関心

消えていく

この現実が自我が作り出した自作自演ストーリーであることに気づいた時、、、何が起こるか????世界に対する関心が消えていきます。あなたが夢見から目覚めた瞬間、夢の中の登場人物への関心は一瞬で消えます。「あいつ、、このやろう!!!」が一瞬で消えます。ではこの現実と呼ばれる自我の自作自演ストーリーがそう気づかれた時、、どうなるか????全く同じように関心が消えるのです。外的環境への関心が激変します。いいえ、、、外的環境だと思っていた世界が自我の中に含まれている、、つまり内的環境に過ぎなかったという大どんでん返しが起こるのです。

この大宇宙

この大宇宙、無限に広がる大宇宙が自我の中に含まれているという大どんでん返しはとんでもない革命です。何というたのでしょう。。。。ちっぽけで全く頼りにならないこの体の自我、、、じゃなくて自我の中に大宇宙が存在していたのです。これは大変です、、。。。ということでこの事実に気づきますと小さいことに拘れなくなります。政界の状況、経済状況、友人関係、結婚、離婚、仕事、世間体????となります。自我が存在しなくては出現できないこの世界になぜ関心が起こるのか???という話です。

ヴィチャーラ

ジニャーナ・ヨーガでは外的環境への関心から内的環境への関心へのシフトをヴィチャーラと呼びます。世界を作り出したのは自我という思考であり、、では自我を作り出したのは何か???という疑問に移るのです。夢見を作り出したのは自我でありではその自我は何から発生したのか?????です。夢見と目覚めの真の創造主は誰なのか???となります。そしてなぜこのような夢見、目覚めの状態は存在するのか???という新しい関心が起こるのです。これがヴィチャーラです。

真我

これだけの大宇宙をあなたの自我(心)が生み出してしまうということは間違いなく「自我=心」は多様性に富んでいます。ではこの心を生み出す真我はどうか???間違いなく無限の存在でしょう。。これが分かってきます。そしてその心=自我は真我の反映でり、、故に真我はとんでもない存在なのです。この世界の多様性、緻密さ、奥深さこそが、、真我そのものの価値を証明しているわけです。「今月の家賃が、健康保険が、ローンが、、学資保険が、、」という悩みの前に、、、関心がガッツリ外的環境にあることを自覚できます。その外的環境(世界)への関心が薄くなった時、、、そこへの犠牲も消えてしまうのです。

そこに悩む

そこに悩むためには、、、そこへの関心が必要になります。孫のことで悩むには孫への関心が必要になります。お金のことで悩むにはお金への関心が必要です。名誉について悩むにはそこへの関心が必要になります。関心がないことで悩むのは不可能です。つまり、、、、世界への関心の希薄は、、世界のことで悩むことを不可能にするのです。全ての関心が外的環境(世界)でなく真我に移った時、、世界のことで悩むことができなくなるのです。では真我のことで悩むのでは???いいえ、、真我は絶対的な存在であり移り変わりもすせず、、愛そのものであるからそこで悩むことはできません。