幻想

二元が存在するには非二元が必要になる

幻想の存在が成り立つにはそれに気づく非幻想が必要

音の存在に気づくには静寂が必要です。幻想の存在に気づくには非幻想が必要になります。ゆえに我々はこの幻想であり、幻想ではない存在です。幻想がなければ非幻想の存在は全体に気づけませんから、、この2つは一つなのです。幻想と非幻想が全く別の場所にあるのではなく、、この二つは全く同じ場所にある、、そしてその場所が存在しえる場所はありませんから、、、無ということになります。

光の存在に気づくには闇が必要

光の存在に気づくには闇という光が全くない存在が必要になります。闇に光が差し込んだときに、、その光に気づくということが起きるのです。光、闇は二つで一つです。光は闇抜きには存在しえないのです。同時に闇も光の存在が登場して初めて闇に気づくことができます。自分という存在を感じるためには非自分という存在が絶対的に必要であり、、ゆえに非自分は確実に存在し、、自分という幻想も確実に存在するのです。自分という幻想と非自分という絶対的存在は二つで一つなのです。だからこそ自分を消そうとする試みは無駄に終わるのです。

自分が非自分を誕生させる

自分という幻想の存在があるからこそ、、非自分という真我の存在は登場できます。真我しか存在していなければ真我は存在しえないのです。自分という非自分、非真我の誕生によってこの世に非自分、真我が誕生したのです。自分という存在をかんじる時、、非自分、真我の存在を感じることができるのです。これが悟りです

幻想しか存在しえない場所

自分

この世界は幻想です、変幻自在に変化する万物は全て現象です、、ではこの体の中に居ることになっている自分という存在、、これは幻想ではないのでしょうか、、間違いなく幻想です。。。幻想以外存在しえないからです。。自分が幻想であるとしたら、、、この在るという絶対的な感覚、、これはなんでしょうか、、居るという感覚、、、これはなんでしょうか????それが本当の自分、真我です。あなたが思っている自分という存在は幻想で、、、在るという感覚のみが絶対存在です。そしてこの幻想の全てはこの絶対存在の鏡に映った姿です。

お互いが目覚めるために存在する

幻想の意味

真実はたった一つです、この真実にたどり着くために全幻想が存在します、、苦手な相手、結婚相手、友人、子供、親、、、全ての幻想がこの真実に導くために存在しているのです。ですから人間関係は常に苦しみが伴うのです、悟りが開かれる、目覚めが起きるまでこれはエンドレスに続くのです。マトリックスの映画に出てくるエージェントスミスはまさにこの役、主人公のネオが覚醒するまで誕生し続けていきます。つまりエージェントスミスは覚醒の最大の味方でもあるのです。

悟りが開かれるまで、、

この苦しみは、、悟りが開かれるまでエンドレスに続きます、成功を治めても、大金を得ても、名声を得ても、安定を得ても、、、確実に苦しみが終わることがないのです。それは大いなる勘違いをしているがためにです。大いなる勘違いはこの幻想の世界で食べていくには有利ですが同時に苦しみを生み出すのです。ということでこの苦しみを解消するには悟る以外にないのです。

悟りに興味が出たら

悟りに興味が出始めたならばそれは大きなチャンスです、、仕事、友人関係、などの物質的、精神的満足を追いかけても一切幸福になれないことに気づけたならば、、、本気で悟りに意識が向かうことになります。ですがこれは誰しもに起こることでは絶対になくだからこそこれはチャンスなのです。そしてそうなったらこっちのもの、仕事、友人関係、地位や名声などのために頑張るなど辞めてしまってただひたすらに悟りを追い求めます。そして追い求める存在自体が実は存在していないという気づきが起こるまでこれを続けます。

誰が個人に気づくのか?

個人が在るに気づくのは誰か?

私は絶対に居ます、ではそのことに気づいたのは誰でしょうか???個人の存在を絶対的に気づいたのは誰でしょうか???ここが分からなければ先に進みません。音に気づくのは何でしょうか???音に気づくのは静寂です。光に気づくのは何でしょうか??光に気づくのは光がない状態、暗闇です。個人というのはアイデアでありこのアイデアに気づくのはアイデアが全くない状態です。

この幻想は、、幻想が全くない状態が気づく

この幻想、全ての現象は、、、この現象が全くない状態が気づきます。色(現象)は空の存在があるからこそ気づかれるのです。全現象はその瞬間に空によって気づかれます。「空」が気づくのではありませんが、、空の存在があるからこそ、、気づきが起きるのです。だから我々は全現象を気づくことができるのです、そして我々というこの存在も気づかれています。それは空という万物を生み出す存在があるからこそです。

気づく、気づく、気づく

とにもかくにも、、全現象への気づきは空の存在を絶対的なものしていきます、個人が居るという気づき、暑いという気づき、寒いという気づき、眩しいという気づき、、全気づきは、、空の存在、そして色の存在あってこそ起こるのです。我々の本質は空であり、、空から現れる色でもあります、、、その証拠がこの気づきなのです。そんなことが分かって一体何の意味があるのか???これが分からないから、実感できないから個人は幸福を求めて彷徨うのです。この現象が思うような形になったら幸福になれるのでは?と。ところが我々の本質は空であり、そこから起こる全現象(色)ですから、、、この現象を個人がかき集めても一切幸福になりません。

背骨を通す

基本

ヨガ、アーユルヴェーダ、気功、、、、などの基本は最終的に背骨を通します、、、、背骨の浄化、背骨の解体、、、どうやらこの背骨が覚醒しているか否かが、、、重要になる、、、、背骨の覚醒が、、、そのまま悟り、、、感受性の局地、、、あるがままをあるがままに感じる体にする、、、、

下半身という土台

下半身は、、、、しっかりと強靭に、、、、かつ柔軟性高く、、、、これによって、、、背骨をしっかりと支え、、背骨が安定する、、、、そして脳からの指令が、、、的確に届いていく、、、、五感が解放されていく、、、五感が開いていく、、、、五感がこの世界をありのままに捉えていく、、、、

この幻想の世界で、、、

この幻想の世界で、、、、五感を開くとは、、、、幻想の世界に生き生きとした体験を生み出すということ、、、虚という実在しない世界に、、、、実という生命を生み出します、、、それが五感の役割です、、、、何もいらない、、、ただここに居るだけで、、、生命が湧き出し、、、生命と共に在る状態に至ります、、、、何かを手に入れたからではなく、、、、その何かと共に居るだけで充実、、、ここに至ります。

五感開発マシーン

この体

この体を五感開発マシーンとして捉えます、、、この幻想を最大限感じるマシーンにしてしまいます、、、この幻想は体験しかできない場所です、、、この体験だけが真実です、、事実です、、、だから、、、、この体験の密度を上げていきます、、、、そのためには五感の鋭敏さを上げていく、、、これしかありません、、、、ここから離れると思考に取り込まれます、、思考の甘い罠に取り込まれます、、、

思考はいつでも、、、

思考はいつでもフル回転待ちです、、、思考はいつでも刺激に満ちています、、、いつでも悩みたい、考えたい、、なんでもしたい、、、だからフルオープンです、、、、ですがここに入ると抜け出れなくなります、、、なぜならば簡単だから、、思考に入り込むのは、、、、五感を開くよりも、、、思考にふける方が簡単なのです、、、だから、、、、退屈が解消しない、、、

思考に逃げない、、、

思考にこの退屈を解消してもらおうとしないことです、、思考ができることは幻想を作り出し刺激を与えてくれるだけです、、、本当にこれだけなのです、、、、、退屈解消は実は全くしていない、、、こん真実に触れることとは全く関係がないのです、、、それが思考です、、、、真実は体験でしか味わえない、、その真実が今この目の前に現れています。。。

下部チャクラの不活性は、、、現実を退屈にする

退屈な野生動物は居ない

退屈に悩む野生動物は、、、この現実の世界では存在しません、、、、退屈とは人間特有の状態です、、退屈はどうやって生まれるのか????退屈は五感が閉じた時に起きます、、、、五感が閉じ切って、、、この幻想の世界を感じることができなくなった時に、、、退屈が襲っていきます。そしてその退屈を解消するために思考をフル回転するのです、、つまり妄想で満足しようとする動きが起こります。ですが野生動物にはこれが起きない、、、それはこの現実が全く退屈ではないからです。

五感を野生動物並みに

五感を野生動物のように開いていきますと、、、、このありのままの世界がありのままに見えてきます、、、ただ街を歩くだけで、、、、背景に光が輝くのです、、、白い光の中から物体が生まれるのが分かります、、味覚が研ぎ澄まされ、、、全てが美味しくなります、、、、、音に静寂が宿り、、、、、、喧騒でも静寂を感じます、、、全ての現象に神が宿るのです、、、これが悟りの階段です。

下部チャクラを開く

下部チャクラを開きますと、、、、この幻想の中の動きが大きく変わります、、、一番大きく変わるのは、、、この体という幻想です、、、この幻想が動くのです、、、、動き回りたいという衝動が起き、、、その動きは非常にシンプルです、、、そうだ、、、シンプルな動きこそが気持ちが良いという気づきも同時に起こるのです。そうだ、、、この地球は神の遊び場だ、、、、という気づきが起きます。。。。リーラです。今退屈ならば何も考えずに、、、下部チャクラを活性化させます。。。。たったそれだけで人生に活気が戻ります。

体はいつも全部を感じたい

自我システムの陰転

体は本当は野生動物のように、、、ノーストレスで過ごしたい、、、至福、静寂の中で過ごしたい、、、ですがこの自我OSシステムによって、、、体の安全確保が優先される、、、、結果、、、、思考に振り回され、感情に振り回されて、、、五感が閉じていく、、、、五感が閉じれば、、、、常に退屈、、、新鮮さが、、、この世界から消える、、、、新鮮さが抜け落ちた世界で、、、益々思考がフル回転し、、、刺激だけを体に与え続けるのです。

自我システムの功績

全部をありのままに感じたい、、、この衝動は全体から起こり続けます、、、、ですが、、、、自我OSシステムは、、そうはさせない、、、、、ところがこの自我OSシステムも、、、、全体から起きている、、、、ではこの目的はなんだ?????そうです、、、この世界(幻想)は全体から離れるという幻想が生み出しており、、、この幻想を生み出す大元は、、、、この体験を積みたくてこれを起こしているのです。自身が全体であるという認識が欲しくて、、、、分離体験が起こり続けているのです。

目的が分かったならば、、、、

そうです、、、悟ることが目的なのです、、、自分は全部だった、、、ただこれを経験したい、、、そのための分離体験、、、、ならば早くそこを体験しましょう、、、、、、目的はそれだけですから。。。。全体が、、、お金、名声、安定、称賛を欲しがるわけがない、、、なぜならば全部自分だから、、、、つまり、、、、、この衝動は、、、全体に戻るための、、、序章に過ぎない、、、、何を手に入れても満足できないという気づき、、からの全体への帰還、、、、、への衝動、欲求、、、、、、これだけが真の欲求です、、、、それ以外はそれに気づくための、、、、分離体験。

世界は私の中にある

これまで一度も世界の外になど居たことがない

この五感が掴んだ世界にしか我々は居たことがありません、、五感で感じた世界は、、、我々の世界であり、、この五感が感じていない世界は、、存在していないのと同じです。。事実我々は、、、、この五感が感じた世界に生まれ、、、今までこの五感で感じていない世界には住んだことがないのです。世界は我々の五感の中にあり、、そこ以外に存在しえないのです。

固定した世界は存在しない

固定した世界が先ずはあって、、、そこを我々の体が感じるのではなく、、、我々の感じたもの、、、=世界です。、、、世界は全くの幻想であり、、、固定した世界は存在しません。我々の五感=世界です。。。つまり五感を開いていけば、、世界はいくらでも変化します、、、我々の五感が全てです、、、、この事実をしっかりと捕まえて、、生きていきますと、、、世界は本当に素晴らしい、、この世界は無限の可能性に満ちているということが分かります。

幼児はそのことを分かっている

幼児が遊びに夢中になるのは、、全部が自分であることを確信しているからです、、、自分の中で蝶が起こり、自分の中でセミが鳴き、、、、自分の中で宇宙が広がります、、、この事実が分かってしまって、、、一体何をこれ以上求めるのでしょうか????この求めるという衝動自体が大勘違いから起きているのです。

体を開く

体を開きます、、ヨガ、ストレッチ、マッサージ、瞑想、鍼灸、、、、あらゆるメソッドを使い体を開きます、、、体を開くとは体の感覚、、効くという感覚に徹底的に寄りそうのです、、、、徹底的に効くに拘ります、、、すると徐々に体が開いてくる、、、、デトックスが進み、、体の流れが解放され、、、各経絡、各チャクラが、、整ってくる、、、、この時五感が鋭敏になり、、、世界が変わるのです、、、世界から退屈が抜け落ち、、鮮明になります、、、明晰になります、、、静寂、平和が訪れます。

下部チャクラを開く

思考は、、、上部チャクラ

現実が退屈だからと言って、、、、上部チャクラを動かし、、、思考にふけていますと、、、益々下部チャクラが、、閉じ込み、、、、、、バランスを崩します、、、、今、、、、現実が退屈なのは下部チャクラが閉じているからであって、、、その解決方法を上部チャクラに依存すれば、、、、益々下部チャクラが閉じ、、、さらに現実が退屈になるという負のスパイラルに入ります。現代人の多くはこのパターンです。

下部チャクラを活性化する

下部チャクラを活性化しますと、、、自然と動ける体になります、、、現実を切り開く力が湧きます、、、この現実(実は幻想)を切り開く力がつくことで、、、退屈から解放されます、、、、思考にふけるのはなんと言っても現実が退屈だからです、、、だからこそ、、、下部チャクラを活性化して、、、、この現実を動き回れる体にしてしまい、、、退屈から解き放たれます、、、、

退屈の反対が満足

思考ばかりが先行する、、この世界は、、、、退屈ゆえに起こります、、、退屈だから思考しよう、、、退屈だからせめて思考して刺激を作ろう、、、この連続です、、、、そうではなく、、、、下部チャクラを最初から活性化してしまい、、、、動ける体を手に入れます、、、五感を活性化して、、、、五感が鋭敏になり、、この世界(幻想)をしっかりと感じることが出来た時に、、退屈が無くなり、、充実に変わります、、この充実の延長線上が、、大充実=悟りです。

開脚という動き

下部チャクラの活性化には、、、足の開発が重要です、、脚という体の部位を徹底的に活性化していきます、、足裏マッサージ、、ストレッチ、、ヨガ、、なんでもいいので、、、徹底的に動かします、、癒着を剥がし、、、滞りを解消するのです、、、これによって、、、下部チャクラは活性化し、、、第一チャクラから、、順番に開いていきます、、、、すると五感が研ぎ澄まされて、、、退屈ではなく大満足、大充実が起きます。