二元が存在するには非二元が必要になる

幻想の存在が成り立つにはそれに気づく非幻想が必要

音の存在に気づくには静寂が必要です。幻想の存在に気づくには非幻想が必要になります。ゆえに我々はこの幻想であり、幻想ではない存在です。幻想がなければ非幻想の存在は全体に気づけませんから、、この2つは一つなのです。幻想と非幻想が全く別の場所にあるのではなく、、この二つは全く同じ場所にある、、そしてその場所が存在しえる場所はありませんから、、、無ということになります。

光の存在に気づくには闇が必要

光の存在に気づくには闇という光が全くない存在が必要になります。闇に光が差し込んだときに、、その光に気づくということが起きるのです。光、闇は二つで一つです。光は闇抜きには存在しえないのです。同時に闇も光の存在が登場して初めて闇に気づくことができます。自分という存在を感じるためには非自分という存在が絶対的に必要であり、、ゆえに非自分は確実に存在し、、自分という幻想も確実に存在するのです。自分という幻想と非自分という絶対的存在は二つで一つなのです。だからこそ自分を消そうとする試みは無駄に終わるのです。

自分が非自分を誕生させる

自分という幻想の存在があるからこそ、、非自分という真我の存在は登場できます。真我しか存在していなければ真我は存在しえないのです。自分という非自分、非真我の誕生によってこの世に非自分、真我が誕生したのです。自分という存在をかんじる時、、非自分、真我の存在を感じることができるのです。これが悟りです

(Visited 3 times, 1 visits today)