お金

人間とは考える分裂切り裂き機

切り裂いて切り裂いて重苦しい世界を生きる

人間とはこの世の切り裂き魔です。人間すらもこの世から切り抜きました。そしてその切り抜きは自分に留まらずあらゆる分野に及びます。TVニュースを一日中見てみてください、世界が重苦しくなりませんか???これが切り裂きです。ニュース、そして解釈を暗記することでその分世界が切り裂かれます。このニュースは果たして人を幸福にするのか??しません。ですがその分人間という体を生き伸ばす情報にはなったかもしれません。ですがそれだけです。

幻想の世界に降り立った自分

自分という存在をまずはこの全体から思考は切り裂いて見せました。そしてこの自分はこの存在を維持すべくさらに情報をかき集めて維持させていきます。どこに収入があるか、どこにお金になる仕事はあるか、どこに安定はあるか、、と情報をかき集めていきます。そして情報をかき集めれば集めるほどに世界は重く苦しくなっていきます。ですがこの自分は維持しやすくなっていきます。

生きるための情報は手にした、、だが苦しい

生きるための情報は手に入れてきた、、自分を老後まで生き伸ばす方法はわかった、、だが苦しい、、、これが幻想の世界に降り立った人間です。この苦しみはどうすればいい???この苦しみは自分、自我が生き延びるためにかき集めてきた情報、知識、解釈がそうさせています。先ずはこの親しみまくってきた思考を手放すことからしてみてはどうでしょうか、、この分裂世界を作り出した思考と距離を置くことからスタートします。思考が湧いても放置です。

ギャンブルしている時だけは思考が落ちる

ギャンブル狂は思考から逃げたいだけ

ギャンブル中毒、、、今話題のYOUTUBERガーシーは自身をギャンブル中毒と認めています。あれだけ頭の回転が良い人がなぜギャンブル中毒になってしまうのか???ギャンブルをすればお金が無くなる、、、これは中学生でも理解できる。あれだけ頭が良い人がなぜギャンブル中毒になるのかという話です。結論から言えば思考の回転が速いからギャンブル中毒になったということです。彼の会話のテンポから誰でも分かると思いますが思考の回転が異常に早い、、、もしも日常生活であれほどまでに思考に取り込まれてしまっていたらどうなるか???死にたくなるほど苦しいはずです。思考に取り込まれた状態は今から離れます、今とは全体、ワンネス、大いなる存在の場所、、、ここから徹底的に離れます、、、、そこは非常に居心地の悪い場所です。それを回避してくれる救いの神こそがギャンブルです。ギャンブルは頭を使います、五感をフル回転にします。空気を読みます、、、、これらは実は今に居ることを可能にします。その瞬間思考のループが外れます。居心地の悪さが解消されます。

カイジで読み解く

ギャンブル漫画のカイジ、、、カイジは絶対絶命のピンチの際に、、ギャンブル相手の顔色、雰囲気、空気、言葉、、に全集中していきます。五感をフルスロットルさせていきます。体をフル回転しています。この瞬間今にあるのです、、、思考からの乗っ取りを回避しています。体に全集中している状態は、、、思考の乗っ取りが消え失せていて安堵、歓喜、平和に襲われているのです。五感をフル回転にさせなくてはならないスポーツ、ギャンブル、仕事、恋愛、、、全てはこのパターンです。

思考を放置せよ

ガーシーはあれだけ思考の回転数が早い人、あの状態を日常生活でやれば恐らく死にたくなるほど居心地が悪いはずです。解決方法はギャンブルではないのです、思考を放置する、これだけです。思考が湧いてきても気にしない、放置のみ。そこから思考のループに入らなければいいのです。頭の回転に自信がある人は思考を信用しています、思考を無視できない、、、結果思考に飲み込まれて、、、苦しみの世界に入り込んでいきます。

神は人間という狭い箱に閉じ込められ快楽に飢えている

この世のエンタメは神のためにある

お金がある人間はなぜ快楽のために1日で何百万、何千万という金額を使うという狂った行動をするのか???信じられないような大金をなぜ使うのか???この疑問について深く考えた人はあまりいないでしょう。カジノなどで豪遊する富豪が大金をドブに捨ててもなぜまたカジノに行くのか???答えをお伝えしましょう。神が人間という小さな箱に閉じ込められ快楽に飢えているからです。

人間の体に閉じ込められた神は飢える

カジノに狂う、異性に狂う、、、これは決して金持ちの特権ということではなく誰でもこの傾向はあります。なぜならば全員の体には神が収納されていて怒り狂っているからです。なぜこんな小さな体に閉じ込められているのか??と。勿論神は確信犯的にこれを行ったわけですが問題なのはそれを忘れているということです、だから神は狭い空間に閉じ込められて怒り狂っているのです。自作自演のオチです。

人間の欲望を甘くみない方がいい

私は20代の最初、、、仕事なんて何でも同じだから安定したホワイト企業であればいいだろうとそこに苦労して就職しました。ですが入社してみてビックリ、、、自分自身のストレスが尋常じゃないのです、、もっと面白い仕事があるのでは???ひたすらに湧いてくるこの焦燥感、、、この焦燥感には本当に手を焼きました。だから断言できますが人間の欲望は甘くみない方がいいということです。神が人間の閉じ込められて怒り狂っている、その怒りの矛先こそが欲望です。

神はコンフォートゾーンを人間にシフトして人間でしかできないことを楽しむ

人間体験はシンドいが楽しい

人間体験とは凄い体験でこの体を全体から完全に切り離し、、この体だけが「自分」だと決めて生きることです。この体を全体から切り離すために7年間ぐらいの歳月をかけて両親から声がけを受けます。そして7年間で完全分離(錯覚)をすることに成功します。逆に言えば7年ぐらいの歳月をかけなければ完全分離錯覚を起こせないということです。つまり完全なる神から人間になるには7年間の歳月がかかるということです。そしてこれはあくまで錯覚であり勘違いです。ですからこの体験はどこまで行っても苦しいということになります。

自殺する人間をバカにできない

幼少期は自殺をする人間が世の中にいることが信じられなかったですが今は全く違います。何が正解か全くわからないこの人生を歩んでいくのは茨の道でしかありません。これさえ手に入れれば後はある程度幸福、、これがないのです。びっくりします。それもそのはず、、神が自身を人間であると勘違いしているわけですからこの不快感たるや半端ない、、、神であったことを思い出すまでこの不快感は延々に続くということになります。

私はこの事実を理解して救われた

実は自分は神だった、、、この事実を目の当たりにしたときに心底私は救われました。なぜか???これまでの居心地の悪さがハッキリと解明できたからです。これまでの人生の努力とは、、この居心地の悪さが原動力になっていたのは間違いありません。この居心地の悪さをなんとか小さくしたい、、この衝動が自身をあらゆる対象への努力に向かわせました。ですが今は理解できます、私自身が神だったわけでそんな神が小さな成功、小さな達成、小さな評価ぐらいで満足するわけがないのです。この居心地の悪さの真の原因が分かった以上もう焦燥感はありません。

神はこの焦燥感を利用した

神は人間にどのような人参をぶら下げて活動に向かわせるか?それがこの居心地の悪さ、そしてそこからくる焦燥感です。誰もこの居心地の悪さの根源を知りません、だから焦るのです、、だからどこまでも狂うわけです。ドラッグ、お酒、ギャンブル、マリファナ、異性、お金、名誉、地位、、、この世界には人間を狂わせる要因がたくさんありますがこれらはこの根源がわからない居心地の悪さが原因です。

自分が神ならばなぜこの世はこれほど理不尽なのか?

自分が神でこの理不尽は意味不明

自分が神だとして、、、この理不尽に満ちた世の中は何なんでしょうか?犯罪が横行し、一部の富裕層に今もなお金が集まり続ける、、、こんな世の中を作ったのが自分なのか???という話です。違います、、、この世は完璧なのです、、完璧なのにそれに気づかない人間が富の奪い合いをしているだけです。その証拠に野生動物は食べれる以上の狩を絶対にしません。蝶が必要以上に花の蜜にたかることはありません。どこまで行ってもこの悲惨に写る惨事は人間が引き起こしています。

コンフォートゾーンを「自分」から「神」に

この世はから犯罪をなくすためには自分が神であったことを思い出す以外にありません。コンフォートゾーンを「自分」から「神」にシフトさせます。例えば日々何かに集中すると集中している期間はなぜ幸福なのか?なぜお酒を飲んで記憶が曖昧な時に幸福感があるのか?なぜ絶対絶命のピンチ、火事の状態で心が穏やかになるのか?何かを完璧に諦めた瞬間に安堵に襲われるのはなぜか???全部「自分」というコンフォートゾーンが抜け落ちたからです。

「自分」というコンフォートゾーンは最強

自分が成功者になる、自分が有名人になる、自分が大出世する、、、これらのコンフォートゾーンはできても「自分」を「神」にコンフォートゾーンをズラすのだけは難しい、、、なぜか?この五感、思考、感情が完璧なまでにこの「自分」に縛りついています。五感、思考、感情がこの「自分」をこの世から完全に分離させ分離体験を可能にしているのです。この嘘、仕組みを見抜くのは至難の技です。そしてこんな情報、メッセージはマスメディアに載ることは絶対になく、だからこそ受け身で情報を取る人間には一生届かないということになります。

人間は完璧さを勘違いしている

宇宙の完璧はメカニズムのこと

人間は完璧な環境を求めて日々活動します。もっとお金が欲しい、もっと安定が欲しい、もっと地位や名誉が欲しい、、欲しい、欲しいを連発します。これが人間にとっての完璧です。ですが本当の完璧は違います、水が水蒸気になり、木が燃えれば灰になる、、太陽が出れば明るくなり、、太陽が沈めば暗くなる、、、この完璧なメカニズムこそが宇宙の完璧です。にも関わらず人間はその完璧さには驚きもせず自分の環境が完璧ではないことを嘆いています、このギャップが人間の不幸を生み出します。

では不平不満を言う人間は不完璧なのか?

違いでます、この宇宙空間に不完璧なものは存在できません。つまり人間とは完璧を追い求め常に不平不満でいることが完璧な姿なのです。ではこのメカニズムに気がついて完璧を追い求めなくなったら不完璧なのか?そんなことはありません、それはそれで完璧なのです。不平不満を言うのも完璧、不平不満を言わなくなてっても完璧、、宇宙に不完璧なものは存在しません。

不平不満が湧いてくるのを止めるには?

人間が人間の状態で外に対して完璧性を求める限り、宇宙のメカニズムの完璧性に満足することはないでしょう。そうではなくなぜ人間は不満、居心地の悪さ、不足感、孤独感が湧くのか?この完璧なメカニズムの謎に迫るのです、そうすると人間という存在の本質に突き当たります。不平不満全開の今のままで完璧、だがこのメカニズムを理解すると不平不満が湧かなくなるという事実に突き当たります。

自我の完成無くして悟りなし

自我の完成は人間ゲームの山場

これは神のリーラです。神が作った遊びの場、神は神のままでは苦労も不幸も孤独も味わえない、、、だからこそこの世界を構築しました。そうなりますともしも自身の両親が超お金持ちで一切働く必要がない、友人も一人もいらない、結婚も何もする必要がない、、となった場合に苦労というものをしなくてもいい状況になります。これは神が望んだことなのでしょうか?完璧完全な神がわざわざこの超不自由極まりない世界を作ったにも関わらずその恩恵?に浸らない人間がいればどうなるか?自我が完成しないわけです。自我が完成しなければ居心地の悪さ、欠乏感、不足感などが湧いてこないということになります。

ちゃんとした大人になることの苦しさ

大人になるのは苦しいことです、大人になることは分別をわきまえるようになること、この分別とはつまり分離世界を完成させることになります。この「自分」は他人とは完全に異なる存在であるということを証明することになります。これは苦しいことです、分離感、不足感、欠乏感が湧いてくる状況を自ら作ることになるのです。ですがこれは同時にこの体の存続を絶対的なものにしていきます。何かに頼る、依存するというのはこの体の存続においてはリスクがあります。

自我が完成するからこそ、、、

自我が完成するからこそあらゆる目標を達成することができます。結婚、子育て、出世、名誉、地位、安定、、、あらゆるアイテムを所持することができます。そしてそれを達成したときに次の欲求が湧いてくるのです。結局のところその先に何があるのか?ということです。この自分とは結局なんなのか?という悟りに向かった衝動が自然と芽生えてきます。分離意識全開、自我全開は悪いことでは断じてありません、むしろそこからが本当のチャレンジであり楽しさでもあります。

生きる喜びを知って死ぬか、知らずに死ぬか

真の生きる喜びを知って死ぬ

真の生きる喜びを知っている人はほぼいません、多くの方は形やモノ、名誉、安定、名声、お金など、、、、外的要因に喜びの価値を置きそれを手をかえ品をかえ続けてなんとか死ぬまで生きていきます。内部的要因に本当の生きる喜びがあるとは知らず延々と外にそれを追い求めて死ぬのです。もしもその喜びを知ることがあるとすればそれは死んだ時ということでしょうか。

真の生きる喜びは何かに集中し無我になるか、感情観察に集中して無我になるか

真の喜びは時間の中には存在しません、時間を超えた場所にそれはあります。人間という形を所有しながらこの時間の枠を超えることは実際にはできないので人間を活用して真の喜びを得ようとする試みは全て悲惨な結果に終わるのです。私が家を買う、私が結婚する、私が収入が上がる、私が名声をえる、、、主語に私がついている時点で時間という枠の中での収穫になります。これらの収穫物は時間と共に満足感が消し去っていきます。真の喜びとは時間外にありますから私の不在時にこれが起こるのです、、、家を買うために仕事に集中する、結婚するために自分磨きに集中する、収入を上げるためにビジネス研究に集中する、、、これら集中行為時には自分というものが抜け落ちます、自我が抜け落ちます、、、すると無我が出現します。もしくはこれらの目標達成に向けて様々な感情が湧いてくるとしましょう、、辛い、しんどい、疲れた、寂しい、、、この感情をしっかりと観察します、集中して観察します、思考の介在を許さずに集中するのです、、、するとそこから無心、無我に入っていきます。無我になった状態、この状態こそが真の生きる喜びがなだれ込んでくる時です。

人間には人参などいらない

馬を走らせるには人参が必要になります、人参無くして馬は走りません。ですが人間は違います、最初は人参を追いかけて走っていたつもりがその状態から無我に入り走ること自体が最高の喜びになります。これが悟りです。最初はローン返済のために頑張って働いていたのが働くことに無心になりそこから生きる喜びが溢れてきます。辛いという感情が道半ばで湧いてきたならばその感情を集中して観察することでそこから無我に入れます。人間とは実はどのタイミングからでも悟り、無我に入りこめる生物なのです。全体(悟り)は人間を作り出し生きる悟りを創造しました。

限界(体)を所有することで無限を開く

この人間ゲームの醍醐味は限界(体)から無限を見つけること

なぜワザワザこんな小さな体の中に意識を植え付けたのか?真我はなぜこんな小さくひ弱で低脳な体の中に自我(独立意識)を育てたのでしょうか?それはそうでなければならない理由があったからです。人間というのがひ弱で弱小でなければ広大無辺な自身(真我)を見つけた時に感動がないからです。それと自身(自我)が弱小無能であるからこそ自身(真我)をいつか探し当てるからです。広大無辺の本当の自分への憧れがなくなることがないのは自身(自我)が弱小無能だからです。

12歳ぐらいで気付く、、自分はキムタクにはなれない

中学校に入る頃には自分はメッシにも、ロナウドにも、キムタクにも、大谷翔平にもなれないことを知っています。生まれて10年もしないうちにこの体ではスターになれないことをなんとなく分かります。これは一種の絶望ではありますが同時に内面開発のスタートでもあるのです。形でスターになれないのであれば内面で充実になるしかないということです。これがこの人間ゲーム、自我ゲームのセオリーです。形でスターになれないならば形でないモノでなるしかないということです。とは言え人間は諦めが悪く、、では学歴で、では偏差値で、ではお金で、では収入で、では安定で、ではファッションで、、、と形を変えて形にこだわっていくのです。ところがこれらを追い求めてもどこまで行っても心の穴、欠乏感、違和感は埋まらない、、、

限界(体)を自分自身と思うことからの脱却

この限界(体)がなんかしらのアイテム(限界)や何かしらの無形のアイテム(名誉や地位、社会的評価)を得てもどうやら満足は来ない、、、これが素晴らしい絶望なのです。キムタクにもなれずスタープレイヤーにもなれない、では無形アイテムで勝負だ、、地位名誉、社会的評価、安定、、、、、これでも真の満足は起こらない、、ということでこの自分は絶望の果てにこの自分というものを疑うようになるのです。悪いのは社会や才能、周囲の人間ではなく、、、この自分ではないか?そうです、この自分という存在こそが負の感情を湧き出し続ける原因であり、そこを見つめそこから無限に入り込む道具だったのです。有限という体を持ちながら無限に開いていく道具、これが実は体なのです。目に見えるものは全て幻、幻想でありこれを求めるうちは真の幸福は見つけることができません。そうではなくこの体を真我、大いなる一つ、神の通り道であることにいかに気付くかが鍵になります。

何かに集中して無我になり、感情を観察して無我になる

自我は常に忙しく常にあれやこれやと忙しい、、、これをやってあれをやってと思考フル回転、、これが自我全開状態です、苦しみの段階。無我全開状態とは、、、、全作業に集中してこれを行います、全作業を無我に入る入り口にするのです、、、掃除、料理、仕事、睡眠、、、全作業を無我に入る道具にします。茶道、花道、剣道、武道の所作はこれに当たります、思考を一切介在させません。そしてもしも負の感情が湧いてきたならばそれを集中して観察します、その感情によって思考をフル回転するのではなくその感情を観察することで無心、無我に入り込むのです。負の感情すらも悟りへの入り口にします。つまり起きている間中を無心、無我、真我にしてしまうということです、この状態は対象のいらない平和、歓喜、安堵、愛です。

負の感情の解消方法を知らない人間の末路

これだけ近い存在なのに

負の感情、これこそが人間を苦しませ続けるエネルギーです。このエネルギーさえ湧かなければ人間とはいかに生きやすい動物か、、、負の感情さえ湧かなければお金を使うこともないし、人間関係のトラブルもない、働く必要さえないかもしれません。いや働いたとしても負の感情が湧かないならば何も辛くない、、、要はこの負の感情とは人間を常に常に苦しませ続けてきた張本人、極悪犯です。なぜ人が魔が刺すかと言えば絶対にこの負の感情が要因なのです。芸能人のスキャンダルも、犯罪も、不祥事も絶対にこの負の感情が絡んでいます。ですが人間は恐ろしいことにこの負の感情がなぜ湧くのか?そしてその解消方法を知りません。

先ずは思考がある

負の感情がなぜ湧くか?これには思考というモノが絡んでいます。負の感情が湧くのには人は何かしらの外部的な要因を常に探します。例えば給料が低い、安定しない、世知辛い世の中、評価されない、、、こういった外部的要因があるからこそ負の感情が湧いていると推測しています。ですが実際には違う、、、負の感情は自分という存在、自我、エゴが生み出しているのです。大いなる存在であるモノがこの体こそを自分と勘違いすることで居心地の悪さ、不完全性、が生まれそこから負の感情が湧き出してきます。だからこそこの感情は得体の知れない底無し沼であり今年一年間負の感情が生まれなかったということには絶対にならないのです。人間は毎日この負の感情と戦い続けているのです。この偽りの自分、自我、エゴの正体こそが思考です。

にも関わらず思考がこの感情を解消する始末

人間とはいかに無知な生物なのか、、、思考がこの偽りの自分、自我、エゴを生み出しそれゆえに負の感情が湧いてくる、しかしながらこの負の感情の解決方法をまた思考に委ねるということをしています。負の感情の正体がまさか自分の内面というか自分というモノの構築エネルギーだということです。それに気づかずに負の感情の解消を思考に委ねている、、、これは悲劇です。ということで負の感情の解消方法、根本解消方法とは何か?それが感情の観察です、感情が湧いてきたらその感情から逃げるのではなくその感情を観察する、、、誰が?それは大いなる存在、気づきの存在、自我ではなく真我です。負の感情が湧いてくることでそこから悟りを開きます。