無限が有限になることで無限に憧れる

我々の本質は無限

我々の本質は無限です、この無限が有限のこの体になり切ることでこの有限人生がスタートします。本来は無限ですから有限体験は苦痛でしかありません。何をやっても制限に邪魔をされます、体の制限がまさにそれで全てにおいて限界が用意されています、身長、体重、筋力、思考力、忍耐力、努力、睡眠、体力、、、全部が全部有限、制限に支配られる、、、これが体有限人生です。時間と空間にも制限を受けます。ですが本質は無限ですからどこまでいってもこの体有限人生は錯覚、夢、ゲームであることは間違いありません。無限のエネルギーがなぜ有限になれるかという話です。どこまでいっても無限は無限です、有限に見せることはできますが実際には無限です。有限体験、制限体験はできますが無限は無限です、どこまでも。

この体は有限に見えますが無限でできている

今このブログを書いているこの私は体に支配されていまして、この体は全部が全部有限、制限を受ける存在です。ですがこの制限を所有するこの体は無限のエネルギーで形成されています。ですから本質は無限です。ゆえにこの体は無限に憧れます、本質は無限ですから当然です。無限が制限有限を経験しているだけですから常に自己矛盾を抱える存在なのです。無限はどこまでいっても有限にはなれないのです、有限体験しかできません。よってこの有限の体は常に無限に憧れながら有限体験をし続けていきます。無限の有限による葛藤体験が続きます。

葛藤が閾値を超える

無限であるエネルギーがこの体を作り出しこの体を同一視することでこの有限風体験は作り出されていきますが、本質は無限ゆえにこの有限風体験は居心地が悪いのです。この有限風体体験は脳に記憶されていき思考と感情に雁字搦めになっていきます。有限風体体験が積み重なっていき居心地の悪さがより増していくことになるのです。居心地の悪さが極限まで行ったこの有限風体体験は次にこの居心地の悪さの解消に本格的に乗り出すことになります。するとどこかで気づくことに、この有限の体は無限でできていると、、じゃあこの有限の体は無限ではないか?となるのです。ということでこの有限風体体験は実はハッタリ、ジョーク、虚像だったという気づきに至るわけです。

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