お金

なぜあの人ばかりが上手くいくのか?

上手くいっているあの人も実は不安でいっぱい

あなたの目の前に何でも上手くいっている友人が居るかもしれません、旦那は高級取り、子供も優秀、親も金持ちで全部持っている、、、そんな友人に対しては妬み嫉みなんでも起きるでしょう。ですが安心してください、、どんな人も実は不安で不安でしょうがないのです。なぜならば自分という存在の言動を全くコントロールできないからです。私は明日大丈夫だろうか????です。全くコントロールできないこの自分を抱えながら誰しもが生きているのです、不安に決まっています。

持ち上げられれば持ち上げられるほどに

大成功した事業家が自殺、大成功した俳優が覚醒剤、そんなニュースは山ほどでるわけですがなぜでしょうか???一生遊んで暮らせるお金を稼いで何がストレスなのか?????簡単です、、自分という存在との付き合い方がわからないのです、何をするか全くわからない、そして常に違和感を抱えているがその理由もわからない、、です。自分という存在の扱いがわからず、かつ違和感の原因が見えないのです。これだけ全部手に入れてこの後は何をしたらいいのか?です。

コントロールできないことを認めちゃえば

簡単なこと、自分は何もコントロールなどできない、思考も行動も全部ノーコントロール。そしてそれを統率していたはずの自分も実は存在せずそれも思考でしかない、固定観念です。ということで自分も居ない、自由意志もないをさっさと認めちゃえばいいのです。そうなると誰かの前で偉そうにもできない、そして偉そうにしている人を見ても面白い(本当は自分も自由意志もないのだから)となります。

物理的失敗時に気づくこと

何も変わらない

物理的成功時にはお金がなくなってしまったら相当ひもじい精神状態になるのでは???です。ですが実際にそのような状況に置かれてみた時に気づくのです、意外と何も変わらないと。お金とはあれば使いたくなるものですが無ければ使いたいという欲望がないので何かを買いたい、使いたいという欲求が減るのです。結果欲求不満にはならない、、となります。多くの方は今ここで感じる違和感の理由を物質的な何かのせいにしたがるのです。お金が少ないから、家が狭いから、旦那が気が利かないから、、と。ですが本当は本当はこの違和感は「自分」というこの存在自体が生み出したものなのです。

物理的失敗時に気づく

物理的失敗時に、、対して何も変わらないや、、、だからこのままでもいいや、、とはならない。。やはり自分という存在から発せられる違和感、孤独感、苦しみは常に続くのです。。経済的失敗がこの違和感の理由ではなかった、、このことに気づくだけです。ですからこの時こそチャンス、本当の本当の違和感の原因を解消に意識が動くのです。ただし自分を無くそう、自分を無くそう、、、という努力は、、自分にとっての目標になるので自分を強めます。

自分を無くそう!も画面内の努力

マリオが、、、苦しみの原因はマリオ自体だったと気付いて、、、マリオを画面から消そう、消そうという努力をしてもそれは画面内での努力になります。努力をしているのは誰ですか??マリオです。自分の尻尾を捕まえようと動き回る狐のようです。そうではなくマリオが全体に再吸収される仕組みに気づくのです、そもそもマリオの中には自分は居ないんです、居ないことを理解すれば居るという錯覚は消えます。誤解を解くだけです。

霊的進化もどうでもいい

それはストレス

進化しなくては進化しなくては、向上しなくては向上しなくては、、、これらは実は全く自由からかけ離れています。全くもって楽しくない、ストレスでしかない。向上した方が良いって誰が決めたんでしょうか????誰も決めていませんよね、、そんな独特ルール無限の存在の表現、あるがままの表現に一切ありません。本当はただあるがままの表現があるだけ、その中で向上しようが湧いてきただけです。

重要なこと、それは楽になること(解放)

とはいえ解放を目的に生きれば今度はそれが素晴らしいことという概念を作ってしまいます、ですからそれを目的にしてはいけない、、そうではなく、、ただ気づきを得ること、そしてそうなったら楽になれるかもと俯瞰すること。そしてそれまでの道のりも完全に意図した生き方はできず完全自動運転であることを悟ることです。自我の動きに振り回されて十分にこれまで苦しんできたのですからこれからは苦しまないで生きていくだけです。

自我を主語にしないこと

軽々しく扱われた、、私をこんな扱いするなんて!!!と自我を主語にしたストーリーを辞めるのです。ただそれが自然現象として起きました、そしてこの体の中のは自我、自分は存在しません。にも関わらず怒るのはおかしい、、です。本来だったら怒るのでしょうが、、自我自分私がこの体の中に居ないことを分かっているので冷静に対処します。

被害者になっても受け入れろ、ではない

お金を払ったのにサービスが出てこない、、もしかしたらこの体(私)が軽く扱われたのは事実かもしれない。ですが残念ながらこの体の中には私は居ないので軽く扱われることはできない、ただ事務的にサービスをお願いするだけです。相手は嫌な気持ちにさせるためにそうしたかもしれない、ですが相手の体の中には自我は存在しないのです、、ただの自然現象です。だからハードドラマになり得ないのです。

時間ありきの表現は全てストーリー(ゲーム内)

アセンションが始まる、、

200X年、アセンションが起こり次元上昇が始まる、、、これ時間がないと成立しない表現ですよね???つまりこれはストーリー、ゲーム中の出来事です。ワクワクしたことをやるとラッキーが連続する、、、何かをすると、、次の瞬間何かが起きる、、、これも時間あって成り立つことです、、ストーリー、ゲーム内の話です。ついてる、ついてると連呼すると、、ラッキーが起こる、、、これも時間があってこそ成り立つ話ですよね、、これもストーリー、ゲーム内の話です。パワースポットに行くとラッキーが起きる、、これもストーリー、ゲーム内の話です。

ストーリー、ゲームの中は、、、

ストーリー、ゲームはあるがままの無限の表現ですから、、、ある決まった因果が成立することは絶対にないのです。決まっていたら無限の表現ではなくなってしまいます。こうやったら女性は必ず落ちる、、こうやったら絶対お金を稼げる、、こうやったら人気者になれる、、、法則が決まっているならばこのゲームは無限ではなく有限のアートになってしまうのです。ですがこのゲームは無限(あるがまま)の表現ですから決まったルールはありえないのです。

時間の中では至福に至れない

時間の世界の中では至福には至れません、、こうやったら至福になる、、、この法則に従えば至福に至れる、、全部時間のゲームの中の話です。至福とはスーパーマリオゲーム本体のことで画面の中に至福(本体)は落ちていないのです。時間の中には至福がないことをマリオが悟りこの画面からマリオ共々抜け出た時に初めて至福に至るのだという気づきが重要です。

真実と概念は違う

私たちが信じているのは概念

ノンデュアリティ、悟り、非二元のメッセンジャーが伝えるのは真実です、真実は概念ではありません、、、言葉という制限されたツールで真実を伝えていくわけです。多くの人が信じているのは概念です、概念は真実ではありませんからこの概念の中に生きていることで苦しみから解放されないのです。もし今自分が苦しいならば概念の世界に居る、ただそれだけです。

真実と観念は違う

真実と観念が異なります、真実は真実です、、観念とはその人が信じている考え方、概念です。それぞれの人はその人の観念を持ち、その観念に影響された幻想の中に生きているのです。この幻想の世界は苦しいので早くここから出たいと本質レベルでは感じているのです。友人が少ないと寂しく、友人が多いと人間関係が複雑で疲れる、、どこまでいってもこの世界は苦しいのです。

お金を得ても人気を得ても苦しいのは観念の世界に居るから

「自分」がこの世界に生きていると思っている間は常に苦しみに襲われます。「自分」がお金を得て、人気を得ていると思っている間は苦しみに襲われ続けます。なぜならばそこは本当の世界ではないからです、そしてそのことを本質では常に感じています。だから人は救いを神に求めるのです。ですが神とは「自分」とは異なった違う場所にいるのではなく今ここ、「この私」すらも含めて神なのです。今見ている世界そのものが神自身のアート、神そのものなのです。

このことをみんなに伝えてあげなくちゃ

真実の少しでも触れた人間は周囲にこれを伝えなくては!!と思うはずです、ですがそれは喜憂、無駄、大きなお世話です。なぜならば「私」も「あの人」も「この人」も全部あるがまま、神のアートですから最初から救われているのです、あるがままのアートが救われないのならばあるがままはあるがままではなくなってしまいます、神のアートが救われないのであれば神は神ではなくなってしまうのです。ですから全員が最初から救われているこれは神の、あるがままのアートなのです。そしてそのことも全員が本質的には分かっています。

頑張らないと生きていけない?

資本主義のルール

頑張らなくては、、努力しなくては、、生きていけない、、多くの方はそう信じて頑張ることに違和感を感じていません。平均以上は頑張らなくては平均以上の生活ができない、、そう信じています。ですがこの宇宙はそのようには出来ていません。先ずこの宇宙は幻想です、この現実世界は幻想です、、ここは重要です。幻想ですから変幻自在に変化します、この幻想の中では我々が何を信じるかが大きく影響するのです。この幻想、現実世界では努力しなければ生きていけない、、そう信じればこの幻想の世界はそのような現象化をするのです。

自由意志が無いのにどうやって頑張るの?

そもそも自由意志がないにも関わらず個人は自分を頑張らせることは不可能です。あの人は全く頑張らない、あの人は意志が薄弱である、、そう断定するでしょうが、、残念ながら自由意志はあの人には存在しないのです。この世界は頑張らないと生きていけない、、そういう価値観を深いところで信じれば、、頑張る!!という感情が湧いてくるかもしれません、、あなたはその価値観に沿ってただ頑張っているのかもしれません。

「自由意志がない」を前提に世の中を眺めてみる

自由意志はない、、その前提で世の中を眺めてみると、、不思議な感情が湧いてきます、、、売れっ子芸人も売れていない芸人も、、、優劣が付けれない、、お金持ちも貧乏人にも優劣が付けれない、、人気者も不人気者にも優劣がつけれない、、、インフルエンサーにも非インフルエンサーにも優劣がつけれない、、となっていきます。そうすると頑張らなきゃ!!が消えていきます、恐れが減っていきます、切迫感が消えていくのです。これが本当の軽さです。

お金の心配

できればお金の心配をしたくない

人間なら誰しもお金の心配など一切しないで生きていきたいものです、、老後の問題、年金の未払い、老後の住居などなど、、、今からどれだけ準備すべきか、、などなど、、、考えればきりがないほどに、、、多くの悩みが集まってきます。ですがこれも全く同じ、これに対してしっかりと対処するか、しっかりと準備をするか、、その一切をコントロールする自由意志は人間には存在しないのです。

あの人はしっかりと準備している

そんなことはない、、友人のあの人は20代から保険年金にも入って毎年100万円以上貯めている、、そのな意見もあるでしょう、、、違います。その人は自由意志ではなく勝手にそのような行動をやらされているのです。自由意志ではなく強制的にそのような行動をさせられているのです。ですからもしもその人が老後裕福な生活ができたとしてもその人の実力ではありません、たまたまです。だからその人を褒める必要はなしい、羨む必要もないし、妬む必要もないのです。

完全に手放すと、、

そうかそうか、、じゃあもう老後の心配など一切せず、、全てを天に任せればいいのか、、そうです、、それがサレンダー、究極の諦めです。すると不思議、勝手に富が集まってくる、勝手に老後の心配が消えていく、、自身の心情を反映するかのように現実が緩んでくるのです。準備をしなくては、準備は大切、準備は大人のマナー、、そのように自分にプレッシャーをかけるのではなく全てを天に委ねるのです。自分が老後に向けて準備を始めるかもしれないし、しないかもしれない、、全部は全自動、、という究極の楽天思考が自分を救います。そしてこれは考え方、価値観ではなく真実です。

安心して苦しむ

宇宙に無駄はない

現象の世界に個人として生きることは苦しみの人生です、、どんな煌びやかな生活を送っているように見える人も確実に苦しんでいます、、なぜならば個人という存在こそが不足を生み出す根源だからです。周囲が羨むような容姿の女性も、、常に不満を抱えていますし、、周囲が羨むようなお金を持っているような男性も常に不満を抱えています。苦しみとは不満足が生み出しますがこの不満足を作り出すツールが個人です。

その個人も

その個人も、、周囲からの声かけによって勝手に作り上げられるものであり、、全くもってその個人には責任がありません。個人は周囲からの声かけによって徐々に徐々に作り上げられていくのです。ですから気づいた時には自我が形成されこの自我を守るために、自我を満足させるために人生は構築されていきます。

苦しのがデフォルト

なぜ私の人生は苦しみがあるのか????それについて考えるのが無駄です。人生とは=苦しいだからです。これに例外はありません、、、苦しみとは不足感であり、、不足感は個人という存在そのものだからです。今苦しいのならばそれは当たり前なのです、、、いや私の人生は苦しくない、、、そんなことを表面上使う人もいるでしょう、、ですがそれは不可能、無理ゲーです。

どうしたら、、

ではどうしたら個人の存在という嘘、虚像を虚像と見破れるのでしょうか???それは簡単です。この現象界において実在する存在など存在しえないからです。そして全ての現象が虚像、幻想としてその幻想の動きに気づくことができるのはたった一つ、実在です。すると今起こる全てに気づいているのは自分という幻想ではなく絶対の実在であることが分かります。これが我々の本質です。

無知無能

無限の体験

全知全能の神がそのまま人間をやればこれは全知全能ですからなんの体験も生み出しません。人間は全知全能ではなく無知無能、、だからこの人間主体の体験は新しいのです、無限の体験を生み出してくれます。ですがこの無知無能の体験は常に苦しみを生み出しますから出来る限りここから去りたい、ここを抜け出したいという衝動が起き続けるのです。この衝動こそが人間体験を神体験まで昇らせることになります。

1億円プレゼントされて断る人間はまずいない

宝くじで1億円当たったけれど取りにいくのが面倒だから行かない、、そのような人間は稀です。それはなぜか???人間は今苦しいからです、苦しいから1億円でもしかしたら楽になるのでは???と期待します。ですが実際には1億円で苦しさが消えることはなく、、、ゆえに人間はお金に絶望したら名声、評価、生きがいと次々に次の獲物、目標に走るわけです。ですが自分自身を小さな小さな個人であると勘違いしている期間は満足が起きるわけがなくこの戦いはエンドレスに続きます。

全部を手に入れて

全部を手に入れることには意味があります、、、腹の底から「手に入れるでは、、満足はない」を実感できるからです。この時に次の目標に向かって頑張る、、は起きない、、、その時には、、、この自分というカラクリが嘘であることを実感したい、悟りを実感したい、全体であることを思い出したい、、、に目標がシフトします。この目標は最後の目標であり、、個人の達成の終焉です。

体はいつも全部を感じたい

自我システムの陰転

体は本当は野生動物のように、、、ノーストレスで過ごしたい、、、至福、静寂の中で過ごしたい、、、ですがこの自我OSシステムによって、、、体の安全確保が優先される、、、、結果、、、、思考に振り回され、感情に振り回されて、、、五感が閉じていく、、、、五感が閉じれば、、、、常に退屈、、、新鮮さが、、、この世界から消える、、、、新鮮さが抜け落ちた世界で、、、益々思考がフル回転し、、、刺激だけを体に与え続けるのです。

自我システムの功績

全部をありのままに感じたい、、、この衝動は全体から起こり続けます、、、、ですが、、、、自我OSシステムは、、そうはさせない、、、、、ところがこの自我OSシステムも、、、、全体から起きている、、、、ではこの目的はなんだ?????そうです、、、この世界(幻想)は全体から離れるという幻想が生み出しており、、、この幻想を生み出す大元は、、、、この体験を積みたくてこれを起こしているのです。自身が全体であるという認識が欲しくて、、、、分離体験が起こり続けているのです。

目的が分かったならば、、、、

そうです、、、悟ることが目的なのです、、、自分は全部だった、、、ただこれを経験したい、、、そのための分離体験、、、、ならば早くそこを体験しましょう、、、、、、目的はそれだけですから。。。。全体が、、、お金、名声、安定、称賛を欲しがるわけがない、、、なぜならば全部自分だから、、、、つまり、、、、、この衝動は、、、全体に戻るための、、、序章に過ぎない、、、、何を手に入れても満足できないという気づき、、からの全体への帰還、、、、、への衝動、欲求、、、、、、これだけが真の欲求です、、、、それ以外はそれに気づくための、、、、分離体験。