真実

何も守る必要がなかったという気づき

自分という縄張りを守り続けて何十年

一生懸命自分を守ってきた、育ててきた、進化させてきた、、、でも全く幸せになれない。。。一応幸せなはずなんだけど何か違う気がする、、、これが多くの人間が抱える悩みです。物心ついた時から自分というのを大切にしてきたがこの不安が無くならないのはなぜだ??この不安、不幸は勘違いの上に成り立っておりこの勘違いこそが不安の大元だったのです。事実ではないものを信じていたから不安だったのです。

自分を守ったことは一度もなかった

思考を巡らせ、行動も巡らせ「自分」を「自分」が守ってきたつもりですが事実は全て根元からの現れですから何一つ「自分」が生み出した言動はなかったのです。ただ根元からそのような言葉、思考、行動が生み出され続けてきました。そしてそれを自分がやっているという思考も根元から現れていたのです。これが事実です。ではこれからどうすればいいのか?これも今根元から湧いただけです。自分で悩むことなどしたこともないしこれからも出来ないのです。これが事実です。

自分を守るという行動が根元から現れていただけ

あなたはこれからこうやって生きていきましょう、これが自己啓発です。ですが悟りのメッセージは違います。事実は全て根元からの現れであり「あなた」も根元から生まれたアイデアに過ぎずそれゆえあなたがこれからどう生きようとそれも全て根源の現れに過ぎない、、ゆえに不幸になるのも幸福になるのも根源が握っている、、そこにはあなた(根元からの思考)など何も関与できない、、、これが真実(根源)のメッセージです。このメッセージは冷たいでしょうか、、

あらゆる生命現象に名前をつけてファンタジーにした

名前など何もない世界

この世の生命に名前など本来全くありません。草に名前を付けたのは人間で動物に名前をつけたのも人間です。人間は見える範囲の全てに名前をつけてさも独立した何かがあるかのうようにしました、事実では何もない、、ただ生命現象が移り変わるだけです、その中に居る人間にも名前などなく後付けで名前をつけその中に独立した何者かがいると勝手に想像しているだけです。この現象界に名前が最初から付いているものなど皆無です。

思考が紡ぐファンタジーの世界にようこそ

名前が一切ない全体、根源の現れに名前をつけて我々人間は進化していきました。生命現象に名前をつけてそれを記憶しそれを後進に伝えていったのです。そのようなことが起き続けていきました、その結果名前がつけられた独立した何かがこの世界には溢れまるで独立しあった存在同士の争い、共闘、和平、共存が繰り広げられているように見える世界が生まれたのです、人間の思考の中だけのファンタジーが誕生したのです。そもそも争うなど一切ない世界に名前を付けて独立した何者かが溢れたことによって争っているように見える世界が誕生したのです。

全ての生命現象から名前を取っ払えばあら不思議、、平和が鎮座する

試しに全ての生命現象から名前を取り除いてみてください、、、争いは無くなってしまいます。チーターがシマウマを襲ったという映像においてチーターが居なくなり、シマウマも居なくなれば何かが何かを取り込んでいるように見える映像に変わります、これが真実です。ここには争いが起きようがないのです。名前がない世界には争いが存在できないわけです。

勝手に名前を付けて恐ろしい世界になったと嘆く自分

体の中を観察すれば善玉菌が悪玉菌を殺す、悪玉菌が善玉菌を殺すなどの表現がありますが、、それもせ明現象に名前を付けただけんことであって変化が起きただけです、名前さえなければ争いは起きようがないのです。ただ変化が起きているのみ、、、これは人間社会も同じで名前がついたから争いと表現されますが名前がなければ変化がただ起こっているだけ、、、その変化に対し自分が居るという思考と感情という思考が湧き続けているだけです。全生命に名前を付けてファンタジーの世界にし自分も作って自分ストーリーを日々奏でているのです。自作自演にもほどがあります。

だから人は悟ると何もないと言う

覚者は全員こう言います、何も無かった、、、当たり前の話です。名前は人間が発明した技術であって名前が発明されるまではこの生命には何もなかったのです。そこには生命現象しかなくそして今もそうです。人間が発明した名前の技術が継承され続けているだけです。この世の苦しみとは名前を付けまくった人間が自分という存在(ファンタジー)を作り出しこの自分という檻の中に完全に閉じ込められてしまった錯覚を生きているからです。元々は何もなくそして今も何もないのです、独立した何者かが確実にあると信じ合う世界、独立した何かがあるという共有の中で生きる時のみ苦しみが湧いてきます。

姿形、性別、年齢、趣味嗜好を気にするのは、、

人間の容姿

人間の容姿を気にすることが悪いことではありません。ですがそこに関心が集中しているならばその人は完全に独立分離した存在であると自身を認識しています。人間をこの物質、思考、感情というモノと完全に同一化しています。だからこそそこに絶対的な価値を置くのです。自分自身がそこに絶対的な価値を置けば周囲との人間関係も同じ価値観の人間を求めます。こうしてそこに価値を置くことこそが正義になっていくのです。

人間の容姿に正義を置く

絶対的価値観の重要素に容姿を置けば、、その価値観が脳内のフィルターになるので、、、周囲を見渡せば容姿が良い人、普通の人、悪い人という分類で世界が見えてきます。その基準で人間を眺めるようになっていきます。これは良いとか悪いとかの話ではありません、そうなっていくということです。容姿が良い人には価値を起き、そうでない人には価値を置かないということが自動反応で起こります。どこを見てその人を判断しているか、、それがその人の価値観であり、本当にそのようにその人には見えています。これが事実です。

価値観の基準が変わっていく

人間の容姿に絶対的な価値を置いて生活していくことに徐々に飽きてきますと次は年収、安定に興味を持つようになります。その視点で人を判断するし、年収、安定を持っている人が本当に魅力的に映るようになっていきます、なぜならば人を見ているのは脳内だからです。スーパースターが格好良く見えるのはその人の脳内でそう写るからです。何度もお伝えするのは人間は誰も真実を見れていません、脳内で価値観に準じた世界をただ眺めています。だからこそ価値観が変わると今まで魅力的に写っていた人が全く魅力的に見えなくなったりします。全部脳が装飾しています。

カフェで聞こえてくる会話が作り話???

個別人間の世界

たった一つのエネルギーが爆発し、、ビッグバンを起こしこの世界を作り出しました。本当の宇宙は我々が見ている世界とは全く異なりたった一つのエネルギーがただ漂っている、、漂流している、渦巻いている、世界です。一個一個独立した存在が集結した世界では確実になく、それはたった一つのエネルギーが爆発を起こした世界が真実だからです。人間がこの世界を独自の視覚、脳で眺めますから人間独自の世界に変化して見えます。これが宇宙の真実、個別人間の世界です。

カフェに行くと聞こえてくる会話

そんな個別錯覚人間がカフェに行けば周囲からはあらゆる会話が聞こえてきます、そしてその「話し声」を聞けば独立した人格を持った分離した存在が思い思いの会話をしていると錯覚します。絶対的にそう見えるし聞こえます。ですがたった一つのエネルギーが爆発してこの世界を漂っているのになぜ完全分離司した人格、個性の人間がそこに居るのか??という話です。事実だけを伝えればそれは錯覚、幻想です。人間の脳がそう見せ、聞こえさせているのです。

幻想の世界、作り話が悪いわけではない

幻想の世界は悪い世界だ、神の悪趣味だ、幻想の世界に住む人間は正気の沙汰ではない、、そんなことを言いたいわけではありません。事実としてそれが幻想でありそこを事実として認めると、、、途端に深刻さが消えていきます。全ての会話が全く意味のない、、雑談に聞こえてきます。真剣なビジネスの話をしている周囲すらも面白く感じます。そして人間とは凄い進化、凄い錯覚の世界を築き上げるその脅威に感嘆します。

マインドは目の前のリアリティを隠すのに必死

目の前には常にリアリティがある

目の前には常にリアリティがあります。リアリティはどこか遠くにある桃源郷ではなく、、今ここに広がっています。ですがマインドはこの事実に気づかせないように必死です。今マインド越しに見ているこの世界はリアリティには見えません、なぜならばマインド越しのこの景色は自分にとって間違いなく曇っているからです。ですから私はこれを真の自分、真の世界、望んでいる世界だとは絶対に認めないのです。

そんな曇った世界を私は見て、、、

なんだこの現実は、、しょうもない、、、本当の私が望む現実はどこにあるのか????こうして思考ががっつりと湧いてきます、この思考こそがリアリティを曇らせる張本人です、自分はこの思考と完全に同一化し益々目の前の世界を曇らせていきます。これによって個人は目の前に広がる真実、リアリティに気づかなくなっていくのです。

もっと、もっと、、

私が望む世界はこんなもんじゃない、、もっと違う良い環境が、、もっと違う良いパートナーが、、もと違う良い仕事が、、、、このもっともっとは思考の特徴です。私の目の前に広がる環境を曇らせている張本人が思考です。ですが目の前の現実が曇っているのも事実だから「自分」はまた思考にしがみつき、思考に変化を期待するようになるのです。これが人間を夢遊病者に閉じ込めるメカニズムです。

人間とは夢遊病者のこと

人間は夢の中を必死に生きている

人間とは夢遊病者です。夢の中を生きています、そんなことはないはっきりと意識がある、、、その通りです、はっきりとした意識で夢を生きているです。夢を見ることを全力で行っているわけです。そしてその夢の中があまりにも居心地が悪いのでドラッグやお酒、タバコなどで脳を緩めこの夢から覚めることをしています。ですがこれもそれが切れればそれで終わり、そこからまた夢の中の住人に戻ります。

真面目な人も不真面目な人も夢の住人

真面目に見える人はこの夢の中で真面目に生活しています。不真面目に見える人は夢の中で不真面目に生きている、、ここに何も違いはありません。どちらも同じです。真実はこの夢の中にはなく、、この夢の中は居心地が悪いというだけです。真面目な人はなんとかしてこの居心地の悪さを解消しようともがいている人とも言えます。

夢遊病者を卒業する

ではどうしたら夢遊病を卒業することができるか??これが夢であると疑うことからスタートします、その視点で人間、自分というものを観察していきます。人間を自分という檻の中に閉じ込めているシステムを理解していきます。自分とは全体をこの体の中に閉じ込めこの体の外に居心地の悪さ解消を求める夢です。体の中に全体を閉じ込めておいて体の外に不快感解消を求めていく夢です。そこに真摯に向き合うことでこの夢が壊れてきます。

真理は信念ではない

信念の中に真実はない

真理は信念ではありません、信念こそが人間を人間たらしめている存在です。信念が今見える世界を構築します、そしてそこに人間は閉じ込められているのです。真理とはその信念による閉じ込め行為が嘘なのだということを露わにすることです。真理がこの信念のメカニズムを壊すのです。真理は信念ではないのです。過去の偉大な偉人たちが、、、生前に何かしらの信念を残していきますが、、、これはまだ真理に行き着いていない証拠なのです。

信念こそが我々をこの幻想の世界に閉じ込める

信念とは間違いなくその人の人生に基づいて打ち立てられます。その人が歩んできたことをベースに作り上げられていきます。これこそが実は見える世界、本質の世界の脳の解釈を構築します。脳がその信念をベースに本質のエネルギー、本質の世界を変化させるのです。本質のエネルギーはただそれだけです。それを信念が脳内で書き換えるのです、デフォルメします。

大きなことを成し遂げた人には信念がある

信念とはこの人間社会では大人が持つようなモノと称されます、ですが信念とはこの個人が確実に居てその個人が歩んできた人生が確実にあるという大誤解がベースになっているのです。ただしこの誤解が悪いということではありません、大誤解こそを真理がむしろやりたかったのですから。真理が大誤解のメカニズムを作り遊んでいるのが事実です。

苦しみの本質は真実ではないものを真実と思っていることから生まれる

苦しみとは回答結果

今苦しみがあるならば簡単、それは真実ではないことを信じている証拠です。苦しみとは真実が教えてくれる警報みたいなものです。真実ではないことを真剣に信じたり誤解することから生まれます。逆に言えば真実を理解できたら苦しみは湧いてこないのです。ではその真実は一体なんでしょうか、、真実とはこの個人という概念が概念に過ぎずそれが錯覚であることを見抜くことです。逆に言えばこの個人という存在を強く信じてれば信じるほどに苦しみは湧いてきます。自分を信じる、こんな綺麗な言葉が実は真実ではないのです。

世の中99.99999%の人は実はこの誤解を真剣に信じている

世の中のほとんどの人はこの誤解を完璧に信じています、ですから自分自身が今苦しいんだ、他の人は楽しそうだ。。。そういう孤独感に苛まれているなら安心してください、、、ほぼ全員が苦しんでいます。もしも今楽しいと思っている人がいればそれはその苦しみを上手く回避できているだけです。例えば夢中になれる対象や趣味、人が生まれた時などです。もしくは夢中になれる対象がたまたま続く時なのでしょう。ですがこれはラッキーでしかなく本質的な部分では常に不安を抱えています。なぜならば苦しみの根本原因を知らないからです。

苦しみから逃げるか、苦しみに向き合うか

苦しみから逃げ続けるのもよし、苦しみに立ち向かい苦しみを根本的に解消するのもよしです。私は昔から本質的に部分に入っていくのが好きなので常に戦ってきました、時には苦しみから完全に逃げてきた時期もありました。今は苦しみの本質に常に触れることを楽しんでいます。苦しみは湧いてくる場所、こここそが我々の本質です。本質は我々が誤解をしている期間はいつでも苦しみを湧き出してきます。

視点が変わるだけ

PCとしてアプリ操作するかアプリとしてアプリを操作するか

我々はPC内のアプリとしてアプリを操作しているつもりになっている存在です。アプリがいきなりPC内で自由意志を持ち勝手に動き回りあらゆる体験をする(つもり)存在です。ですが実際にはアプリはアプリ単独で動けるわけがなくPCの機能に依存しているのは間違いありません、なぜならばアプリはPCの中のプログラム言語に過ぎないからです。アプリを紐解けば全部が全部プログマム言語でできています。そしてそのアプリに「私が全動作を行っている」という勘違い機能が付加されただけです。それが自分という意思を持ったアプリであり我々「人間」の真の姿です。

アプリは言語をインストールしていく

アプリはPC内で様々な経験をしていくわけですがその度に価値観が変わり、か情報も増えていきます。アプリ内のプログラム言語が増えかつ書き換わっていきます。これによりアプリから眺める全体(PC)の姿は確実に変化していきます。なぜならばアプリが見る世界とはプログラム言語で解釈された世界だからです。アプリとはプログラム言語のことでありそれが書き換わっているにも関わらず見える世界が同じということは絶対にありません。

自我=言語

つまり自我とはプログラム言語です。我々が覚える単語は全てプログラム言語なのです。そして我々が見ている世界はその言語、プログラム言語で形成された価値観(プログラムの集合)で眺められ解釈されています。真実を見ているつもりになっていますが実は全部が全部プログラム言語の解釈が加わっています。ポケモンGOというアプリがあります、、道を歩く際に スマホ越しに見ると、、、道の中にモンスターが出現します。実際は普通の道ですがそこにモンスターが登場します。これを我々はデフォルトでやっているのです。

アプリ独自からPCからのアプリへ

当たり前の話ですがPC内のアプリがPCの機能を使わずにアプリ単独で動けるわけがなくPCのOSから全ての機能でアプリは作動します。アプリを動かしているのはPCです。人間は悟りを開くと自身が実はPCだったという気づきが起こります。なぜならばアプリを起動させているのは事実としてPCだからです、何も不思議なことではありません。自分自身が独立分離した存在だという思い込みが(プログラム言語)そうさせていたことに気づきます。

最終的にはPCの中でアプリが起動していただけという気づき

アプリを動かしているのは機能的にはPCです。それは事実です。アプリはプログラム言語でしかなく機能のほとんどをPCに依存しています。人間も全く同じで人間独自で生きていると思い込まされています、本当はあらゆる機能を全体に依存しているのです。ですがその事実を気づかないようにプログラム言語が働いています。そして本当のことを言えばPCが自主的にアプリを起動させているのではなく操作するのが人間であるように、、、この人間を動かしているのは全体ですが(機能的には)全体が意思を持ってこの人間を操作しているのではなくただその動きが全体を通じて起こっているだけです。人間ー全体ー(操作する人)がいるわけではなく、、、、人間ー全体ー空という感じです。空からビッグバンが起こり、、その起こりを通じて人間はその中で起動しています。全てはビッグバンのごとく空からの爆発で起こっています。

空からの爆発=ビッグバン

ビッグバンとは宇宙の起源、爆発です。どこからこの爆発が起きたのか??空、THE ONE、絶対、無ということになります。ここからの爆発によってこの宇宙、色の世界、現象界、全体が起こりました、、、その延長線上で生命が生まれ、植物が生まれ、動物が生まれ、人間が生まれ、、、と進化は続いていきます。そしてその延長線上で人間は言語、記憶能力を身に付け、、人間が居る世界すらも作り出したのです。ポケモンGOの世界(現象界に独自の視点を加える)、人間GOの世界です。

指を指たらしめているのは「思考」

思考がなくなれば腕全体と指の境目は消える

我々はこんな簡単なトリックに騙されてきたのか????これが覚者が悟った後に気づく感想です。こんな簡単なことなのになぜ気づかなかったのか???悔しい、、、、要はこういうことです。腕全体の中の指が独自に思考を操るようになり、、その思考によってこの指は腕全体とは何も関係がないという思考を持ちました。これは思考です、、、そしてその思考を通じてこの世界(腕全体)を眺めるとまさかの本当に指が腕全体から切り離されているように見えるのです。なぜならば我々が見ているこの世界は脳内で見ているからです。思考を信じ抜いた際には脳内ではそのように真実が変換されるのです。これが究極のトリック、人類が騙され続けてきたトリックです。そしてその騙した存在こそが思考と脳のセットです。この二つの存在によって我々は何万年間という歳月騙され続けたのです。

腕全体と指には境目はない!!

人間であればそんなことは全員が知っています、指と腕全体には境目はなく、、、人間が勝手に指という名称を使い出し指はこの世に誕生しました。ですが実際には腕と指には確固とした境目はなくこれはあくまで概念です。ですがそのように概念が作られ、さらに指から見える世界では指が完全独立して見えるならばそれはもう概念ではなく事実に置き換わるのです。脳というのは凄まじい機能を持っていて名前をつけた対象は脳の中で完全独立して見えるという事実があります。この事実こそが人間を全体から完全分離した存在であると錯覚を起こすことに成功しました。

脳のトリックを見破れ!!

人間は実はこの全体から全く分離独立していません、にも関わらず脳にかかってしまえば完全分離した存在に見せてくれます。脳のトリック、脳の幻想上映です。だからこそ人間はどこまで行っても腹が空く、満足ができず、違和感が拭えず、居心地の悪さが解消されないのです。これが人間という存在のカルマ、宿命、苦しみです。ですがこの事実に気付けたならばもう大丈夫、徐々に徐々に自身が全体であったことを思い出せばいいのです。