究極のリラックスがもたらすもの

これが夢だと分かると

この現実が夢だって気づきが起きた時に、、この夢の中で何が起きるでしょうか????この現実が現実だって信じている時は緊張感があるんです。ですがコレが夢だって気づいたら、、リラックスが起きる。だって夢って分かった状態で逆に緊張するって難しくないですか????どうやったら緊張でます????夢って分かった夢の中で。

この究極のリラックスが、、、

この究極のリラックスこそが、、、この夢に遊びを作ります、、この夢に潤いを与えます、、この夢に温かさを与えるのです。街を歩く時に、、景色が綺麗です、、鳥の鳴き声に感動を覚えます、、全てに神々しさを感じることができます。夢だと分かった夢ってとにかく軽いんです、、この軽さはどこから来るのか???自我からはきませんよ、、、この軽さこそが本質、真我の軽さです。至福とは究極の軽さのことです。

ただもう緊張を味わえない

なぜアクション映画を見たいのか???なぜ任侠映画を見たいのか????それは緊張したいのです、ハラハラしたいのです。。。ですがこれが夢だと分かってしまったら、、もうハラハラができない、、そうです、、ハラハラしたければこれが夢だとバレちゃまずいのです。だからこのメッセージは万人受けしない、、このメッセージを聞いてはいけない人がたくさん居るんです。もうハラハラは十分、もう緊張は十分、もう七転八倒は十分と、、、本質から溢れてきた時に、、このメッセージが届きます。

人間の本性

これは夢です

これは夢です、ですから人間に本性なんてものはないんです、、夢の中ではキャラがコロコロ変わりますが、、、この現実と呼ばれる夢の中でも人間はコロコロ変わるのです。人間って本当に冷たい、、そう信じている人にとっては冷たい、、、人間って温かい、、そう信じている人の夢(現実)では、、そうなる。つまり本性なんてものは存在しないのです。

1万時間人間を研究して分かること

10000時間人間の本質について研究してきた研究者がたどり着く結論は、、その研究者が信じる人間像が真実だったというギャグです。その研究者が見る夢では、、その人が信じる通りに研究結果が進むのです。これは完全にギャグと言っていいでしょう。ですが全員がそのようなこの夢のシステムに支配されていきているのです。

夢ということはこの体の中の自分も本当は居ないのか???

勿論です、、この夢の中で、、実在する存在などあるわけがないのです。夢ですから。親友の中の自我も夢、奥さん、子供の自我も夢です、、ただしあまりにリアリティがあるので、、皆これを夢だとは思えないのです。ですがなぜこれがリアルに映るかと言えば、、、この夢は、、、神、真我、絶対、空と呼ばれる無限の夢だからです。

陰謀論

陰謀論好きの行く末

陰謀論好きの人々は、、、最終的にどうなるか???恐らく第三次世界大戦に巻き込まれ、大地震が地球を襲い、宇宙人が侵略してきて、、地底人も侵略してくる、、、太陽が爆発し、、、となっていきます。なぜか???それはこれが夢だからです。。。宇宙人も地底人も知らない子供の人生にこれらが現れることは絶対に絶対にないのです、なぜか???知らないのならば登場しようがない、、夢で。

陰謀論は悪趣味な夢

SF大好きな人にとっては陰謀論は最高のオカズでしょう。だから今もしあなたの人生が波乱に満ちているならばそれらの情報をシャットアウトすればいいのです。それだけで人生(夢)から災難が消えていきます。アクション映画、ヤクザ映画、マフィア映画が好きな人も要注意、それらの人の人生(夢)に危ない人が登場する可能性が増えていきます。

分かっちゃえば簡単

これが夢だと分かれば簡単、、なぜならば毎晩見る夢ってどんな展開で進むかみんな知っています。だからそれをこの現実と呼ばれる夢でも応用するんです、、もしくはこの今展開されている夢こそがあなたの観念を映し出す鏡だと言うこと、、観念が見事に映像化されているのです。観念を常に観察し、、そうか自分の観念ってこんななんだと理解します。

観念地獄から出る

コレは夢です、、夢では自身の観念が常に常に投影されます。古い観念が捨て去られても新しい観念に囲まれる。。そうです、、我々は自身の観念からは脱却できないのです。。。。ですが唯一この観念から脱却する方法があるとすれば、、それは、、これが夢だと確信することです。夢だと分かればこの現実、現象は観念でしかなく、、観念であることが分かりますと、、、、書き換えれることも分かる。そして書き換えれることができるならば捨て去ることもできる。となるんです。観念とは所詮は思い込みであって真実ではないんです、真実が分かれば観念(思い込み)は消えます。

なぜコレが夢って気づけないのか???

毎晩夢はみるのになぜコレが夢って気づけない????

我々は毎晩のように夢を見たりしますよね????なのに、にも関わらず、、、なぜ直ぐに気づくかないのか??不思議じゃないですか?????私は45年間も夢を見続けているのですがなぜ????この歳まで騙され続けるのか????そうです、、まさに!!!夢をコントロールできるような自我がいないからです。夢というドラマをコントロールできる自分が存在していないのです。夢が流れる時、、自我は何をやっているんだ???自我は寝てるのか???自我は時休を取っているのか???です。つまり自我は存在しないのです。

そして我々は毎日この現実(夢)をいまもまだ現実だと思ってい生きている

我々にとって全くもって信用できる存在「自我」は、、寝ている時は夢に気づけません、、そのようなレベルです、、どこかに居なくなっているではないか????そして朝目が覚めれば、、、、この現実(夢)を現実と疑わず生きている。本当は夢なのに、、、肝心の自我はこの夢ではむしろ主人公だから、、現実に決まっているという思考を連発する。だからこれが夢だと気づくためには、、自我自分ではなく、、その奥にある何か、、、が必要。

不景気に関心を寄せれば不景気が続く

毎日毎日経済番組では日本経済の行く末を憂いています、大の大人が深刻な顔で、、憂いています。こんな偉い学者さんが言うんだからそうなんだろう、、です。残念!!!!これは夢です、、この夢では関心が広がるのです、、不景気不景気と気にすれば気にするほどに不景気が広がるのです。どの経済学者の言うことも信じなくていい、、なぜならばこれは夢だから。

本当は好きじゃないけど。。

これは夢です

コレは夢なんです、、この夢の中で本当は好きじゃないんだけど、、しょうがないから表面上付き合おう!という人が現れたとしましょう、、、ですがこれは夢です、、、関心は膨らむようにできています、、、この本当は好きじゃない人の嫌いな箇所が拡大します、、夢の中で。つまりどんどんしんどくなっていく、その好きじゃない人のウェイトが増えていくんです。

増やしているのは自分自身

夜見る夢の中で蛇を恐れていると、、必ず蛇がでてきますよね、、、これが夢です。これはこの現実も全く同じ夢なんで関心が膨らむんです、関心事が影響力を高めてくるんです。だから嫌なこと、気になることは、、排除です。勇気を持って関わらないと決めるのです。これしかありません。

関心が膨らんでいく

この夢の特徴、、それは関心が夢の中で膨らんでいくということ、、地震を恐れに恐れていれば地震が起きやすくなります。洪水を恐れていれば洪水が起きます、、、そんなこと夢の中で何度も経験してますよね!!!そうです、この現実は夢ですから、、、恐れていること、大好きなこと、、全部広がっていきます、人生を支配します。そして重要なこと、結局夢なんだから恐れる必要はないということ、執着する必要もないということ、ここがポイントなんです。

働かないと死んじゃうよ

これって完全に観念なんです、これを信じればそうなるだけ、、、夢の中では何でもありです。とにかくとにかく夢って分かればもう安心、、だけど夢って分かっちゃうともう頑張れないんです、、真剣になれないんです、深刻になれないんです、、ということ。夢って分かることが素晴らしい、、ではないんです、、この夢は完全完璧完成(空)の表現、アートですから何が悪いってないんです。自我も結構、恐れも結構、楽しいも結構、悟りも結構、、です。

切り分けることができない世界を切り分ける

どこまでが樹木でどこからが樹木ではない

この世界は人間の視覚において切り分けやすい形で切り分け、、そこに名前をつけて強制的に独立した事象を作り出していきます。人間の視覚上、、樹木は、、根っこ幹、枝、葉っぱを含めてのものですが、、人間の視覚でなければ、、根っこは恐ろしいほどに広い可能性はあります。さらに根っこに吸い上げられていく栄養分は人間の視覚では認識できないことからそれは省いていますが視覚によってはそれを含めて樹木と呼べるわけです。葉っぱから飛び散る花粉は樹木に含めるのか???これも人間の視覚によるものです。つまり人間という動物をベースに名前でもって現象を切り分けているわけです。

本当は何も切り分けることはできない

食べた栄養素はどの瞬間から人間の一部になるのでしょうか???口の中、胃の中、腸の中、毛細血管に入った瞬間、血液の中に入った瞬間か???と全くもって曖昧です。つまり人間という存在すらどこからどこまでか?が全く決まっていないのです。つまり人間と食べ物の境目は曖昧、排泄物と人間の境界も曖昧、、というよりも境目を明確に決めることは不可能であり、、全ては便宜上分離しているとみなしているのです。

にも関わらず

にも関わらず人間のこの体の中には自分が居るという思考が湧き上がり、、あたかも独立した体の中に自我が実在しているように人間は振る舞います。突き詰めてみれば全ての現象は全て繋がっていて切り分けることは不可能にも関わらずです。当たり前のことですがたった一つの実在するエネルギーの投影がコレ、現象界ですから分離できようがないのです。にも関わらず分離しているという前提で物事を理解していくから複雑怪奇な感情に襲われていくのです。

とはいえそれが悪いわけではない

分離するのは悪いことだ、、と言いたいのではありません。分離して見えるのですからそれは別にいいのです。本当は分離などしていない、本当はこの体も分離などしていない、、本当は観念が投影した世界に見えるだけ、、本当は、、、至福とは本当の世界です。分離に疲れたら本当に戻るほかありません。

自我は絶対に至福を見つけることができない

完全は不完全に気付けるが

完全は不完全に気づけます、完璧は不完璧に気づけます、完成は非完成に気づくことができます、、ですがその逆は成り立ちません。駆け出しの画家がピカソの絵の完璧さには気づけないように、、自我(幻想)が真我(完全)に気づくことはないのです。つまり自我による真我の探究は不可能なのです。幻想による真実の発見は不可能なのです。個人が努力して真実に至るのは不可能なのです、発見できません、構造上。

幻想は常に気づかれる

幻想、現象、夢が常に気づかれ続けるのは、、本当の自分は完璧、完全、完成だからです。この中で幻想、現象、夢が起こればそのまま気づかれることになります。ですが幻想、現象、夢が、、本当の自分(完璧、完全、完成)に気づくことはありません。気づきのベクトルは常に本当の自分から現象に向かって、夢に向かって起きるのです。ですから自我が常に気づかれるのは本当の自分から自我に向かってなのです。この反対は無いのです。

空から色に気づきが起きる

自我は色です、私は色です、自分も色です、、、これらは空の存在から現れ、、そして気づかれ続けるのです、だから自我は存在しているという思考も湧き続けます。その自我が空に気づく絶対に気づくのは不可能です。自我は幻想ゆえに幻想が実在に気づくことはできません。実在が不在、幻想に気づくのです。つまり我々は真実、空を発見できません絶対に。ですが我々が気づかれ続けるのは本質が実在だからだ、、という結論は本質の存在を露わにします。本質がこの世界の嘘に気づくが起きやすくなります。

AIに仕事を奪われる????

これは夢です

これは夢です、、AIに仕事を奪われるのではないか?????このように恐怖に慄いていますと、、本当にこの夢はそうなっていきます。AIが人類を駆逐する現象、夢が訪れるでしょう。なぜか????これは夢ですからあなたの観念が投影され、、あなたの観念通りの夢が完成していくのです。AIは人類を豊かにする、、そのような思考を強く強く信じればその思考が観念化され現象化され夢化されストーリーになります。

人間は全く働かなくていい???

そのように強く強く信じればそれが観念化されそれが現象化し、、夢化し、、その夢を「私」は生きることになるのです。じゃあ思いっきり楽観的な観念を持った方が得ですよね!!!!その通りです、、思いっ切り思いっきり気楽な観念を持てばそんな夢を生きることができます「私」は。ですがですがどんなに気楽な人生を夢の中で生きても、、、、違和感、孤独感、不満足感が消えることもありません。なぜならばなぜならば、、この「私」はまだ夢の中にいるからです。「私」という幻想こそが不足感の根源なのです。

これって夢じゃね????

多くの経験をこの夢の中でし尽くしていきますと、、、、なんとなくですが、、この現実って本当か????という疑問が湧いてきます。「私」のストーリーに忙殺されていたのが徐々に徐々に「私」を俯瞰する感覚を所有していくことになるのです。「私」の欲望にあまり振り回されなくなっていくのです、「私」の欲望に振り回されて「私」を信用できなくなっていくのです。「私」ってそんなに重要なのか???「私」って超面倒臭いよね!!!です。

悟り本に興味が湧く

「私」に振り回され「私」によって忙殺され「私」に裏切られ続けてきたことで「私」を信じることができなくなり、、、もうこの「私」を幸福にするという発想に徐々に疲れてきます、無理ゲーじゃね??です。そこで悟りに興味が湧くのです、、そういえば悟りって欲がなくなった状態だっけ???そういえば悟ると至福に至れるって聞いたような、、、それまでギャグでしかなかった悟りという言葉に興味がでます。この段階にまで行きますと、、悟り本が染み渡るようになる、、この体に、、そして自我が徐々に溶け出していきます。

恐竜は本当に地球に居たのか????

化石があるから地球に居たという証拠にはならない

これは夢です、完全な夢です、、、この完全な夢の中で、、、恐竜の化石が発見されました。恐竜は実際に地球に何万年前に居たのでしょうか????これは夢です、、夢では現象は変幻自在に動くのです、、つまり過去に恐竜が居たという証拠などあるわけがないのです。恐竜の遺跡は今夢の中で初めて登場したのです。ただそれだけ。

何万年前の可能性は、、今無限大に作れる

何万年前の可能性というのは今無限大に想像されます、、明日いきなり宇宙人の遺跡が発掘されるかもしれません、銀河系以外の生物の遺跡が、、、何でも起きえるのです。。今それが夢の中で登場するだけですから。移り変わるたった一つのエネルギーが存在するだけでそれ以外は何も存在しません、つまり今ないものはこの世界には今全くないのです。何十年前に恐竜が居たという予想は今できますがあなたの人生に生きた恐竜が登場しないのならば恐竜は実在しないのです、、もちろんそれも幻想ですが。

あなたが居ない現象界は存在しない

「私」がいる場所だけが現象が起きる場所です、、「私」が行く場所だけが夢として様々な現象が現象化されます、、全部この「私」この「私」ありきなのです、この夢は。「私」が居ない場所で友人の誕生会が開かれた、、残念!!!!開かれようがないのです、現象化できないから。幻想としてのこの「私」が行く場所だけが現象化されて夢が作られます。

私があんなことを言ってしまわなければ、、、

自分を責める

多くの人は、、、自分がやってしまったことを後悔しながら生きています。自己卑下、なぜあんなことをしてしまったのか????人を傷つけてしまった、、、です。残念ながらこれは自分自身に発言、行動を決める力があるという勘違いがあるからこそ生まれた発想です。実際には我々は、、ただ湧いてきた言葉を発言しただ湧いてきた動きを実践しているのです。あらゆる選択肢からその選択、発言をチョイスしているのではなく、、湧いてきた通りに発言し、行動しているだけなのです。

つまり自己責任という言葉はおかしい

自分には一切の選択肢がないにも関わらず自己責任って言葉が矛盾しています。そうです、人間は完全なる矛盾で生きているのです、だから苦しい。あの時あんな言葉を言わなければ、、、ところがあの時だけ、、主導権を握って、、というのは不可能なのです。今も主導権は握れてないし、これからも主導権は握れないのです。だから自分がやることの責任を自分で取るという言葉は破綻しているのです。

何もかも湧いているだけ

なぜあの時あんな素晴らしい決断が出来たんですか????それが勝手に湧いたからです。なぜあの時あのような間違った決断をしてしまったんですか????それは勝手にそれが湧いたからです。。。全部一緒、、功績も責任も勝手に湧いてきたことに勝手に反応が起きただけです。だから全く気にしなくていいのです、、個人は功績も責任も全部手に入れたいと発想しますが、、実は功績も責任も個人には存在しえないのです。その理由が何一つ個人は決断していないということです。