自由意志

死んだらどうなる??

死ぬ自分が存在しない

死んでしまったらこの「私」はどうなってしまうのか???これは永遠のテーマ、みんなが不安に思っていることです。ですがこの議題の前に大きな誤解があります、それはこの「私」は存在しないのです。。。。そもそも存在しないのだから死んだ後どうなるか???という疑問は成立しないのです。「私」という存在が実在するという思いは100%存在します、ですが「私」は実在しません。例えばこの「私」とは自由意志を所有しあらゆる行動を決めている「私」のことですよね???残念ながら自由意志はないのです。全て自動反応で起きているだけです。

そもそも存在しないのに

実際のところ、、この「私」を体内から出して発見した人は皆無です、体内から抽出して写真に収めたという事実は存在しないのです。これこそが「私」が実在しない100パーセントの証拠です。ですから死んだ後もこの「私」は存在しないというのが事実なのです、真実です。だから死んだ後のことは何にも心配しなくていい、肉体の死が起きればそれはただそれだけです。

だからこそ嫌われる

「私が居ない」なんてメッセージは「私」を救いません、、「私」が居ない世界など想像などしたことないしいつもこの体と一緒に頑張ってきた唯一無二の存在を否定などできるわけがない、、、これが事実です。ですからこれらのメッセージは嫌われるわけです、徹底的に。ですが本質はこのことを分かっていますからだからこそ拒絶反応が起きるわけです。どうでもいいメッセージならば拒絶反応は起きない、、反応が起きるということはそれが真実だからです。

AMAZON以外に、、

日本の出版界においてAMAZONが進出できたのは外資だったからです、アメリカ企業だったから進出できました。これが日本の企業であったならば恐らく潰されていたでしょう、既得権益に。なぜ既得権益から拒絶反応が起きるのか???それは分かっているからです、AMAZONのような会社が進出してきたら出版界が激変してしまうことが、、、これこそが悟りのメッセージです、、、悟りのメッセージが徹底的に嫌われるのはそのメッセージの内容が自我にとって壊滅的なメッセージでありそして真実だからこそ拒絶反応が起きるのです。

戦争は果たして終わるのか?

戦争も幻想

今世界では戦争が深刻化しています、ですが悟りの観点から見れば戦争も幻想です、幻想として100%起こっているのです。この戦争を止めることはできるのか???答えはNOです、人間には戦争を止める自由意志は存在しません、自由意志がないのですから戦争を止めようという動きを作り出すことは意図してはできないのです。ですが自由意志がないということは全自動的に戦争が止まる可能性は常にあります。

多くの人が思うようには世界は動いていない

この世界は多くの人が想像するようには動いていないのです、多くの方が一致団結して戦争反対運動を起こせば、、戦争は止まるのでは???しかしながら意図してそのような行動を起こせるようには人間はできていないのです。全自動システムで機能しているからです。全自動システムで世界中が戦争反対運動を起こす可能性はあります、ですが意図してではなく自動システムとしてです。

全く新しい認識

この世界は100%幻想であり、100%自由意志も存在しません、、そして自由意志を所有するとされる自我も存在しない、、、この共通認識に立った時に全く新しい世界が広がります。騙し絵の新しい絵が浮かび上がってきます、老女だと思っていたら若い女性だった、、という騙し絵のように全く異なる世界は見えるのです。その世界こそが戦争のない平和な世界かもしれません。

日本経済危機

毎日ニュースで騒がしいが、、

この世界は幻想です、この世界は幻想以外にはありえません。ですから日本経済の危機も幻想として確実にあるのです。今後日本は少子化で厳しくなる、消費税アップで住みにくくなる、後期高齢化問題で労働者が減ってしまう、、それらは幻想としては事実です。ですがこれらは100%幻想ですから変えることは可能です。ですがこれを我々に自由意志で変えることはできません、なぜならば自由意志は100%存在しないからです。

みんなの力で経済を盛り上げる

若い力で日本経済を盛り上げよう、、日本を再び再生を!どのような綺麗なスローガンもそれを成し遂げるには自由意志が必要になります、ですがこの肝心の自由意志が存在しえないのです。存在しないのですから意図的に日本経済を再生させるのは不可能なのです。ではどうしたらいいのか????この経済は幻想であり、自由意志も存在しない、ゆえに自由意志を扱う自我も実はなかった、、、これを悟るほかありません。この時はリラックスが起こります、重さが取れます、、するとこの幻想に緩みが生まれる可能性がでるのです。

この世界が幻想で、自由意志もないのならば、、

この世界が幻想で自由意志もない、自由意志を扱える自我も存在しない、、、あれ???この世界って何にもないではないか??幻想以外何にもないではないか????という気づきが起きます、、力が抜けます、、なんとかしてこの世界を変えようと思っても、、その思いも勝手に湧いたものです、、、。個人はどこまでいってもこの幻想に対し無力なのです。完全敗北、完全降参、完全無関与です、、ですがその諦めこそが究極のリラックスを起こすのです。何にも頑張んなくていいし、何にも必死にならなくていい、なぜならば所詮はこれは幻想であり、自由意志もないのだから。この境地こそが日本経済を変える可能性があります。

環境問題

この世は幻想

環境問題に関して、、この世界は幻想です、今目の前に広がる世界は幻想以外ありえないのです、、そうなりますと環境問題という物理次元の問題も幻想ということになります。幻想として100%環境問題は存在しているのです。ですからこの世界の人々にとってはこの問題は深刻なのです、ですが幻想ですからこの問題を消し去ることもできるのです。

ただし消し去る自由意志は存在しない

幻想であることを100%理解したとして、、この環境問題をこの世界から消し去るには自由意志が必要になります。ところがその自由意志は存在しません、自由意志はこの世界には存在しえないのです。ですから意図して環境問題を消し去ることは不可能なのです。この世界が幻想であること、この世界には自由意志はない、故にこれを扱う自我も存在しないという真実を深く理解できた時にリラックスが生まれこの幻想が緩む可能性はあります。

この世が幻想である根拠

この世界が幻想ではなく確固たる物理次元として実在すると仮定してみましょう、ではこの物理次元はどこに存在しえるのでしょうか?この物理世界があるのならば存在するための場所、器1が必要になります。そしてその器1が確実に存在するならばその器が存在するための場所(器2)が必要になります。そしてその器2が存在するためにはその器2が存在するための場所(器3)が必要になります。これがエンドレスに続くのです、、つまり理論として破綻しているのです。この世界は幻想であるしか存在しえない理由はここにあります。

頑張らないと生きていけない?

資本主義のルール

頑張らなくては、、努力しなくては、、生きていけない、、多くの方はそう信じて頑張ることに違和感を感じていません。平均以上は頑張らなくては平均以上の生活ができない、、そう信じています。ですがこの宇宙はそのようには出来ていません。先ずこの宇宙は幻想です、この現実世界は幻想です、、ここは重要です。幻想ですから変幻自在に変化します、この幻想の中では我々が何を信じるかが大きく影響するのです。この幻想、現実世界では努力しなければ生きていけない、、そう信じればこの幻想の世界はそのような現象化をするのです。

自由意志が無いのにどうやって頑張るの?

そもそも自由意志がないにも関わらず個人は自分を頑張らせることは不可能です。あの人は全く頑張らない、あの人は意志が薄弱である、、そう断定するでしょうが、、残念ながら自由意志はあの人には存在しないのです。この世界は頑張らないと生きていけない、、そういう価値観を深いところで信じれば、、頑張る!!という感情が湧いてくるかもしれません、、あなたはその価値観に沿ってただ頑張っているのかもしれません。

「自由意志がない」を前提に世の中を眺めてみる

自由意志はない、、その前提で世の中を眺めてみると、、不思議な感情が湧いてきます、、、売れっ子芸人も売れていない芸人も、、、優劣が付けれない、、お金持ちも貧乏人にも優劣が付けれない、、人気者も不人気者にも優劣がつけれない、、、インフルエンサーにも非インフルエンサーにも優劣がつけれない、、となっていきます。そうすると頑張らなきゃ!!が消えていきます、恐れが減っていきます、切迫感が消えていくのです。これが本当の軽さです。

優劣が消える

どちらが優れているかは自由意志があってこそ

人は無意識に人と人との間に優劣をつけます、あの人は私よりも上だ、あの人は私よりも優れている、、勝手な物差しで人を天秤にかけ優劣をつけていきます。この優劣が生まれるのは、、人には自由意志があり自分が起こす行動には自分が責任を取るという大前提があります。ですが実際には自由意思はありませんから人に優劣をつけることはできないのです。すると自我は困ります、優劣をつけてくれないと頑張れないではないか、、と。優劣がつくから一生懸命努力してきたのに優劣がつかないならば頑張ってもしょうがないと。

それでいい

そうです、優劣をつけるために頑張るのは無駄なのです。そしてそのことを実は本質レベルでは誰でも分かっています。だからこそこのカラクリから目覚めるのが怖いのです、自我は。優劣の世界において自由意思で頑張る必要がある、そのためには自由意志を扱う自我の存在が決めてになると、その流れです。しかしながら真実では自由意志は存在しません、この世界には。だから競争による優劣を感じるのは無駄なのです。

いつも比較している

人間は常に比較して生きています、表には出さなくても間違いなく人間は常に比較して生きているのです。だから人は努力し頑張る、、ですが自由意思も間違いなく存在せず、それを操る自我も存在しない、、そのことは本質では分かっている、、だから疲れるのです。つまりもう競争の勝ち負けで、比較の勝ち負けで優劣を感じなくていいのです。優劣のために頑張る競争から抜けてしまっていいのです。自由意志が存在しない以上、勝った自由意志は存在せず負けた自由意志も存在しないのです。世界は常に自動反応でただ思考、言動が起こっているだけです。

お金の心配

できればお金の心配をしたくない

人間なら誰しもお金の心配など一切しないで生きていきたいものです、、老後の問題、年金の未払い、老後の住居などなど、、、今からどれだけ準備すべきか、、などなど、、、考えればきりがないほどに、、、多くの悩みが集まってきます。ですがこれも全く同じ、これに対してしっかりと対処するか、しっかりと準備をするか、、その一切をコントロールする自由意志は人間には存在しないのです。

あの人はしっかりと準備している

そんなことはない、、友人のあの人は20代から保険年金にも入って毎年100万円以上貯めている、、そのな意見もあるでしょう、、、違います。その人は自由意志ではなく勝手にそのような行動をやらされているのです。自由意志ではなく強制的にそのような行動をさせられているのです。ですからもしもその人が老後裕福な生活ができたとしてもその人の実力ではありません、たまたまです。だからその人を褒める必要はなしい、羨む必要もないし、妬む必要もないのです。

完全に手放すと、、

そうかそうか、、じゃあもう老後の心配など一切せず、、全てを天に任せればいいのか、、そうです、、それがサレンダー、究極の諦めです。すると不思議、勝手に富が集まってくる、勝手に老後の心配が消えていく、、自身の心情を反映するかのように現実が緩んでくるのです。準備をしなくては、準備は大切、準備は大人のマナー、、そのように自分にプレッシャーをかけるのではなく全てを天に委ねるのです。自分が老後に向けて準備を始めるかもしれないし、しないかもしれない、、全部は全自動、、という究極の楽天思考が自分を救います。そしてこれは考え方、価値観ではなく真実です。

過去を後悔する無駄

自由意思がないのならば

自由意志がないのならば過去を後悔するといことが一切できなくなります。あの時こうしておけば、、、年齢を重ねると多くの人はこのことを常に思います、、あの時もう少し頑張っておけば、あの時にこうしておけば、あの時にもう少し優しくできたら、、、、ですがそれは絶対に絶対にできないのです、、、自由意志がないのですから。

もしかしたら

もしかしたら将来お店で万引きをして捕まる、もしかしたら将来痴漢をして捕まる、、、一瞬の気の過ち、、、そして深く深く後悔するでしょう、、、これも全くの無駄です、、、誰にもその行動を止める力はないのです、、誰にもその行動を抑える力はないのです、、、全自動ですから、、、もう少し慎重に考えていれば、、、それも不可能なのです。ですから将来に多くの期待をするのは辞めた方がいい、、自分を信用しないことです。そしてもっと重要なことは人を信用しないことです。

将来を憂う無駄

人生とは最初から最後まで全自動システム、それをコントロールする力は誰も持っていない、、、このことが分かってしまったらもう簡単、、ただただ見守るだけです。。ただただ自分の人生がどう流れるかを見定めていくだけです。風に流され、川に流され、、最終ゴールが全く見えない流れに従う以外に何も答えはありません。そして全員がそうであるならば完全フェアゲーム、、人を羨み、人をそねむ、人を僻む、、一切の無駄です。これは悲観主義ではありません、究極の楽観主義ゲームです。

人に期待をして不幸になる

その人の反応は全自動

親は子供に期待をして全財産、全労力を子供に費やしたりします、ところが実際には子供はその労力の全てを裏切るような行動に出たりするわけです。そして親は子供を嘆く、なんて気持ちのわからない馬鹿息子なんだ、馬鹿娘なんだ、薄情な子だ、、、と。ですが実際にはその馬鹿息子、馬鹿娘には一切の自由意志が許されていませんから子供がどのような行動を取るかは全くの未知なのです。その事実、真実を知らないからこそ、、全てを誰かに期待する人生を人は歩むのです。

信用していた人に裏切られる

手塩にかけて育て上げた社員が会社を裏切って独立してしまった、よく聞く話です。ですがここでも大きなポイントを忘れています。手塩にかけた社員には自由意志がないのです、ですからその社員は好きで独立したのではなく勝手に独立に至ったのです。そんなことはない、結果的には最初から独立するつもりだったらしい、、、たとえそうであったとしても、、その思い、思考、思惑すらも勝手に湧き上がったのです。その社員の意図とは関係なく。

人間の争いの全て

人間の争いの多くは裏切り、妬み、嫉み、誹謗中傷、、などがほとんどです。多くが感情のもつれです、、、こんなはずじゃなかった、、あんなはずじゃなかった、、などなど。ですが、、、人間の行動、感情、、この全ては全自動で起き上がっていますから誰にもこれをコントロールする力がないのです。あると思うからどうしたら悩みが無くなるか、どう生きたらいいか、などの解決方法を探す旅にでるのです。ところが一点の真実、人間には自由意志はない、、という点のみを認めてしまえば、、悩みはなくなります。

苦しみの本質に迫る

条件が全て

こういう家に住んで、こんな収入で、こんなパートナーが居て、こんな仲間に囲まれて、、我々は無意識にそのような条件を幸福に求めます。私レベルであれば最低限こんな環境に身を置くべきだ、、、この思い込みを叶えるために人は生涯を注ぐわけです。そしてこれらとは全く異なる環境、理想とは程遠い会社、家、パートナー、仲間に囲まれてしまえば私は絶対に不幸になるはず、、、それを恐れて生き続けるのです。ですが実際にはそのような理想とは程遠い環境に身を置いた時に初めて気づくのです、いやそれほど悪いものではないなと。これが人間の苦しみの本質です、勝手に思い込みそれを恐れて必死に踠いているだけなのです。

理想を手に入れても

どんなに理想的な生活を手に入れても人が苦しみから逃れなれないのは手に入れた個人が存在しないからです、手に入れるまでの全功績を享受するはずの個人が実は存在しないのです。自由意志に基づいて確固たる結果を出したはずの個人、自分、自我が実は存在しないのです。そのことをどこかで分かっているから常に不安に苛まれるわけです。そして理想とは程遠い環境に身を置いた時にも、、、実は全ての責任は責任を取るはずの自分が実在しないことを本質では分かっています。だから軽いのです、だからそこまで苦しくないのです。理想を追いかけている時は存在しない自我が出しゃばるばるわけですが失敗した時にはその自我が存在を隠します、それで楽なわけです。

理想を追いかける時、、

理想を追いかける時「自我」は大仕事を担います、自由意志を行使して理想に向かって直走れるわけです。本当は自由意志はないにも関わらず起こる自動反応を「自由意思」と捉え続け走る続けていきます。だから自我には理想が必要であり恐るべき環境も必要なのです。ところが突然の災難に襲われ全てを失った時に実はそこまで苦しくないという事実を突きつけられ自我の策略が暴かれるという事故が起きるのです。大借金、倒産、闘病、、、などなどです。

自我に踊らされてきただけ

我々は実は自我に踊らされ、、、、理想を追いかけ、恐れから逃げていただけなのです。この自我主導での奔走逃避行動こそが苦しみの原因であったわけです。ではこれからはどう生きればいいのか??先ずは自由意志がないことを認めることです、自由意思がないということはそれを行使する自我も存在しません、、、そこが理解できますと嫉妬そねみが湧いてこなくなります、、、有名人の大豪邸を見ても、、、たまたま、、、、ホームレスを見ても、、たまたま、、、その事実が分かってしまうのです。なぜならば自由意志がないからです、この世には。