森羅万象

苦しみの本当の意味

苦しいとは。。勘違いの証明

生きるって苦しい、、なぜか苦しい、、テレビやお喋り、何かに頼っていないと退屈で死にたくなる、、、、これらの本当の意味は何でしょうか????真実の勘違いです、、、真実を誤解して生きている時に生じる感情、それが苦しみです。ですからこの苦しみこそが悟りへの誘いです、苦しみが悟りへの渇望になります。。何をしても何を得ても癒えないこの苦しみこそが真実に目覚めるきっかけになるのです。

そう思えば、、、

苦しいが悟りへの誘いになります、、そう考えると、、この苦しみは悟りにとって最重要事項、森羅万象の動きは完璧です、、、この苦しみ解消を、、名誉や、お金、異性、やりがいで解消しようとしても全く癒えない、、、この究極のお題解決こそが悟りです。悟りとは究極の現実に目覚めること、究極の真実、リアルに目覚めることです。

何も求めなくていいという解放感

何も求めなくていい、、、そうです、、、究極のメッセージが教えてくれることは革命的です、、川の流れのように我々がこの先に取る行動は全部決まっていない、、全て森羅万象の動き、、運任せ風任せ、、森羅万象任せ、、この状態で何を期待し何を失望するのか?という話です。この事実に向き合った時に根本的な脱力に襲われます、、人生に責任を取るという大きなプレッシャーから解放されます。

今に居るのに不幸になれない

今は静寂しかない

今年は大不況ですよ、今年の会社の売り上げはとんでもなく下がることに、、税金がまた来年上がるらしい、、このような情報が入ってくると思考はフル回転、、、どうしよう、どうしようと、、、エンドレスに回転を始めます、、、ですがこの回転こそが不幸への入り口、地獄への入り口です、、、、信じられないかもしれませんが我々は一生こうして思考に取り込まれ続けるのです。

状況は変わって当たり前

状況は毎秒毎秒変わります、、これが森羅万象の動き、諸行無常です、、、これが事実、真理です、、、、この変化に人間は名前をつけてニュースにします、、、そこにさらに大変だ、、まーまー大変だ、、ちょっと大変だと、、、解釈を加えていきます、、この状況の変化に対してこの体の動きも変化します、、、ただそれだけ、、、ここに思考の解釈が入ります(これも森羅万象の動き)、、、これで苦しくなります、、変化の中で自由意志を発揮する自分が登場します(森羅万象の動き)、、ここが苦しみの場所です、、

事実をただ淡々と受け入れる

状況の変化に意味は一切ありません、、それだけが森羅万象のルールだからです、、、この変化、、、そしてこの体も動く、、これも森羅万象の動き、、唯一のルールです、、、、これに対して本来は思考の解釈は必要ありません、、、思考の解釈がなくとも、、、、変化が起き続けるからです、、、さらに言えば思考の解釈がこの森羅万象の動きに影響を与えることもありません、、、もっといえば思考の動きも森羅万象の動きです、、、どこまでいっても森羅万象の動きしかない、、、ならば黙ってこれを観察するのが良いということになります。観察する場所こそが静寂、平和、安堵です。。。

ストーリーへの誘いを断つ

思考は常に誘う

思考はいつでも自分をストーリーの中に引き摺り込もうとします、、、これは問題では、これはいつか問題化するぞ、、、と思考は常に湧き上がってきます、、、これによっていつの間にか思考にしていることに気づかない状態になってしまいます、、、これが完全に悟りが閉じた状態、苦しい状態です。気づきの意識が思考と完全合一化している状態です。

思考が湧いたらそれに気づくだけ

思考が湧いたらそれに気づくだけです、、思考の手の内を完全に理解することです、、、目の前の状況を問題視し状況で終わらせないのが思考です、、、ただお金が無いという状況を、、、お金がないと飢死にするぞ、、と問題化し、、、グルグルと頭の中で解決策らしき思考が湧き続けるのです、、、お金が無いは、、ただの事実です、、それに対し、、淡々と行動が湧くのを待ちます、、、川の流れのように行動が湧いてくるのを待つのです、、これしか本当はできないのです。

思考はああでもないこうでもないと、、、騒ぎ立てるが、、、

思考はお金がなくなったら、、餓死するかも、、友人がいなくなるかも、、今の場所から追い出されるかも、、東京を離れることになるかも、、、、と騒ぎに騒ぎますが、、、事実は川の流れのように、、、淡々とただ起き続けます、、、状況は変わり続けますし、、、この体という状況も合わせて変わり続けます、、、ただそれだけです、、、思考がどうこうできる状況(森羅万象)はないのです。

ただ思考に飲み込まれずに状況を観察する

重要なことは思考に飲み込まれずに、、、状況を観察する気づきの意識になることです、、、ただ観察します、、状況の変化、、この体の動きの変化を観察します、、、この体と一体化、同一化してはいけません、、この体の動きすらも状況です、森羅万象の動きです、、、それを観察します。すると、、そこに平和があります、静寂があります、平和があります、、、このストーリーに一切飲み込まれないことが、、、悟りです。

何かを達成した時に訪れる静寂を今感じる

ホッとした、、、

金メダルを取れて今どんな気持ちですか????とってもホッとしてます、、しばらくはゆっくり休みたいです、、、あらゆるプレッシャーから解放されて今はとにかくホッとした気持ちです、、、ヒーローインタビューでこんな会話を聞いたことがある人が多いでしょう、、、、ホッとする、、、これって何が起きているかといえば、、、もうしばらくは何も考えなくていい、、、というホッとしたです、、

最初から考えなくていい

思考することに無防備になっている我々現代人にとって思考しなくていい状況とは、、何かを達成した時だけ、、、この時だけです、、、だから金メダル取得、就職決定、内定決定、卒論合格、、、こんな時しかホッとするのが許されないのです。。。本当にそうでしょうか、、最初から思考しなければいいんじゃないですか???いや思考しなくては目的は達成できませんから、、、違います、、、目的が達成できるかどうかは川の流れ、森羅万象の動き次第、、思考とは全く関係がありません。

つまり我々は最初からホッとしていていい

結果が出るでないが森羅万象の動きならば、、思考は必要ない、、思考に取り込まれる必要もない、、思考を観察する存在のままでいい、、、気づきの意識のままでいい、、、になっていきます、、すると静寂そのもの、、平和そのもの、、歓喜そのもの、、になっていきます、、。その状態でただ淡々と結果だけが起き続けるのです、、これが降参、サレンダー、悟りです。

思考が過去と未来に向けて

思考とは過去のこと、未来のために起こる

思考というものを注意深く観察してみてください、、全思考は過去についての内容か未来についての内容になります、、、過去、未来の存在を全肯定した内容になっています、、将来のためにこうしなくちゃ、あの時あれをしなければ良かった、、、ばかり、、、本当は今しか存在しないにも関わらず、、なぜか過去、未来についてのメッセージなのです、、、これによって我々の意識が過去、未来に焦点が合います、今に焦点が合わなくなるのです、結果静寂、平和が離れます。

思考との同一化は、、過去、未来への同一化

思考の内容が過去、未来に向けてであることから、、、ここに意識がフォーカスされますと、、、今に居れなくなります、、今この瞬間の森羅万象の現れに意識が向かなくなります。。。。本当は今しか起きておらず、しかしなかが思考に飲み込まれれば、、過去、未来という幻想の中に入り込むのです、、、これが今映画、TVゲームに夢中になっている状態です。過去、未来は本当は存在しないのですから幻想です。

でも今見える世界も幻想ですよね???

そうです、今見えている分離した世界も幻想ではあります、、ですがこの幻想の世界で体感する経験は幻想ではありません、それはリアルです、経験だけは大いなる一つ、根源、神そのものです、、、そこが静寂、至福、平和なのです、、、今ここで思考にふけるということは幻想に意識がフォーカスしていう状態です、、今に居ながら、、幻想に意識がフォーカスされているのです。これが苦しみを生み出します。

進化向上

進化向上は森羅万象の動き

個人とは森羅万象のアイデアです、この個人には実態はありませんから、、この個人は森羅万象の動きそのもの、、森羅万象は変化し続けますからこの個人というアイデアも変わり続ける運命にあります、、これが進化向上です。個人とはいずれ解体され森羅万象のそのものになるわけですがそれが起きるまで進化向上が続くのです。

進化向上とは俯瞰のこと

小さな子供は砂遊びを毎日続けるうちに、、徐々に上手くなっていき、、大人でもできないような作品を作り上げ、やがて飽きて次の遊びにシフトします、、、これが進化向上です、、、、向上し飽きて次に向かう、、ただこれだけです、、、、アルバイトに慣れたら正社員になり、、正社員に慣れたら、、自営業者になり、、自営業者になれたら、、社長になり、、、社長に慣れたら会長になり、、、会長に慣れたら、、地域の自治会長になり、、地域に自治会長に慣れたら市長になり、、市長に慣れたら県知事になり、、県知事に慣れたら国会議員になり、、、

進化向上に抵抗する

進化向上が義務であり、、これが自然な流れです、、、ですがこの自然な流れの中で、、思考は食べれているならばそこに居座りたいが発生します、、、この進化向上VS現状維持の戦いが苦しみになります。進化向上が正しくて、現状維持が悪いのではありません。進化向上というベクトルと現状維持のベクトルの戦いが苦しみを生み出しているという真実があるのです。

思考との同一化は現状維持を強化する

多くの方は実は一日中思考していることに気付いていません、、思考していることに気付いていないということは、、思考と完全同一化しているということです、、独り言をずっと喋ってい老人は喋っていることに気付いていません、、、この状態です。。。思考は現状維持をしようとする機能ですからこの状態では進化向上の動きは完全にシャットアウトされ、、現状維持が続きます、、苦しいが湧き上がります。

思考が起きていることに気づくだけでいい

思考が起きていることに気づくだけで、、、思考への同一化は終わります、、、思考が気づかれずに同一化が強化されいつの間にか現状維持の強力なシステムに飲み込まれます、、進化向上が止まります。思考が実は一日中沸き続けている、、この事実に気づくのです、、、すると思考することに対して冷静な自分の存在が浮かび上がります、、、これが気づきの意識、進化向上の大元です。進化向上に対して思考の無意識の抵抗が終わります。

自分をどう定義するかで自分以外(世界)が定義される

世界とは自分以外の定義である

本当の世界を知りたければ本当の自分を知ることです、、、自分が定義されると、、自分以外が定義されます、、これが見える世界(自分以外)になります。私たちは世界を見る前に、、、自分を定義し、自分以外を定義することで、、、定義された世界を見ているのです。分離解離した世界が目の前に広がっているのは定義された世界を見ているからです。自分をどう定義するかで、、自分以外(世界)が定義され続けているのです。

自分の再定義は、、世界の再定義

自分をどう定義するかで見える世界(自分以外)が定義され、、それに反映した世界を自分が今見つめています。自分という定義が変わってしまえば、、見える世界(自分以外)も定義が自動的に変わるため、、変わってしまいます。小さな子供は自分というものを定義していないので、、、見える世界も定義されていないのです、ワンネスに生きています。

自分が見える世界全てだった

本当の自分とは見える世界(森羅万象)そのものです、、自分以外と思っていた世界が自分なのです、、そしてこれを見てきたかつての自分の体も森羅万象の現れ、、です、全部ひっくるめて自分です、神です、気づきの意識です。自分の再定義が完成しますと、、、自動的に自分以外が再定義されます、、今回にあっては自分以外は無くなるという再定義です。全部が自分だったという再定義が完成します、、、すると見える世界が変わっていきます。

進学するか就職するか???

若い時期は悩む

進学すべきか、、就職すべきか????悩む。。。若い時期はとにかく悩みます、、、ですが、、、これを決めることができる個人は居ません、、、、全部森羅万象の現れです、、、個人が居るという感覚も森羅万象の現れです、、その個人が自由意志を行使できるという感覚も森羅万象の現れです、、、神羅万象の現れの共通点、、それは化学反応、縁起、因果の世界、、、です。。。反応が反応を起こし続けているだけの世界です。ここを見抜けない期間は「人が悩み続けるという現象」が起き続けます。

この仕組みに気づきの意識、空が気づく

悟りとは、、、気づきの意識の人間への同一化、、、からの同一化していることへの気づきが起き、、、同一化の終焉が起きることです。。。。全体、アイアム、気づきの意識が人間に同一化することでこの人間ゲームを堪能するわけですが、、、、この状態に気づき、、、、全体に戻る、、ことが悟りです。すると人間の動きも、この現実の動きも全部ただ森羅万象の動きであったことに気づき。。。。その中で分離錯覚しているというやはり現象が起きていたことにも気づきます。

なぜもっと早く気付けなかったのか????

違います、、、気づくのは気づきの意識です、、全体、アイアムです、、、人間はただの現象です、、現象が気づくのではありません、、、気づくことができるのは、、気づきの意識だけなのです、、、気づきの意識をコントロールできる存在は存在しません、、、気づきの意識が存在そのものだからです、、、、気づきがお遅い気づきの意識は居ないのです、、、気づきの意識は完璧なタイミングで気付いていきます。

否定できる現実が無い

全ての現象は森羅万象

我々が現実と呼んでいるこの現象は全部が全部森羅万象の現れです、、、森羅万象の現れでないものは一切ない、、、この森羅万象の現れを、、、我々の観念が物質化したのが現実と呼ばれている世界です。。完全なるユニティ、たった一つの世界を森羅万象、、、動きのある世界として経験しているのが我々の現実世界です。すると、、この森羅万象の動きにおいて否定すべき現象は一切ないことが理解できます、、、否定すべき現象と肯定すべき現象があるならば、、、森羅万象の一部を否定することになる、、、なぜ???森羅万象の動きにおいて否定すべき動きがあるならば、森羅万象は不完全であるということになるのです。

辛い、悲しい、しんどいも森羅万象の動き

辛い、悲しい、しんどいも、、、エネルギーです、エネルギーに言語を当てはめると、、悲しい、辛い、しんどいに変換されます、、、このエネルギーは完璧に森羅万象の現れです。。。この感情は否定すべきものでは絶対にないのです、、、では我々は悲しい、辛いをどう処理したらいいのか???完全なる無抵抗しかないのか???その通りです、、、、この悲しいが森羅万象の動きであることを悟るために悲しいというエネルギーが湧いているのです、、、無視するのではなく、、、そこを直視し、、森羅万象の現れが起きているという事実に向き合うのです。

現象を個人的に捉えると辛いが湧いてくる

老後のために二千万円貯めないと大変なことになりますよ、、、こんなニュースを観れば誰でも、、、しんどい、、が湧いてきますね、、、、実際には何が起きたのか??老後のために二千万円貯めないと大変なことになるというニュースが森羅万象の動きとして現れたのです、、あらゆる因果関係、縁起によって、化学反応によって、、このニュースが現象化したのです、、ただそれだけ、、、、では本当に老後二千万円貯めておかないと大変になるのか???全く分かりません、、、なぜならばそのニュースはただの現象だからです。

そこに向けて準備ができない自分はダメ

社会人として、分別ある大人として、、、老後のために準備ができない自分はダメ人間である、、、しっかりしなきゃ、、、これが間違った認識です。。。。我々の全動きは森羅万象の動きです、、、、老後のためにどういう動きをするかは森羅万象の動き次第なのです、、、今もその森羅万象の動きの中に居ます、つまり完璧なのです。。。一円たりとも老後のために貯めないが起きたら、、、それが森羅万象の動きなのです、、完璧です、、、1億老後のために貯めるが起きるかもしれません、、それも完璧です、、、一億円貯め込んで、、一円を使わずに脳出血で死んでも完璧です。

否定できる行動がない

森羅万象の動きを否定できる人間が居ても、、、その動きも森羅万象の動きです、、完璧です。。。ですが森羅万象の動きを否定している期間は少なくともこの真実を理解していない証拠です、、、イエスキリトとは処刑されましたが、、これも森羅万象の動きです、、、、ヒトラーが大量殺戮したのも森羅万象の動きです、、、マザーテレサの救援活動も森羅万象の動きです、、、

何でもできるようになる???

真逆

悟れば何でもできるようになる???真逆です、、、、機能としての自分しかそこに居ないという気づきです。。体が強い自分は、、この体を機能としとしてより役に立たせる方向に行くかもしれません、、、言語が得意な自分は、、言語を生かした機能といて役に立っていくかもしれません、、、自分とは機能に過ぎないという徹底的にドライな捉え方です。

機能になるのが気持ちが良い

歯車の一部、、、社会の歯車の一部になるのが面白くない、、、エゴはそう考えるでしょう、、、全く満足できないからです。。この自分を機能ではなく、、アイデンティティーとして捉えれば、、もっともっと自分を大きくしたくなるわけです、、、ですが機能に過ぎないのです。。この体は、、、、ですが今まで思っていたエゴとしての自分はこんな小さなものではなく全体、森羅万象全部、気づきの意識そのものなのです、、、体は機能に過ぎません、、ですから歯車の一部でしかありません。

意識と体の徹底分離

意識は壮大で全部、ですがこの体は社会の機能の一部でしかない、、これが事実、真実です。、、、ここを徹底的に分離させます、、、ここを分離できない場合、、、この体を大きく大きく見せようとする動きが始まりますがこれが苦しみのもとです。意識はこの宇宙、見える世界を今作り出している張本人です、、ですがこの体はその中の現象の一部でしかない、、どこまでいっても機能でしかありません。