どげんかせんとばい

分かってない

どげんかせんとばい、なんとかしなくては、、、、、、はい、、、分かっていない発言です。全ては森羅万象の動きでありその中に個人の動きというのはありません。個人の動きがあるように見えるのはそう「見える」だけです。動きには分離がなく、、、境目もありません。つまり腕時計の盤のように全てが緻密に連携しあっているだけです。針の動きは独自に見えるけれど、、見えるだけです。「どげんとせんとばい」という発言すらその動きの一つです。

次元が変わると

森羅万象の動きを俯瞰できるということは、、森羅万象の動きに対して疑問が起こらないということ、なんとかしなくてはという意識の動きが起こらないということです。意識がフォーカスする場所に、、動きが起こりますから、、その動きが必然的に消えます。森羅万象の動きに無関心になることで、、森羅万象の動きもまた変わるのです。意識は森羅万象の動きではなく、、、森羅万象の動きを俯瞰する「気づき」に向かいます。

自身

森羅万象の動きに関心が向いていた意識が、、、森羅万象の動きではなくこれを観察する「気づき」に意識が向かいます。この「気づき」は真我と呼ばれる存在、真の自分自身です。つまり意識が真の自分自身に向かうのです。真の自分自身である「真我」は愛と平和そのものであり、、「愛と平和」そのものとして「在る」状態になります。最初からそうであったわけですが、、森羅万象の動きに関心が向いている時、、そこには苦しみも幻想として起こっていました。今はその苦しみが起こりません。

問題

問題というのは森羅万象の動きが森羅万象内の「私」にとって都合が良いか悪いか、、という思考のことです。その動きが「私」にとって都合が悪い時、「問題」と呼ばれます。その動きが私にとって都合が良い時「幸運」と呼ばれます。ですが真実では森羅万象の中に「私」という実態は存在しません。森羅万象は森羅万象でしかないのですから。。。ですから私とは森羅万象の動きでしかなく、、、幻想に過ぎません。この次元の全てが幻想と見抜かれた時、、、次元を超えた真の私が再誕生します。