自分中毒こそが最強の中毒
中毒とは意識していないにも関わらずそこに依存してしまうこと、、、いつの間にかそれを手にしている、、、お酒、タバコ、ギャンブル、買い物、異性、、、、これらはこの自分劇場では中毒の対象です。ですが本当の中毒とは「自分」です。いつの間にかこの自分を意識しています。自分という実際には存在しない記憶上の概念、これに中毒するのです。「自分が居る」「自分が言われた」「自分は何をしよう」「自分になぜ不幸が」とこうなるのです。すべてを自分ごととして捉える、、中毒です。これを解消しようとする動きこそがタバコ、お酒、異性、ギャンブル、買い物などです。この瞬間は自分を忘れることができます。
要はこの体を自分と思い込みすぎる、、、
マリオを初めてプレイするプレイヤーはマリオに成り切ることはできません、なぜならば思うようにプレイできないからです。全然自分の思うようにプレイできないマリオに感情移入できないのです。ですが何時間も何日間もプレイを続けるとまるでマリオになり切ったかのようにプレイがスムーズに進むようになります。そうなるとこのスーパーマリオが楽しくて仕方がない、、マリオになり切ってプレイするようになるのです。そしてどんどんステージが進みかなり難しいステージに至った時に壁にぶつかった時に非常に苦しい時期を迎えます。もうすでにマリオになり切っている、だがこの壁を突破できない、、、帰る場所がない状態です。八方塞がりの状態です。人間もこれと同じでこの体が大人と同じように成長していくとやりたいことを何でもできるようになっていきます、この段階は全体が人間に成り切る状態です。最初のうちは何でもやりたいように動けるこの体が楽しくて仕方がない、、、ところが徐々にステージが上がり責任が増えていく、、、壁にぶつかる、、、そんな時にもう戻れる場所がない、、、こうなるのです。
人間になり切った全体は、、壁にぶつかり、、、諦める
マリオになり切ったプレイヤーはステージが進むにつれて難易度が上がり、、途中で我に帰ります。俺はマリオじゃなかった、プレイヤーだ。。これが人間ゲームでも全く同じように起こるのです、人間になり切ってゲームを進めていくうちに徐々にステージが上がる、就職、結婚、出産、出世、お受験、転勤、大病、、、、とステージが上がっても上がってもどこまでも続くこの人間ゲーム、、、責任だけは以上に増えて重さが増していきます。もうこれ以上は重さに耐えられない、、、そんな時に我に返るのです、、、それが悟り、一瞥体験、目覚めです。自分はこの体ではなかった、、、全体、ワンネスだった、、、