自由意志

何かを変えられる誰かが居ない

こうした方が良いですよ、、と伝えるべき誰かがいない

悟りのメッセージが難しいのは、、このメッセージを伝えるべき誰かが居ないというメッセージだからです。一般のメッセージは誰かに向かって送られますよね、、ですが悟りのメッセージに関しは伝える相手が居ないのです。なぜか???この世界には分離独立した存在が実は居ないというメッセージこそが悟りだからです。そうなることこのメッセージも伝えるべき相手は居ないとなるのです。

では悟りのメッセージは誰に届くのか???

このメッセージの届け先は気づきの意識です、、人の役をしている、人を演技している気づきの意識そのものに届きます。思考の奥底に居る気づきの意識、個人の奥底に居る気づきの意識にこのメッセージは届けられるのです。そして気づきの意識が個人が実は居ないという気づきに至った時が悟りです。個人もおらず、自由意志もない、、という気づきに至った時が悟りです。

「自由意志がない」がコンフォートゾーンになると

静寂そのもの

自由意志がない、、これがコンフォートゾーンになるとどうなるでしょうか???先ず焦るという感覚が消えていきます、、、なぜ焦るのか????それは自由意志をフル発揮して最大限の利益を得ようとしているからです、、、最大限の利益があるならば最大限の損失もあるわけでこの分かれ道こそが自由意志の良否であると人は思考します、、、すると焦るわけです、、、最大限の利益を獲れない場合は全部自由意志が陰転したことになるからです。

腹の探り合いをしなくなる

自由意志があるからこそ目の前の相手から騙されないようにしよう、少しでも得してやろうという発想が生まれます、、、勝負において、、、勝つか負けるかは全部判断によるもの、、、よって勝つためにはどうするべきか???思考が働きます、、、ですが自由意志がないが腹落ちしますと、、、その努力に気持ちが乗らない、、、頑張れない、、が起きます、、、

自由意志があると思うから焦るのだ

自由意志があると思うからこそ焦るのです、、、自由意志とは全責任がこの「自分」にあるという考えですから非常に焦ります。。。上手くいくかどうかは自由意志をいかに使うか、そして使う自分の力量による、、、という考えですからプレッシャーは相当なものです。。。社長や芸能人がピリピリしているイメージなのはこのためです、、、良くも悪くも全責任がこの「自分」に押し寄せてくるからです。ですが自由意志がなく自分も居ない、、がコンフォートゾーンになりますと、、、責任を取れる自分が居ない、、、になりプレッシャーを感じることができなくなります。

悟りに過剰反応するマインド

マインドは現状維持

マインドの目的は現状維持です、、この体を保持すること、、これが目的ですから、、、今食べれているならばもうこのままでいいのです、、苦しい、辛い、しんどい、、、状況であっても今食べれていれば、、それを維持するために動き続けます。とすると、、、悟りというメッセージ、、、自己が不在であるというメッセージは、、、現状とは全くことなるため、、、マインドの抵抗に合う可能性が高いのです。

全く書籍を読み進めれない

ということで悟り系の書籍が全く人気がない理由がよく分かります。マインドはこれに徹底抗戦します。自己が居ないなど、、、全くの想定外、、、困惑の局地です。ただそれでも読み進めていき、、、自己はいない、、、自由意志はない、、、というメッセージに触れ続けていきますと、、、まさかのマインドがその状態を現状と勘違いが始まります、、、するとマインドはその状態を現状維持しようとするわけです。コンフォートゾーンが自己不在になる。

自己不在というコンフォートゾーン

悟りとは自己不在をコンフォートゾーンにしてしまうことです。そのために無我集中する、瞑想する、メッセージで理解する、など様々あるわけです。自己不在をコンフォートソーンに、自由意志がないをコンフォートゾーンにできれば、、それは悟った状態が安定するということです。マインドはその状態を保持しようと動くようになるのです。

「自由意志がある」はサレンダーではない

本当の降参

降参とはもう参りました、、完全なる敗北を認めることです、、、完全なる敗北、、すると自由意志があるという認識は真逆、、、何かを自由に決めることができる自分が存在するならば、、、敗北では終わらない可能性があるのです、、、気持ちとしては完敗を認めましたけど、、、、いやいや明日になれば分からない、、、これは降参、、、サレンダーではありません。

悟りとは降参

自由意志も、自分も全く存在していなかった、、、これこそが個人の完全敗北、降参でしょう。。。これを認めてしまったらもう何もない、、、、勿論夢の中では、、、この個人は自由意志を発揮して、、、何かにチャレンジするでしょう、、夢の中では、、、、ですが視点を変えれば個人は何もしていないのです、自由に、夢ですから。

夢としてだったら自由意志をフル発揮していいのか???

勿論です、、、ですが夢であることが本当に腹落ちした状態で、、、、果たして自由意志をフル発揮してまで成し遂げたいことが本当に湧いてくるのでしょうか??朝起きて夜寝る瞬間まで多忙を極める、、を望むのでしょうか????恐らく起きないでしょう、、、それよりも夢から覚めた感覚を追い求めるのではないでしょうか。

「自由意志はない」は個人には絶望的

自由意志はない、、、これは個人にとって絶望

10代の若者に、、、自由意志はない、、、と伝えれば逆上するでしょう、、、これからの人生をどう生きようかと悩んでいる若者にこのメッセージは絶望的に映るはずです。。。ですがこれが30代、40代になると変わってきます、、、なぜか????自由意志を行使してきたけれど、、、もう疲れたよ、、、無いと言い切ってくれた方がありがたい、、、だって責任がまったくこの自分にないのだから、、、です。

あると思い込んでいる方が絶対にきつい

真実では自由意志はないのです、、、にもかかわらず有ると思い込む方が絶対に辛いのです。。。後悔後悔後悔、、、これをエンドレスに続けてしまう人もいるでしょう。。。大きな大失敗をし、、人に一生の怪我を、、、後悔、後悔、後悔です、、、、そんな時に「自由意志はない」のメッセージは、、無罪釈放宣言に匹敵します。

本当はないのだから、、、

神羅万象の動きしかない、、だから分離した個人の「自由意思」は幻想、、これが真実です。。。夢の中では自由意志はあるように感じることができる、、、ただ実際にはないのです。。。だから後悔もなければ期待もしなくていい、、、そんな無責任な人生でいいのか???いんです、、なぜならば責任の取りようがないからです。自分が居ないし、自由意志もないのですから、、夢以外では。

バシャールはいるのか???

ストーリー上

夢の中ではバシャールという宇宙人はもしかしたら登場するかもしれません、そしてもしも登場してもそれはただの夢というストーリーの中でのキャラです。宇宙人の存在は、、、世界各地で発見されたというニュースはよく出てきます、夢の中で。実際に夢の中で宇宙人が登場するかは分かりません。はっきり言えることはもしも目の前に宇宙人出現してもしれは神羅万象の夢バージョンの現れです、主体はありません。

見抜く

これは夢だ!!!!そう確信したうえでこの夢の中での出来事に一喜一憂するのは逆に難しい、、そうです、、、これは夢です。個別分離した存在があるように見える夢です、、神羅万象には分裂は絶対になく、、だからこそ100%夢なのです。神羅万象は、、、生命そのものです、、、、その生命そのものがあらゆる物、者に七変化しているように見える夢です。

じゃあ、、道端で老人が困っていても

そうです、夢の中での話です、、、本当は個別分離した老人は存在しません、、存在いているように見えるだけ、、、ですが助けるのも自由、助けないのも自由です、、、そしてその判断を行うのも神羅万象、神羅万象から判断が起こるかもしれません、、起きないかもしれない、、、そこに個人という分離した存在が自由意志を発揮するという真実はないのです、夢ですから。

生命の動きだけが真実

そういう動きがあった、、終わり

自由意志がないということは、、今日朝から計画を立てて、、渋谷に行き、買い物をして、、友人とお喋り、、この全部がただやらされてたということですか???そうです、、、やらされたというよりも、、そういう生命の動きがあった、、ということです。ただそれだけ、、、そこに意味はありません。神羅万象の動きに一切の無駄はなく、、神羅万象の動き以外の動きはこの世には存在しません。

じゃあ、、我々は操り人形なのか???

見かけ上はそうなります、、ただし操る人は存在しません、、、ただそのような動きがあったということだけです。神羅万象は神羅万象そのものであり、、その中で上下関係も優劣も、良否も善悪も全く存在しないのです、、、そう見えるという神羅万象の動きはありますが、、、実際には何もありません。

神羅万象はこの人間を作り出して何をしたいのですか???

人間という存在が神羅万象の中でただ起きました、、これを神羅万象が意図したわけではありません、、偶然の一致、奇跡です、、、神羅万象の動きは常に未知、未開、同じことは二度となく、変化しかありません、、その中での人間活動も常に未知、未開、です。

自由意志はないは虚無主義?

自由意志はない、、、

自由意志はない、、、これは虚無主義ではありません、、、完全なる受け身、完全なる神任せ、、、これは無気力に生きることではないんです。。。そうではなくやる気も積極性すらも全部全体、神羅万象から湧いていますよ、、ということです。。。なんかやる気が強烈に湧いてきちゃって、、、そうです、、、全体から湧いているのです。。。この事実に明晰になるのです。

どんどん明晰になっていく

全ては湧いているならばもう何も悩まずにボーとしていよう、、、まあなんでもいいのです、、、不思議なことに無駄な思考が減りますと、、、とんでもなく頭が明晰になっていきます、、、常に気づきの意識であるのですからこれは当然、、、明晰な頭脳であらゆることにチャレンジするようになります、、、本当にこれは神に使われている使徒のようです、、、そして起きた結果についても一切悩まない、、、なぜならばその行動、結果が起きただけだからです。

一番重要なことは、、、

自由意志がないことが腹落ちしていきますと、、とにかく思考が湧いてこなくなります、、、思考のラリーが起きないのです。。すると空白が空きます、、無意識の思考のおしゃべりが完全に止まります、、、するとそれらを観察する気づきの意識が現れます、、、ずっと隠れていた気づきの意識が現れるのです、、、これが目的です、、気づきの意識を引っ張り出すためにこの理論は重要なのです。思考の言動の全てを全体に委ねることで全体、気づきの意識が言動を観察するという状態になります。

自我同士の会話に興味がなくなる

赤の他人の会話に入れない

赤の他人同士が楽しくおしゃべりをしている、、、、自我同士の会話とは損得の会話がほとんど、、、そこへの興味が減っていきます、、、機能としての自分ではなく、、、主人公同士の会話、、、、これは苦しい、、、ですがここでも機能としての自分が何か役立てればそこで役目を果たし、、役目がなければ参加しなければいいのです。

機能としての自分で社会に参加する

この自分は実は居なく、、、機能としての自分しか存在していない、、、これが腹落ちしますと、、、機能として社会にどのように関わるかしか興味がなくなります。。。自分の損得で周囲と関わることはもはや不可能です、、なぜならば損得では幸福になれないことを完璧に理解しているからです。そこからの人生は機能としての自分がいかに社会に役に立てるかしか興味が湧かないでしょう、、先ず見える人間全てが同価値に見えますから、、特定の誰かのみを大切にしたいという執着がないのです。

ただしその行動も自由意志は働かない

とはいえこの自分には自由意志は完璧にありませんから神羅万象の動きにこの機能上の自分は身を委ねるしかありません。これしか選択肢が用意されていないのです。ただこの事実こそ多くの方は全く理解できないでしょう、、これは理解ではなく体感で感じていくものです。何かに集中し無我に入る、自由意志がないと思って生活してみるなど、、、です。。これが理解ではなく体感に切り替わった時、、安堵が湧いてきます、、平和が訪れます。

悟りとは全てが同価値であることの気づき

優先順位がないことの気づき

全ては神羅万象の現れ、この自分、相手も、世界の全てもが神羅万象の現れですから、、、そこに良否、善悪、優劣は絶対にないわけです、、あったらおかしい、、、、全ては同価値、、、、これが真実です。ですがその中で生きる我々は常に優先順位を考え、、、何を優先するかを考えていきています。。。これは間違っているのか???違います、、、、本来は完全なる同価値であることを把握し、、その上で、、、便宜上、機能上優先順位を付ければ苦しくないのです。。。

全ては同価値、、、

これは本当に幸福なことなのです、、全てに価値がるという気づきは幸福です、、、自分だけが価値があり、、それ以外には価値がない、、、これは苦しい、、、悟りとは全肯定、全価値平等、、そこが分かった上で、機能上、、何かを優先して生きていきます。。。本当は全てが同価値であることが分かっている、、、この認識の有無が幸福に大きく影響します。

空に触れる

空に触れる、気づきの意識そのものになる、、、この体感が神羅万象、全てが同価値であることに気づかせます。私は何かに集中する、無我に入ることでこの体感を得ていきました、、、そして人間の全ての行為が神羅万象から、気づきの意識からただ起こっている気づきを得ました、、、この自分という存在ですら神羅万象の動きの一つであるという気づきが起きました、、、これは体感で得ていきます。

自分を雑に扱うことではない

全ては同価値であるのは分かった、、、では自分よりを他人を優先して生きていってもいいんですよね????という疑問が生まれるはずですが、、、自分を大切にしなければ、、先ず生きていくことができません、ですからこれは他者優先主義ではありません。機能としての自身を大切にしていくことになるでしょう、、、とはいえ、、、神羅万象の動きから脱して自分が何かを自由意志で行うことはありませんから、、、そこに介在できる自分が居ないというのが答えです。