誰が個人に気づくのか?

個人が在るに気づくのは誰か?

私は絶対に居ます、ではそのことに気づいたのは誰でしょうか???個人の存在を絶対的に気づいたのは誰でしょうか???ここが分からなければ先に進みません。音に気づくのは何でしょうか???音に気づくのは静寂です。光に気づくのは何でしょうか??光に気づくのは光がない状態、暗闇です。個人というのはアイデアでありこのアイデアに気づくのはアイデアが全くない状態です。

この幻想は、、幻想が全くない状態が気づく

この幻想、全ての現象は、、、この現象が全くない状態が気づきます。色(現象)は空の存在があるからこそ気づかれるのです。全現象はその瞬間に空によって気づかれます。「空」が気づくのではありませんが、、空の存在があるからこそ、、気づきが起きるのです。だから我々は全現象を気づくことができるのです、そして我々というこの存在も気づかれています。それは空という万物を生み出す存在があるからこそです。

気づく、気づく、気づく

とにもかくにも、、全現象への気づきは空の存在を絶対的なものしていきます、個人が居るという気づき、暑いという気づき、寒いという気づき、眩しいという気づき、、全気づきは、、空の存在、そして色の存在あってこそ起こるのです。我々の本質は空であり、、空から現れる色でもあります、、、その証拠がこの気づきなのです。そんなことが分かって一体何の意味があるのか???これが分からないから、実感できないから個人は幸福を求めて彷徨うのです。この現象が思うような形になったら幸福になれるのでは?と。ところが我々の本質は空であり、そこから起こる全現象(色)ですから、、、この現象を個人がかき集めても一切幸福になりません。

(Visited 3 times, 1 visits today)