天動説

現実主義者とは夢中毒者

現実主義とは??

現実主義とは、、、思想や信念、思いよりも現実に重きを置くことです、、、現実に重きを置く、、、つべこべ言わずに結果を出してしまう、、そんなことです、、、この夢の世界で現実主義になるということは夢に重きを置くことであり、、夢にどっぷりと浸かることでもあります、、、、ですがこの夢の中で結果を出し続け、、、それでも幸福にならないという現実に突き当たった時に、、、人は悟りの準備を始めるのです。

現実主義者は観念がガンガン書き変わっていく

現実主義者は、、、結果を追い求めていきますから、、、この夢の中でもがくことになります、、、本当に結果を出そうとすれば思考にふけっていることができない、、結果、、あらゆる経験を重ねていくことになります、、するとその記憶の全てが価値観を強化していくことになり、、、価値観がこの自分、自我という大勘違いをも強化します。。価値観とはこの体の中に自分が存在しているという大前提で生まれるケースが全てだからです。ということで価値観が積み重なっていき、、、この個人ありきの人生が重く重くのしかかってくるのです。

最後の観念

そして人は最後の観念に突き当たります、、、それはこの体の中には自分が居なかったという観念です、、そしてこの現実だと思っていた世界が実は夢で、、その夢を見ている存在こそが自分だったという観念です。ただしこの二つの観念は個人が居るという大前提のこれまでの観念の全てをぶっ壊します。天動説から地動説に変わった時に、、これまでの天文学が全部壊れました。。それです、それが今ここで起きるのです。

新しい感覚の習慣化

思考と感情を自分だとしない習慣

今時代は新しい認識、気づきの段階にシフトを始めています。天動説が地動説に切り替わったような大きな時代の転換点を迎えています。それは「この体、思考、感情」が自分ではなかったという気づきです。エゴ、自我全盛時代の終焉です。この体、感情、思考を自分とする時代が随分と続きました、、、何万年も、、、これは人類の進化のプロセスです、決して間違っているとかの話ではありません。全く問題なくこのプロセスが進んできました。そしてついに「この体、思考、感情」は自分ではない、、宇宙生命現象の一つであるという気づきの世界に今扉が開こうとしています。

「自分がいないんだとしたら」どうやって生きていくのか?

どうやっても生きていけます。これまではただ体、湧いてくる思考、湧いてくる感情を自分として同一化してきました、、、これからは思考が湧いてきても、感情が湧いてきても、、それを自分だとしないだけ、、、ただ観察するだけです。主人公になり切らないと映画は進まないのか???そんなことはない、という話です。主人公になりきらない映画の始まりです。

思考、感情が湧いてきても、、、ただ受け入れる

思考が湧いてきたら同一化、感情が湧いてきたら同一化、、、これをただひたすらに人間はやってきました。。。そしてこのパターン、システムは延々と負の感情、居心地の悪さ、欠乏感を湧き続けさせます。同一化こそがそれを作り出します、なんというジョーク。これからはそれをしません、思考が湧いても感情が湧いてもただ観察するだけ、、、思考が湧いたら湧いたときづき、感情が湧いたら湧いたと気づく、、、この新しい習慣の獲得が全てです。この感覚が身につくと、、、常に平和、歓喜、安堵が押し寄せてきます、、大海が押し寄せるように、今までの自分という小波を飲み込みます。

人間ゲームの製作過程が面白い

人間だけが自分の人生を歩む

「我が人生に悔いなし」これは人間ゲームとしては最高の言葉、、ですが悟りの観点から説明すれば「自分の人生はなかった」これが答えです。マリオの人生はなかった、、、これがマリオに訪れた悲劇の気づき、、、でもこれでマリオは救われます。もうクッパとの格闘で胃酸過多にならなくていい、円形ハゲにならなくていい、、ストレス性アトピーにならなくていい、、、嘘だ、、これだけ壮絶な戦いを続けてきたこの人生(マリオ)が作り物だったとは、、マリオという全体と完全に分離した存在が誕生したことでいきなりマリオの大冒険が始まったのです。クッパもプヨプヨも、ノコノコも全部敵、ヨッシー、ルイージなど仲間はいるがみんな分離した別々の存在ということ。マリオが断固として確実に存在するのだというこの間違いが全てを起こします。

この体は確実にある。。。

この体は確実にあります、ナイフで刺せば痛い、抓れば痛い、くすぐれば耐えられない、、ですがこの中に「自分」がいるというのは記憶をベースにしたアイデアです。マリオの中に人格があると錯覚するのと同じです。この体の中に別個の人格がありその人格向上こそが人生、、これがこの人間劇場を作ります。人格も個性も記憶に基づいたアイデアです。もちろん、クッパ、ルイージ、よっしー、このボディーによって活動、性質が異なるのは間違いありません。ですがこの中に人格があると考えると途端にその人生がスタートしてしまうのです。経験を記憶できることによって経験者(マリオ)が誕生しマリオの人生がスタートしたに過ぎません。

それでも周囲は皆我が人生を生きている

自身がマリオであったと気づき全体が作り出した一部に過ぎないと自由奔放に生きていても周囲は皆自分の人生、我が人生を生きています。周囲は皆人生を考えろ、老後の人生を慎重に考えろとアドバイスをしてくるでしょう。どんなに周囲が「自分の人生」を生きていてもそれは思い込み、錯覚であることを知ってしまいますともう真剣に聞くことはできません。地球が回っていることを知ってしまった後に、天動説集まりの会に参加しづらいのと一緒です。どんなに周囲が人生を生きていても、人生とは記憶が作り出したストーリーであることに違いはありませんから事実に向かって全体は動いていきます。

マリオは気づいた、動いているのは自分ではない

マリオゲームをやっていても騙される

大人はマリオゲームをやっていると気づきます、動いているのはマリオではない、背景だ。ゲームクリエイターならばそれは常識、キャラがゲーム上を自由気ままに動いているように見えますが動いているのは背景です。これはこの人間ゲームも同じ、動いているのは人間ではない、背景です。ではなぜ人間が動く感覚は実感できるのに、全体、背景が動くのは実感できないのか?これはこのブログ史上最重要質問です、答えは簡単、自分自身が実は背景そのものなので自身の動きに気づかないのです。いやそんなことはないではこの私の動きを私が感じるとはなぜだ?これも最強の質問、自分自身が背景そのものだからこの体(自分)異物の動きを敏感に察知しているのです、全体が。いや全体が察知していない、察知しているのはこの自分だ、違います。全体が察知した経験を自分(異物)のモノとしているシステムこそ自我です。

マリオは何も知らずに今日も自分が動いていると活動する、呑気者

この地球に住んでいる人間の中でどれだけの人がこの事実に気付いているでしょうか?恐らく1%もいないでしょう。この自分の五感、感覚、経験には絶対的なモノがありこのカラクリを見抜くのは至難の技です。ですが覚者と呼ばれる人々の意見が一致していることからもこの新しい事実は真実です。天動説が地動説に切り替わった時の大発明、「動いているのはマリオではない、背景である」「動いているのは人間ではない、全体である」動いているのはマリオではなく背景だ、、、この事実を突きつけて驚く大人がいないのは当たり前だからです。ですが人間に置き換えると途端に納得がいかなくなる、なぜならばそれほどまでにこの人間ゲームは緻密だからです。

大人を信じるな、大人は人間の苦しみを全く解決できていない、、

思春期になり大人に近づく若者が親のことを絶対的に信頼していない理由は何か?それは両親が幸福そうに見えないからです。ほどほどには幸福そうに見えるかもしれません、ですが絶対的に幸福には見えない、むしろ日々のニュースに狼狽、振り回され、絶望すらしているではないか。若者が将来に対し日々不安になっていくのは当然です。答えは簡単、地動説を信じこの自分の存在を勘違いした状態で至福に至ことは不可能ということです。

悟りに関する書籍がなぜ読まれにくいのか?

天動説で全て説明がついているにも関わらず

天動説が地動説に切り替わった時に恐ろしいほどの時間がかかりました。なぜ100年近くの歳月が必要だったのか?答えは簡単、天動説は地球上の人々にとって何も矛盾がなかったからです。生活をしていく上で天動説で全て説明がついてしまっていたからです。ところが一部の研究者だけが天動説では説明がつかないことがあった、研究者は地動説ではないとこの先の研究が進められなかったというだけです。だからこそ天動説をベースに生きていた多くの人は絶対にそれを認めなかったのです。

悟りに関する内容もこれと同じ

悟りに関する内容もこれと非常によく似ています。人間の中に個別の自分が居るというこの共通認識は人間が生きていく上で何も矛盾がない、、にも関わらずこの身体の中には自分がいない、、という悟りの内容は都合が悪すぎるのです。そんなことが解明してしまったらこれからの人生どうすればいいのか?そんなことを言われても困ることの方が多い、、、こんな感じでしょう。

地動説に切り替わり人類は飛躍的にテクノロジーが進化した

天動説から地動説に切り替わることで人類の進化に拍車がかかったことは間違いありません。地動説に切り替わり天文学は180度ベクトルが変わりました。これと悟りも同じ、もしもこの人間というのが全体が操るマリオに過ぎないことが分かれば人類永遠の悩み、苦しみが解明されます。生きているだけでなぜこれほど苦しいのか?この究極のお題が解消されることになります。

地動説以来の大発明「自分が錯覚」

自分が錯覚であることに気づいたら二度と戻らない。。。

自分が錯覚である、この感覚の気づきは、、天動説が地動説に切り替わった時の人類の驚きと同じです。そもそも地球は平坦で、その周りを宇宙が回っていると真剣に信じ込んできました、研究者が実は地球こそが太陽の周りを回っていると唱えても変人扱い、病気扱いをされたモノです。今回の提案、実は自分とは錯覚であるというアイデアはその当時と全く同じ扱いを受けます。この体の中に自分が居るというのは思考のアイデアです。思考と記憶が作り出した画期的なアイデアです。

人間同士は自分の存在を共有し続ける

天動説が人間にとって当たり前の定説だった時、それに異を唱える動物は皆無でした。人間だけが人間同士で勝手にそう思いこんでいただけです。人間全員がそう信じればそれに異を唱えるのは誰もいないのです。今回の自分錯覚説も全く同じです、人口の99。999パーセントがそう信じていれば先ずこの理論が覆されることはないでしょう。もしも自分錯覚説に気づいた者が現実的に目の前に現れても病人か変人に扱われて終わりです。

自分というのはアイデア

人間がどれほどのテクノロジーの進化を遂げても体に中に「自分」を発見できることはできません。断言できます。なぜならば自分とは思考と記憶が作り上げたアイデアだからです。この体の中に思考も湧いてくるし、感情も湧いている、そして五感もガッツリ感じている、、、だからこの体の中に自分が居るというアイデア、理論です。この体無しに思考も感情も湧かないではないか!その証拠に熟睡中は何も湧いていない!ということです。ですが実際は思考、感情が湧いた時にこの体の中に湧いたのだと信じ込んでいるだけです。マリオがゲームの中で味わう辛酸はマリオのものだと言い張るのと同じです。スーパーマリオの中で辛酸を味わっているのはマリオではなくプレイヤーです。

もしも動物の感情が読めてしまったら大変

動物の精神状態が理解できてしまったら

もしも人間がテクノロジーを発展させて動物の精神状態を読み取れるようになったら、、、大変なことが起きます。悩み苦しむ動物も将来に不安になっている動物も、過去を憂う動物も皆無だからです。つまり人間よりも遥かに精神状態が安定しているということです。そんなことはない、、人間様がこれほど不安や不平を抱え毎日ストレスを背負いながら生きているのになぜ動物の方が心穏やかなのか?と思うでしょうが事実です。人間だけが将来不安に怯え生きているのです。

何億光年先の惑星すらも発見できる人間が、苦しみのメカニズムを発見出来ない

人間はとてつもない進化を遂げてきました、船を発明し、飛行機を発明し、スペースシャトルを発明し、、何億光年先の天体すらも発見しました、、ですが人間は人間の苦しみ原因をまだ発見出来ずにいます。ジョークです。釈迦やキリストがかつてそこの解明に至ってもそこから携わる人間がまた誤解を繰り返し全く異なった解釈が行われています。人間は自身の苦しみ解決のため今日も新しいテクノロジーを進化させ、便利な生活用品、快適な住居を開発しますが人間の苦しみの本質が解消されることはありません。

まさか人間の初期設定が勘違いだった、、、

渋谷駅に行けば見渡す限りに何千人という人間が居ますが、その中でこの体の中に実は自分が居ないという事実を知っている人はどれほどいるでしょうか?恐らく一人もいないでしょう。この体の中に自分が居るという大誤解は天動説から地動説に切り替わった時ぐらいの衝撃的発見になります。人間は何万年もの間、この体の中に自分が居るという勘違いを続けてきました、そろそろその勘違いが訂正されてもいい時期です。