ばれる世界は神が見る夢だとしても全く矛盾がないんです。夜見る夢の臨場感を、、、今この現実と呼ばれる世界で起こしたならば、、これが夢だとして誰が反論できますか?????毎晩見る夢の中であなたは毎晩騙されているんですから、、この現実と呼ばれる世界でも同じように騙されている可能性はありますよね????

諦めちゃってください

この世界、この現実と呼ばれる世界は「一度も覚めたことがない夢」です。神が作り出した超臨場感ドリームです。主人公はこの体、、私はその体の中に居る存在、、、私はこの夢の中で自由意志を行使し(錯覚)あらゆる状況に対応していきます(錯覚)。夜見る夢も、、いつかは覚めるように、、、この現実と呼ばれる世界もいつかは夢だとバレるんです、それだけは決まっています。

現実と捉えると矛盾が、夢だと捉えると矛盾がない

現実の方が矛盾????

現実を視ろ!!そんな経営者の本を聞いたことがあります。日本一の経営者「柳生さん」の書籍ですね。。残念!!!!現実じゃまずいんですよ、、全然辻褄が合わないんです、現実と捉えると、、、詰めが甘いんです。というか現実じゃないのに現実とするのはどうしても限界があるんです。例えば自由意志の話、、自由意志を医学で証明しようとすると、、どこかで研究中に当たるんです。例えば自我の話、、これも脳科学的にどこかで研究中に当たります、、宇宙も同じ、宇宙の成り立ちは、、どこかで研究中に。。。残念!!!これが夢だという証拠なんです。

100年後も研究中

残念ながらこれを現実として捉えた学問は必ずどこかで研究中、、に打ち当たります。要研究、研究途中、未確定、、ここにぶち当たるのです。。。どの分野でも。なぜならばこれは現実風に見える夢だからです。これが夢、幻想だ!!!という気づきが起こるまでこの研究は続くのです。だからこの世界は無限の分野から気づきに入れます。ヨガだけ、瞑想だけ、マントラだけ、、からこの気づきが起こることは絶対にないのです、無限が見る夢ですから。

無限が見る無限の夢

この夢は無限が見る無限の夢です。最終的な気づきのゴールはこれだけです。つまりこれは現実だ!!!!という証拠はこの世界では100%不可能です。今段階でそうなんです、科学者はいつかこれが現実だと証明されるだろう、、、と未来に期待しながら死んでいくでしょう。ですが残念ながらそれは無理なんです。今なぜそれが不可能かと言えばこれが夢だからです。

夢の証明をしちゃえば、、

仮にコレが夢っていう証明をしちゃいましょう。朝起きて夢が始まる(無限が見る夢が始まる)主人公の私が登場する、、主人公を中心にあらゆるドラマが始まる、、、主人公が行くところ必ず現象が広がる、、周囲はこれが夢だは気づいてない人々ばかり、、、夜になると夢を見ているのがだんだんと疲れてくる、、、自然と無限が夢から覚める、、、主人公の意識がなくなる、、、です。コレが夢ならば????矛盾ゼロです。

映画の鑑賞中何が起きている?

これは夢です

この夢の中で映画の鑑賞中一体何が起きているのでしょうか???主人公になりきっています、、この私になり切っていた存在が一時的に映画の主人公に成り切っているのです。つまりなり切りがシフトしたのです。この私から映画の主人公に。映画の主人公に成り切ったのは誰ですか????「私」じゃないですよ、、この夢の傍観者です。映画の主人公になり切れるならばこの「私」に成り切るのも簡単ですよね???

意識をそこにフォーカスする

映画の上映中、、意識が主人公に向かいます。そして主人公になり切ることでドラマが生まれます。この夢も同じ、、意識がこの体にフォーカスします、、、これによってこの夢が進行します。この体に意織しないなんてできるのでしょうか????できます、、実はこの体は勝手に動きます、、意識などしなくても、、全部勝手に起こるのです。。。思考も行動も。だからこの体に意識などしなくていいのです。

完全なる自動運転を楽しむ

全部が全部湧くのでこの体この思考に意識などしなくていいのです、、勝手に全部湧きます。自由意志も自由行動もなく、、自分も居ないんですから、、、勝手に全部上手く回ります。上手くというのはマインドが考える上手くいくとは違います、、、起こる行動は全部完璧なんです。何が起きても完璧なんです、、起こる行動に善悪優劣をつけるのはマインドだけです。

帽子を動かす

自由意志の完全否定

目の前の帽子を動かしてください。手を使って動かします。帽子を手で持って右に動かしました。この実験で分ることをお伝えします。。。今私は自由意志でこの帽子を動かしました、、、これが人間の解釈です。ですがそれは本当は不可能なのです、そこを教えます。帽子を動かしたのは手です、手を動かしたのは脳の電気信号です、脳の電気信号を動かしたのは何でしょうか???何かの細胞の動きとしましょう、、ではその細胞の動きを司ったのはなんでしょうか???細胞内の何かとしましょう、、では細胞内の何かを動かしたのは何ですか???細胞内の何かの中の何かでしょう。ではその細胞内の何かの中の何かを動かしたのは何でしょうか????そろそろ分かってきましたね、、手を動かすということを調べていきますと無限に要因が連なってしまうのです。つまり今この瞬間に手を動かすというのは自由意志では理論上不可能なのです。

現象として手が動き現象として帽子が動く

真実はこれだけです、、手が動くという現象が起こり、帽子も動きました。ここに仕掛けはないのです。夢の中でこの仕掛けを探求すれば、、、、無限にその要因は連なっていきますが最後は分からないとなります。。夢の中で。これが夢の弱点なのです、、、ストーリーは無限に生み出すことはできますが、、、限度がないのです、、今は科学的にここまで、、、で終わらざるをえないのがこの夢の特徴です。全ての科学はまさにそうなっていますよね。手を動かすという科学的証明も実は今のところは、、、で終わっているのです。それはなぜか????この現象には終わりがないのです、夢ですから。

なぜそのことを科学者が言わないのか????

なぜこの矛盾、解明不可能な現実をノーベル賞科学者が突っ込まないのでしょうか?????中学生レベルでこれは分かるのです。。。なぜならば、、、、、、これが夢だからです!!!!夢だから科学者がそれを言わないのです、、この夢の中で。この中学生レベルでも分かる矛盾をなぜノーベル賞科学者が突っ込まないのか????夢だからです。

悟りに疲れたら

残念ながら私に出来ることはない

残念ながら悟りにおいてこの「私」が出る幕がありません、もっと早く悟りを開きたい、、誰が????その私が居ないんですよ。そしてそのために何かをコントロールできる私が居ないということの気づきが悟りです。悟りとは私が開くのではなく、、私の中で悟りが開くのです。悟りとは私の中で起こる現象です。私の中で「私」という現象が起こらなくなることが悟りです。私の中で「私」が居ると思っていたらそれが夢だったという気づきが悟りです。

悟りを焦るということは

悟りを焦るということはこの「私」が苦しみから解放されたいという願望があります。それが強すぎると「私」を強化します。強くなりたい強くなりたいと焦るよりも空手練習に染まっちゃった方が早いです。悟りたい悟りたいと強く願うよりも悟りのメッセージに染まっちゃった方が早いです。そしてそこに至る自由意志がないことからそれが起こらないことを引き受けます。積極的な受容です。

あるがまま

悟りのメッセージで最も楽なのがあるがままです、、このあるがままによって後悔というのが起きないんです。なぜ今日悟りの本を読めなかったのか???それが起きただけ、、なぜ今日読破できなかったのか???それが起きただけ。。。起こす自分は存在せず、、本当の自分の中でただ現象だけが起こるのです。進むことも進まないことも全部が全部自分の中で起こるのです。ただそれを受容します。

目標を悟りに置く

無意識とは習慣である

目標が悟り、ノンデュアリティになりましたら、、あとは簡単、、、ひたすらにシャワーのようにメッセージを聞いていきます。地動説に慣れた我々は放っておくと地動説に戻ります。「自我」前提生活は放っておけば自我前提生活に戻ります。ここに新しい価値観を受け込むためにはそのメッセージをシャワーのように浴びる以外にありません。日本語に慣れた人が英語を習得するには浴びる以外にないのです。

気づきの連発

今左手で食べましたよ!!!左利きの人は無意識に左手で箸を使ってしまう、右手に変えるためには徹底的な癖付けが必要になります。これが自我解放のポイントです。本当の世界の事実をとにかく徹底的に学ぶ、聞く、浴びるのです。重要なことは、、分かんなくて当然だということです。自我ベースで生きる我々が悟り、ノンデュアリティをスラスラ分かったらおかしいんです。

本当はそうだよね

自我も、自由意志も方便ですから嘘です。嘘は真実の前ではいつか必ず暴かれます、そして真実に吸収されます。それは分かっているんです、ですから何も恐れずにただ淡々とメッセージに染まっていけばいいのです。メッセージに触れ続けるだけでいいのです。毎日毎日触れ続け、、話せば英語がである、、気づけば真実に在る、、という状態を目指します。