自我と真我の同一化

全てに気づく自我????

まず最初に真我だけがあります。ですからこの幻想世界の気づきは「真我」によって起こります。真我以外に気づきは起こるわけがありません。その上で自我という閃光が真我から湧き上がります。その瞬間、自我が真我の「気づき」と同一化します。そして思考が現れ、、、体が現れ、、その体と自我は同一化します。これがこの世界の成り立ちです。真我の気づきは自我の中に取り込まれ、、真我自体は忘れられた状態です。世界は現れてはいますが、、真我自体が忘れられています。世界という実在だけが存在するといういう勘違いの思考が残るのです。この勘違いの思考、心が世界を映し出し、、それ前提の世界が維持されるのです。

真我はどこに行った????

結論から言えば真我は微動だにせずに在ります。ですが真我が完全に忘れられた状態で自我が体と同一化、心と同一化し、、それ前提の世界を映し出すのです。その世界をこの世と言います。ニルバーナ、、天国とは、、この世とは全く異なった場所に天国が存在するのではなく、、、、この世しか存在しないという思い込みを打破することで真我とその影である世界があるのだという自覚の問題なのです。

真実

真実ではこの世と呼ばれるような実在は存在しません。全て自我の心が映し出す世界に過ぎません。真我は発見された時、、、自我の前提条件が壊れます。自我は実は何も気付いていなかったというオチです。気づきは唯一の実在「真我」のものであり、、その真我は絶対にこの影の世界には存在しないのです。こうして真我の気づきを失った自我は、、、この体を自我と同一化しようとも、、意味をなしません。真我は絶対であり普遍であり永遠です。その真我の気づきが真我に戻された時、、、我々は真我として在ることが可能になるのです。

そして

そしてこの世界にはかつての自我が存在せず、、ただ客体だけが残るのです。真の主体は真我であり、、自我はもはや主体の機能を無くしています。天の王国の誕生です。この世の影響を常に受け続けてきた「私」から、、、何が起こっても全く影響を受けることができない私「真我」へのシフトチェンジです。世界は「私」の影に過ぎず、、影はいかようにも変化しようとも、、影は影です。