マトリックス

今と過去未来は次元が違う

今は今

過去現在未来、、この言葉が三つ並ぶことで、、、この三つは一直線上にあるかのように感じますが実は全く異なるものです。過去未来を実際に見た人はいないでしょう、、、現在を見ることはできますね!過去や未来は今(現在)に思い浮かぶことで現れる現象です。過去と未来は今がなけれな存在できないのです。一方現在は過去や未来がなくても存在できます、過去という記憶が飛んでも今は存続できます。過去と未来は現在の産物であり思考です。

自分も今には存続できない

記憶喪失になると「自分」が飛びます、、、現在に「自分」が居なくなるのです。自分とは過去の中にしか存在しません。今自分を思い浮かべることはできます、、ですがそのためには過去の記憶が必要になるのです。記憶が飛ぶと存続できない「自分」とは思考が作り上げた産物です。では現在に起こることは何か???体験だけです、「自分」不在の体験だけが起こります。

過去を振り返る、未来を想像する

今できることは過去を今振り返る、未来を今想像する、、これができます。過去を今作り出し、未来を今作り出すのです。今とは過去未来製造の場です。そして今は全経験の場です。今とは全現象、全経験を生み出す場なのです。今から全現象、全経験を全消去しますと何が残るのか?????全現象、全経験を生み出すスペースが残ります。これが我々の本質、空です。

呼吸法でこれに気づく

上記のことを頭で理解しようとしても頭の中のマトリックスの世界に閉じ込められます。それを理解しようとすることで「益々」思考優位になるからです。つまりマトリックス優位になるのです。ではこれらを簡単に理解したらあとはどうするか?????実践です、マトリックスから抜け出す実践です、、思考の罠から呼吸法で抜け出します。思考を使って抜けるのではなく呼吸法という実践で抜け出すのです。

ノンデュアリティすらも思考の餌に

本当は誰もいない?????

ノンデュアリティメッセージ、悟り系のメッセージは難解です。そのためこれを聞いた本人は何度もそれを思考の中で捏ねくり回し理解しようと頑張ります。ですが思考でこれを理解しようにも全く意味が分からない、、、そこで数学の問題を解くように次の人生課題にされてしまうのです。思考の世界、マトリックスの世界での餌にされてしまう可能性すらあります。

ノンデュアリティをイメージする?????

ノンデュアリティとはイメージできる世界ではないんです、、、全てのイメージが消え去った時に現れるのがノンデュアリティです。だから今からノンデュアリティをイメージしましょう!!!というのはおかしなことなのです。ですが本を読めば誰でもノンデュアリティってこんな感じだろうか???あんな感じだろうか????となります。ノンデュアリティをイメージするって不可能です、、、イメージは全て嘘ですよ!!というのがノンデュアリティです。

呼吸法

悟り本、ノンデュアリティ関連を書籍を読む時は言葉で読むのですからイメージするしかありません。言葉とはイメージを作りだす道具です。ですからこれはどうしようもない、、、ですがよく分からないからひたすらにさらに読むではイメージの世界から抜け出すことができないんです。イメージがある程度湧いたならば、、、次は実践です。イメージを落とす実践です。それが呼吸法や瞑想法になります。

悟りの勝利

全人類が敵???

悟りに関して言えば、、完全なる孤立無縁状態、、、この状態で戦うことを楽しめないと難しいでしょう。なぜならばマトリックスの世界で苦しむ人々は、、、、ここから出られることを嫌います。一人だけ何楽な世界に行こうとしてるんだ!!!です。そして悟りを開いた?????嘘に決まっている、気持ち悪い、、、という反応を示すでしょう。スクリーンの中に閉じ込められた人々にとってここから出るというアイデアはパニック以外にないのです。

静かに静かに

だから悟りは声だかに宣言しては駄目です。。。静かに静かに水面下で開きます。エージェントスミスの手口を完全マスターし、、、今どのような手口を戦っているかを理解していきます。スーパーマリオの100倍面白い戦いが始まります。だって周囲は完全に盲目、無知、勘違いですから、、、その中で悟りを開くって最高に面白いのです。

手当たり次第に

煩悩がまだ残っていればその煩悩は全部現象化して「私」の前に現れるでしょう、、、それらから逃げるのでなく体験していきます。。。なるほどこんな感じね!!!です。つまりこのゲーム、幻想は悟りがゲームクリアですがだからといってワープが素晴らしいのではないのです。何も体験しないではい悟り!!、じゃないんです。経験したいことは根こそぎ経験でいいんです、、、ですが重要なこと、、その経験が苦しみから救ってくれることはないということです。苦しみの解放は悟り以外にありません。

エージェントスミスの最後の逆襲

幻想ではない

エージェントスミスは、、、多くの場合現象としてあなたをマトリックスの世界に閉じ込めようとします。試しに悟りを真剣に開こうと思うと友人家族会社で言ってみてください。。。99%が怪しい目で見てくるか、バカにしてくるか、、嫌悪感を出してくるはずです。つまり応援者はゼロだということです。応援者ゼロの中で悟りを開こうとうする勇者は少ないです。つまりこの戦いは先ずは孤独に耐えないと不可能なのです。

孤独に戦えばエージェントスミスは消える

悟りについて誰にも話さなければ、、エージェントスミスは一切現れません。話をして初めてエージェントスミスは登場します。孤独に耐えながらこの戦いを進めていきますとかなり深く理解できるようになります。ところで多くの場合、、、、思考を使った悟りの理解は進めでしょう、、、覚者の本を読む、YOUTUBEを見る、ブログを読む、、、これらはスムーズに行くものです。ですがエクササイズになると途端に止まります、、なぜかやらしてくれない、、、。

もっと簡単な方法あるかもよ????

エクササイズになった瞬間、、、、思考がざわめき出して、、、やめた方がいい、、、もっと簡単な方法あるかも、、、面倒じゃん、、、、となります。心の中で途端に面倒臭いの大合唱が起こるのです。これぞエージェントスミスの最後の攻撃、自我の存続維持戦略、、エゴの最終兵器です。。。。思考を使わない本当のエクササイズだけはやらせるわけにはいかない。悟りを思考の中で概念の中で理解するのは構わない、、、だが思考なしは絶対にダメだ!!!!です。なぜならば悟りとは思考の世界からの脱却だからです。

深刻

マトリックスの世界は深刻

マトリックスの世界を一言で言えば「深刻」です。この思考の世界は神が作った、真我が作った、、全体が作った、、、幻影の世界、、、ここに「私」を作り出し、、、「私がこの世界を生きる」という幻影を見事に作り出します。本当には居ないにも関わらずこれを作り出したのですからこれを維持するには緊張力、保持力が必要になります、これがストレスと呼ばれているものです。分離感を保持するには「緊張」が必要になるのです。

緊張=深刻

私が存在しているという勘違いは緊張を状態化します。つまり我々は状態化した緊張の中で生きているのです。それはつまりストレス製造機として存在しているということです。悟りとはこの現象、この夢物語が嘘であることに気づき、、思考の世界から抜け出すことにあります。「私」を保持するということから手を引き、、本当はいないんだからどうでもいいじゃん!!!に落ちることです。

マトリックスを出よ!!!

マトリックスの世界から出るためにはこの思考メカニズムを見抜く必要があります。私が居て、、、あなたが居てというこの思考の罠を見抜くのです。私もあなたも方便で、、私の人生も方便、、いつしか方便が方便じゃなくなって真実であるかのように扱われるようになった、、、、だからこれは方便なんだと今思い出すのです。

自我ゲームに引き摺り込もうとする動き

実際には

映画マトリックスでは、、、目覚めようとする主人公NEOに対し、、エージェントスミスがまるで悪意があるかのように徹底抗戦するわけですが実際のこの世界(夢)では、、、誰一人この見かけ上の「私」を悪意を持って目覚めさせない、、、という動きは起きません。そこには何の悪意もなく、、、ただ反応としてひたすらにこの「私」に話しかける(この中に私が居るという前提)が起こります。

関心は夢化し

「まっちゃんマジで????」がYahooニュースの記事になれば、、、松本人志のニュースがガンガン夢化し、、、見かけ上の「私」を誘惑します。異性に興味があれば「可愛い!!」と思う子が、、、私の前に現れては誘惑します。「あれ俺のことあの子見てなかった????」が起こるんです。地震が怖ければそれが連発し経済不況が怖ければそれが連発する、、、恐れていことは次々に夢化し、、その影響を受けるかもの「私」を意織させるのです。

「私」に関心がある限り

実は実はこの「私」という架空の存在に関心が集まる限り、、「私」を取り巻くドラマが終わることはありません。そうです「私」に関心があるからこの「私」ドラマが続くのです。「私」に関心がなくなりますと「私」ドラマが起きないんです。この夢では関心が広がるようになっています。真実に関心が集中しますと真実が広がっていき「私」ドラマが終焉に向かいます。「私」に本当に関心があるのかないのか????です。

全ては練習問題

練習問題としてのエージェントスミス

心を揺さぶる問題が起こるといましょう、、この心を揺さぶる問題はなぜ起こるのでしょうか????簡単です。自我の延命です、、心が揺さぶる問題が起きれば自我をこれを解決するか逃げるかするでしょう、つまりこの自我ストーリーの中でアクションを起こすのです。その際に心を揺さぶる問題はどうあがいてもこのストーリー上に自身が居ることを強く強く意織させられます。これが映画マトリックスのエージェントスミスです。今お前はこのドラマの中で解決を図らないと大変な目に遭うぞ、、という戦略です。

関心ごとの全て

例えば見た目に全く興味がない男性が、、、ファッションを揶揄されても全く問題にはならないでしょう。問題とはその方が関心を持っている分野なのです、、例えばその男性がキャリアに意識が高ければ、、、そこで問題が起きる可能性が高くなります。会社の倒産、左遷、低評価などです。これによって彼は心を揺さぶられこのストーリー、この自分に強く強く関心を寄せます。自我はエネルギーが注がれ益々このストーリーにのめり込むのです。

問題が起きても

関心が高い分野は問題化(エージェントスミス化)し襲ってきますが、、そこに関心を向けてしまっては自我システムの思う壺です。そこに関心を寄せるのではなく、、練習問題がきた、、私はどうもキャリアに執着しているようだ。。本当に重要なことはこの私は大いなる存在であってこも見かけ上の私ではない、、だからキャリアの問題はそれを示すために起きたのだ、、と真実に戻ります。つまり執着が形になって執着を教えてくれているのです。

キャリアの問題は重要なことではない

キャリアの問題は、、自身が大いなる存在であるという気づきに比べれば全く問題がありません。自身が偽りの自分ではなく大いなる存在であるという気づきが起きればその問題は真の安らぎの中で解決されるからです。そして仮に解決されなくても執着に気付くことで、、自我の柵がまた一つ無くなり自我はパワーを失います。その時景色が輝いていきます。問題の背景が輝いてくるのです。

全執着が溶けていく

何か大きな問題、心が揺さぶられる問題が起きたときは、、その分野に執着があることを教えてくれています。その問題が執着を露わにしてくているわけですから非常に有難いことなのです。なぜ私はキャリアに執着があるのだろう????それは私がそこで高い評価をされたいと願っているからに違いない、なぜ評価をされたいかと言えば自分(自我)の存在をそこで証明したいからだ。だが自我は幻でありそこで存在を証明したとしても本当は証明されないのだから同じことなのだ、、となります。

雲(自我)の最後の抵抗

固執している関心ごと

本当は私はこの体(雲)ではなくて空だ、、、この体(雲)この思考(雲)この感情(雲)が私(雲)なのではなく、、空そのものなんだ!!!!この気づきがある日突然起きます。ですが、、、それと同時に、、日々の関心ごと、将来への不安、両親との確執、本当はやりたかったこと、、などがフラッシュバックのように流れ(雲)また私(雲)にしがみ付く、、、が起こります。この全ての出来事は全て雲であり、、、この私(雲)を維持するための連発雲(記憶、思考)が起こるのです。

エージェントスミス

マトリックスの映画ではこの状況をエージェントスミス(雲)を使って表現しています。友人知人、両親、、、あらゆる人がエージェントスミス化して攻撃してきます。主人公ネオは彼らと死闘を繰り広げるわけですがそこの関心が行っている時点で実は負け戦なのです。個人の関心とは個人をこの世界に留めておくための戦略なのです。お金、ギャンブル、お酒、異性、マンション、アクセサリー、SNS、、、その人の関心が実はこの世界にその人を留めておくツールなのです。

全ての関心ごと

全ての関心ごとを観察し、そこの執着しない、、そして自身は空であるという自覚で過ごすことができるようになりますと、、過剰な関心攻撃は無くなっていきます。恐らくこれは自我に関心がむかなくなる時の自我の悪あがき、反抗期なのでしょう。本当はアピールしたい、だが直接ではバレる、、そこで関心事を記憶から引き出し、、意識をそっちに向けさせます。

勝負の行方は決まっている

どれほどにエージェントスミスの攻撃が半端なく毎回毎回この自我ストーリーに引き戻されてしまったとしても、、、最終的な勝者は既に決まっています。なぜならば、、雲(自我)が空(本当の自分)になるのではなく、、いままでも空(本当の自分)だったのです。生まれてこの方、空(本当の自分)でなかったときは一度もないのです、、、ただ雲(自我)を本当の自分と勘違いする思考(雲)が漂っていただけなのです。そしてそれによって観念という分厚い雲が現れその雲を通じてこの世界を見るという自我ストーリーが生まれていたのです。ただしどれほどそのストーリー(雲)が分厚いものであっても、、空(本当の自分)は常にそこにあって全くなんの影響も受けずにいました。それらが消え去りまっさらになってもやはりそこには空(本当の自分)が残ります。

映画「マトリックス」のプログラムコード

あれが思考

映画間トリックスのポスター、主演のキアヌリーブスの周りに緑色のプログラムコードが描かれています。あれが言語、思考です。我々の本質はPC本体です、その中にプログラムコードが流れますとPCがそれを読み取りイメージ化します。我々の思考も湧き上がりそれを全体が読み込みイメージ化するのです。朝起きると「この体この思考この感情が私」というプログラムが起動し偽りの自分がイメージ化されます。と同時に体に反応し「憤り」を感じます。苦しい、、「だけど会社行かなきゃ!!!」が思考として湧くのです。そして「生きていくには働かないとダメなんだ、私が」という思考(プログラム)が湧き上がりそれがイメージ化されます。そして同時に憤りが湧きます。

プログラム(思考)の連鎖

「今から仕事行かなきゃ!」というプログラム(思考)が湧き上がりますと、、同時にそれは体に反応し(面倒くさい!)プログラムが湧き上がります。すると「それでも行かないと生きていけない」という思考(プログラム)が湧き出しそれと同時に「憤り」というプログラム(感情)が湧く。会社辞めちゃおうかな????という思考(プログラム)が湧き出しまた「憤り」(感情)が湧き出す、、、これをエンドレスにやるのです。プログラムがエンドレスに起こり続けている状態です。

起こっていること

起こっていることは実は超シンプルでPC内で湧き上がるプログラムに対しさらなるプログラムが起こり続けているだけ。PCがプログラムを読み込むことでイメージ化されそれを読み込んだ時点で反応(プログラム)が起きそれがイメージ化されてまたプログラムが起きます。これしか起きていません。これが今ここで起きています、それえがこの世界です。

重要なこと

PCとプログラムがあり、、、、いまここと思考があります。ここに時間は存在しますか???空間は存在しますか???ないですね。そうです「私」という存在も登場しません。PCとプログラム、いまここと思考しかないのです。覚者は言います「何もない」と。「私は悟りこれだけがあった」「ストリーが突然落ち平安だけが残った」なんとなく分かりました????プログラム(思考)が全く起きなくなった時PC(平安)だけがあったのです。

お互いが目覚めるために存在する

幻想の意味

真実はたった一つです、この真実にたどり着くために全幻想が存在します、、苦手な相手、結婚相手、友人、子供、親、、、全ての幻想がこの真実に導くために存在しているのです。ですから人間関係は常に苦しみが伴うのです、悟りが開かれる、目覚めが起きるまでこれはエンドレスに続くのです。マトリックスの映画に出てくるエージェントスミスはまさにこの役、主人公のネオが覚醒するまで誕生し続けていきます。つまりエージェントスミスは覚醒の最大の味方でもあるのです。

悟りが開かれるまで、、

この苦しみは、、悟りが開かれるまでエンドレスに続きます、成功を治めても、大金を得ても、名声を得ても、安定を得ても、、、確実に苦しみが終わることがないのです。それは大いなる勘違いをしているがためにです。大いなる勘違いはこの幻想の世界で食べていくには有利ですが同時に苦しみを生み出すのです。ということでこの苦しみを解消するには悟る以外にないのです。

悟りに興味が出たら

悟りに興味が出始めたならばそれは大きなチャンスです、、仕事、友人関係、などの物質的、精神的満足を追いかけても一切幸福になれないことに気づけたならば、、、本気で悟りに意識が向かうことになります。ですがこれは誰しもに起こることでは絶対になくだからこそこれはチャンスなのです。そしてそうなったらこっちのもの、仕事、友人関係、地位や名声などのために頑張るなど辞めてしまってただひたすらに悟りを追い求めます。そして追い求める存在自体が実は存在していないという気づきが起こるまでこれを続けます。