呼吸法

覚者が解放を語りたがらない理由

周囲はストーリーを聞きたがる

どのタイミング、何をやって、どういう状態で解放が起きたんですか?????悟り本、ノンデュアリティスピーカーにまつわるエピソードでここがもっとも注目トピックです。質問者の多くがここが知りたい!第定番です。ですが、、覚者はこの質問にウンザリした顔をします。なぜでしょうか??????それは多くの人はエピソード、ストーリーを聞きたがるからです。ところが見かけ上の覚者が気づいたことは、、ストーリー、私が思考が作り出した幻想だった、、、という気づきです。ストーリー上の何かの要因がそれを起こしたのではなく、、ストーリーそのものが幻想だったっという気づきなんです。

マリオに何を聞く????

見かけ上覚者になったマリオに、、、質問者が聞きます、、、クッパを倒したその瞬間に悟りが起こったんですか????第7ステージで何度もドラム缶から落ちたときに悟りが起こったと聞きましたがなぜなんでしょうか????マリオはある時、、確かにこの画像が全てゲームで、、このマリオも画像に過ぎないことに気づきました。時間も空間も実はゲーム上のことだったと、、その気づきと、、クッパ、ノコノコ、、第何ステージ、、、とかあまり関係ないんです。

そうか!!クッパを倒せばいいんだな!

マリオがたまたまクッパを倒し切ったとき悟りが起こったと聞けば、、多くの方は、、、、よし私もクッパを倒して悟りを開こう!となります。ですが状況は実は悟りとは何も関係がないんです。ゲームがゲームに気づくタイミングって千差万別過ぎるんです、、、全状況によって異なるはずです。だからそこはあまり重要ではないんです。しかも気づくのはマリオじゃないんです、、マリオこそが画像に過ぎないという気づきですから。

呼吸法

呼吸法とはマリオというキャラの脱皮です、、ゲームの中から抜け出す方法です。呼吸法で思考、マトリックスの世界から飛び出します。思考に意識が意識している状態から意識が思考ではなく体に意識するように誘います。視界がはっきりと変わるまでこれを行うとき、、、マリオを通じた世界ではなく、、世界が世界を認識するようになります。世界がコーヒーを味わい世界がコーヒーの香りを感じます。そこにはもうマリオが居ないんです。

今と過去未来は次元が違う

今は今

過去現在未来、、この言葉が三つ並ぶことで、、、この三つは一直線上にあるかのように感じますが実は全く異なるものです。過去未来を実際に見た人はいないでしょう、、、現在を見ることはできますね!過去や未来は今(現在)に思い浮かぶことで現れる現象です。過去と未来は今がなけれな存在できないのです。一方現在は過去や未来がなくても存在できます、過去という記憶が飛んでも今は存続できます。過去と未来は現在の産物であり思考です。

自分も今には存続できない

記憶喪失になると「自分」が飛びます、、、現在に「自分」が居なくなるのです。自分とは過去の中にしか存在しません。今自分を思い浮かべることはできます、、ですがそのためには過去の記憶が必要になるのです。記憶が飛ぶと存続できない「自分」とは思考が作り上げた産物です。では現在に起こることは何か???体験だけです、「自分」不在の体験だけが起こります。

過去を振り返る、未来を想像する

今できることは過去を今振り返る、未来を今想像する、、これができます。過去を今作り出し、未来を今作り出すのです。今とは過去未来製造の場です。そして今は全経験の場です。今とは全現象、全経験を生み出す場なのです。今から全現象、全経験を全消去しますと何が残るのか?????全現象、全経験を生み出すスペースが残ります。これが我々の本質、空です。

呼吸法でこれに気づく

上記のことを頭で理解しようとしても頭の中のマトリックスの世界に閉じ込められます。それを理解しようとすることで「益々」思考優位になるからです。つまりマトリックス優位になるのです。ではこれらを簡単に理解したらあとはどうするか?????実践です、マトリックスから抜け出す実践です、、思考の罠から呼吸法で抜け出します。思考を使って抜けるのではなく呼吸法という実践で抜け出すのです。

思考の住民

思考の中に住んでいる

これは見かけ上の話ですが、、多くの方は思考の中に住んでいるように見えます。生きているけど、、住んでいる場所が思考の中なんです。いまここには居ない、、現実的には居ないことは不可能なんですが、、意識が思考に向けられているのです。見かけ上ですが。意識が思考に向けられていますと、、思考は幻想をその場で作り出し、、「私」も当然に作ります。つまり思考の中で私をやっているのです。

リアリティ

いまここが究極のリアリティであり、、ここは真の安らぎの場所です。ですがここにある真の安らぎには目を向けず、、思考の中の私が、、次の何かに向かって常に突き進んでます。そして突き進む目的はこの真の安らぎなのです。ですがいまここにある真の安らぎを思考の中の「私」は見つけることはできません。なぜならば「私」は思考の住人だからです。

思考から意識を抜く

意識とは本当はそのままで意識なのですが、、その意識がある特定の場所に意識することができます。意識が人間の思考に意識しますと、、思考がグルグルと湧き続けます。この思考が沸き続ける状態が思考の住人を生み出します。意識を思考ではなくいまここに向けますと、、真の安らぎを発見できます。呼吸法や瞑想で意識を思考から外すトレーニングをしますとその感覚が掴めるようになります。

ノンデュアリティすらも思考の餌に

本当は誰もいない?????

ノンデュアリティメッセージ、悟り系のメッセージは難解です。そのためこれを聞いた本人は何度もそれを思考の中で捏ねくり回し理解しようと頑張ります。ですが思考でこれを理解しようにも全く意味が分からない、、、そこで数学の問題を解くように次の人生課題にされてしまうのです。思考の世界、マトリックスの世界での餌にされてしまう可能性すらあります。

ノンデュアリティをイメージする?????

ノンデュアリティとはイメージできる世界ではないんです、、、全てのイメージが消え去った時に現れるのがノンデュアリティです。だから今からノンデュアリティをイメージしましょう!!!というのはおかしなことなのです。ですが本を読めば誰でもノンデュアリティってこんな感じだろうか???あんな感じだろうか????となります。ノンデュアリティをイメージするって不可能です、、、イメージは全て嘘ですよ!!というのがノンデュアリティです。

呼吸法

悟り本、ノンデュアリティ関連を書籍を読む時は言葉で読むのですからイメージするしかありません。言葉とはイメージを作りだす道具です。ですからこれはどうしようもない、、、ですがよく分からないからひたすらにさらに読むではイメージの世界から抜け出すことができないんです。イメージがある程度湧いたならば、、、次は実践です。イメージを落とす実践です。それが呼吸法や瞑想法になります。

疲れない

呼吸法を毎日続けると

呼吸法を毎日続けますと疲れなくなります。頭に意識が生き続けストレス物質を量産していた時期に比べると全くストレス物質が出ない状態になります。頭に意識が行く、思考量産、ストレス量産です。この流れをぶった切ります。腹に常に意識が行く、、思考、雑念が全く量産されない、、結果ストレスが全くでない、、となるのです。人間は活動するとストレスが溜まると信じていますがこれは頭を使って生きている、思考を使って生きているからです。

ストレスが出ない=疲れない

人間て基本疲れますよね????とんでもない話です、、疲れません、、、人間の頭に意識が登り続けると疲れるんです。だから呼吸法で強制的に下腹部に意識を向けます。これによって思考湧き出しモードが崩れ、下腹部安定モードにシフトチェンジします。思考が湧き出している期間、ひたすらに思考が湧きそれを全体、神が読み込みます。この読み込みによってイメージが湧き続け、、、イメージの世界に住うことになるのです。このイメージの世界は緊張感、孤独感を伴い疲弊します。

思考の流れをシャットアウト

思考の流れを完全シャットアウトします。たったこれだけで疲れなくなります、、仕事をすると疲れるのは無意識モード、思考モード、雑念湧き出しモードに入っているからです。この流れをいつも作らないように呼吸に意識を向けます。そんなことをしたら考えられなくなるんじゃないですか????違うんです、いつも考え続けて疲弊しているんです。この疲弊のリズムを断つんです。

狂う雑念

右手で何かを掴むまでは

雑念から焦点を外そうとしますと狂ったような抵抗にあいます、見事なまでの抵抗です。意識はこの思考に意識を集中させてこの体を生き伸ばせてきましたから、、勝手に思考から手を離すなどするわけがありません。この体のセーフティーネット=思考です。ですから思考を止めて、、、などのスローガンは無意味、無策、無駄です。そこで重要なこと、、それは理屈でまずは、、なぜ雑念に意識を意識しなくていいか???雑念がなぜ無駄か???を理解することです。頭でははっきりとその無駄を理解できますと、、あとはエクササイズで取り除くことに専念できます。

思考を一生無くすのではない

思考が悪いのではないんです、、思考集中モードが苦しいということです、、、勝手に次から次へと雑念が湧くのが苦しいのです。この状態が悟りの正反対の位置にあります。悟りとは思考からの脱却です。そしてこの社会では勿論思考は必要になりますから、、思考は使うべき時のみ使う道具に戻します。そのためには意識を思考に集中させることを辞めさせます。

思考に毒されているかの確認

思考法、瞑想などをやると、、、自身がどれほど思考に毒されているかが分かります。つまり思考が勝手に湧いてくることに嫌でも気付かされるのです。これがまず第一段階です。自身の思考中毒に気づくことが重要です。次に呼吸法、瞑想をやっていきますと、、明らかに視界が変わっていきます、、、この変化に気づくことが第二段階です。第3段階は、、、何か作業をしている時、仕事をしている時に、、、シーンと静まりかえった中でそれが行われていることに気づくことです。つまり全く意図せず静寂の中にいることができるようになります。

なぜ美味しいものを食べたいか知ってますか?

思考から胃袋に焦点がいく

食べると幸福感に包まれますよね????むしゃくしゃが止まりませんか????そうです、、、食べた瞬間に意識が思考から胃袋にシフトします、、頭部から腹部に意識が外れ、、、その瞬間思考の渦が止まるんです、雑念が止まるのです、その瞬間は悟りに入るのです。これが欲しくて、苦しみから一瞬でもいいから逃げだしたくて人は食に走るのです。

タバコもお酒も

世界の嗜好品というのは、、思考に集まった意識を他に外させるためのテクニックです、、思考に意識が意識し過ぎますと、、、「苦しい」が続くんです。この状態から逃げ出すために食事、タバコ、お酒、チョコ、ケーキがあるのです。だからこれは悟りを理解している人の行動なのです。思考に意識が集まりますと、、その間ひたすらに思考が作り出す幻想の中に閉じ込められます、、これが緊張と孤独を生み出すのです。

意識的に思考から意識を外す

つまりつまり意識的に思考から意識を外すことができれば、、、お酒もタバコも、食事も、甘いものも要らない、、となります。そうです、、、我々はもう嗜好品に頼らなくていいのです。ではどうするか????呼吸法です。呼吸を意識に意識させるのです。呼吸はどこで行われていますか????思考の中ではないですよね????つまり呼吸を意識するとは思考から意識を外すことなのです。これによってそこに居て苦しみを消すことができます。

湖の上での生活

悟りとは

悟りとは湖の上で生活しているような感覚です、、何をしていても静かなんです、、、シーンと静まりかえった感覚がいつもある状態、、、この状態は感情ではないです。感情は湧いては消えていきますが湖の上のような感覚は、シーンとした感覚は感情がない状態です。一度この状態を覚えますと、、嬉しい、幸せ、ハッピーみたいな刺激はどうでもよくなります。そんなことよりもシーンとした静寂にいつも包まれていたい、、そのような衝動に駆られます。包まれていたいという表現は間違い、、、包まれるというよりもシーンが広がっていく感覚です。

シーンを意識的に作る

シーンって意識的に作れます、、信じられないかもしれませんが出来ます。頭に意識が意織している時、、シーンは起きません、、、、思考グルグルが起き続けます。雑念ガンガン、雑音ガンガン状態です。この状態が苦しいのです。一方意識が頭にない時、、、シーンが起きます、、、体験したことないだろうシーンが起きるんです。つまり意識を思考、頭に意識させないようにすればOKです。

呼吸法

呼吸法は誰でも簡単にできる意織シフトツールです。呼吸に意識を向けますとそれは完全に頭ではない、思考でもないところに意識が意識できます。呼吸を深く行い、その呼吸に意識をしっかりと向けることで意図的に頭から体、下腹部に意識をシフトできます。思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。シーンがデフォルトになるまでこれを行います。

脱雑念

全員が知っている

何かあって苦しくなるのって結局は雑念が湧くか湧かないかなんです。。。。全現象は個人によって全く意味が異なります。例えば今回の松本人志さんの事件、、、この事件で雑念が湧く人は過去に浮気をしていたり、同じような行為をしていた人、さらに同じような被害にあった人々でしょう。この場合このニュースを見て雑念が湧くはずです。逆に言えば雑念が湧かないのならば全く苦しくはありません。

脱雑念プログラム

雑念を抜くには、、、雑念が起こるメカニズムを知らなくてはなりません。雑念が生み出されるメカニズムとは、、、思考に意識がフォーカスされているということです。体で言えば頭部に意識がフォーカスされている場合ひたらすらに思考が湧きます、雑念が湧きます。意識的に湧く思考は雑念とは言いません、、、勝手にひたすらに湧く思考を我々は雑念と呼びこれが苦しみのメカニズムを作るのです。

意識を頭部ではなく腹に移す

意識を頭部ではなく腹に移します、、多くの人は勝手に頭部に意識がフォーカスされているはずです。これを腹に落とすのです、どうやって?????呼吸法でお腹に意識を集中させ何度も意識を腹に集中させるのです。これによって勝手に頭部に意識が行くのを防ぎ、、自然と腹に意識が収まるように導くのです。これを何度も繰り返していますと湖のように思考が静かになります。

そんな簡単じゃ困るんですけど

そんな簡単に悟れちゃったら困ります

思考は言うでしょう、、そんな簡単に悟れるんだったら苦労しないですよ!!!!!だったら全員が悟れるじゃないですか!!!!そうです、、こうやってずっと騙してきたんです!!!!!簡単であるはずがない、、、難しいのだからこの俺様(思考)を使えと、、、俺様(思考)無しで悟れる?????甘いっしょ!!!!です。

俺様(思考)から意識を逸らせば即悟り

ところが、、その俺様(思考)に意識を向けない方法が分かってしまいますと、、、全くもって苦しくないんです。全く苦しくないんてあり得るでしょうか????ありえるんです。まじなんです。だって「苦しい」はこの思考が自動起動して起こっていただけだからです。思考とは、、イメージであり、、そのイメージが、、そのまま苦しみを作りんです。

だからやることは簡単

苦しい、、、じゃあ悟ろう、、そのためには俺様(思考)が必要だろ???????に乗ったら終わりです。俺様(思考)ではなく、、、、意識を下腹部に置くのです。呼吸法を用いて、そこに意識を向けていきます。頭にずっとあった意識を下腹部にシフトチェンジするんです。。。。すると、、、、思考の自動起動が起きません。全く起きません、結果的にその場で悟りが開きます。悟りを閉じさしていたのは思考です、この思考が湧かない=悟りが開く、、です。