欲望

対象

欲望には対象が必要です。車という対象が存在するから車が欲しいという欲望が生まれます。お金という対象があるから欲望が生まれます。異性という対象があるから欲望が生まれます。全ての欲望には対象があるのです。対象こそが欲望を支えます。欲望は対象に依存しています。その対象を手に入れた時、さらに手に入れたいという欲望が起こります。これが無限地獄です。対象は束の間の快楽を与えてくれます。だから、、、さらに手に入れたい、、、もっと手に入れた暁には、、真の幸福が手に入るのだ、、という勘違いをも生むのです。

その対象が

ところがです、、、その対象は心が生み出した産物なのです。心の重い部分(ラジャス、タマス)が物事、物質として現れたのです。つまり集めた対象は、、心の重い部分です。心が心を集めているのです。心が対象を生み出し、、その対象を心が追うのです。自作自演とはこのことです。この自作自演に真の幸福はあるのでしょうか???ありません。真の幸福(真我)は心を超えた場所にあるのですから。

心よりも軽い場所

心こそが対象を生み出しその対象を心が追いかけるというラットレースでは真の幸福は手に入りません。地位と名誉という対象も心が生み出すのです。それを心が追いかけます。そして手に入れても手に入れても満たされないことから、、諦めに変わっていくのです。真の幸福は心が生み出した何かではなく、、、永遠不滅の至福です。それは永遠不滅ですから「手に入れる何か」では絶対にダメなのでです。永遠不滅ということは今までも確実に「ここ」になくてはならないものです。

欲望の全て

欲望の全ては結局のところ、何が生み出しているのか????それはズバリ「私」です。私こそが欲望の創造主です。私は存在しないけれど欲望は半端ない、、これは起こり得ないのです。その証拠に眠りの中では欲望は起こりません。「私」も対象も存在しないのですから。つまり目覚め、私が立ち現れるから欲望も生まれます。その事実を明確にします。そして欲望を生み出すこの「私」はどこから生まれたのか???ここに注目するのです。この「私」は何なんだ????という疑問です。

「私」

私とは絶対不滅の真我から現れでた幻影です。この私が現れでたことで心が動き、真我を同一視し、、体を同一視し、、心を同一視します。この私という存在が矛盾だらけなため、、、この世界も矛盾だらけになるのです。そして「私」は真の幸福を追い求めて世界の中を彷徨うのです。真の幸福、平和、愛とは紛れもなく真我そのものであり、、それは確実に在ることは分かっています。だからこそ自我はそれを追い求める旅に出るのです。ですが自我こそが苦しみを生み出す張本人ですから自我が消えなくてはそれには至れないという悲しい存在なのです。