神の顕現が違う顕現になってどうする?

もう既にあなたは神の顕現

もしも今の自分自身が大嫌い、こんな自分など終わりにしたいと考えていても、それは神の顕現です。神の顕現にも関わらずこんな自分が嫌いと思っています。そしてその思考も神の顕現です。自分が新しい目標を持って違う自分になりたいと心から思うとして、、今の自分もそして違う自分も全て神のエネルギーです。形や姿は違えど構成物質は完璧に同じ神の顕現です。だからと言って目標を持つなと言いたいわけではありません、今も神の顕現で、なりたい自分も神の顕現であるという事実をお伝えしているだけです。

違う自分になるのも神の遊び

目標を持つことが悪いことではありません、それはそれで重要なことです。ですが目標を掲げる今の自分もなりたい将来の自分も構成物質は神であるというこの事実を理解する必要があります。今の自分も神、なりたい自分も神ならばそこに優劣は一切ないのです。ただ形を変えた神が存在するだけです。自分の不足感を解消してもそれが解決には至らないのは今既に神であるにも関わらず不足感を埋めてもやはり神なのです。神が不足感というやはり感情を感じている、その感情すらも神のエネルギーです。

神は不足感体験ゲームをしている

神が自我を作り出したのは不足感を体験するためです。ですから自我を維持した状態で違う自分を目指しても不足感を無くなることは絶対にありません。この自分も神の顕現ですから完璧です、ただしこの自分という自我のエネルギーは不足感を湧き出す仕組みを作り出すエネルギー(神)なのです。不足感すらも神のエネルギーです。神は自ら不足感を味わいたくて自我を作り出したのです。ですから人間(神)は常に違う人間(神)になろうとしますがそれで不足感(神)がなくなることはないからです。

この仕組みが理解できてくると、、、

この自我のメカニズムが理解できてきますと自分(神)は違う自分(神)になろうとするんではなく神そのものに帰還することに興味が湧いてきます。ゲームの途中でどうやらこれはクリアー(至福)はないなと分かってきますと急にやる気がなくなるのと同じです。自分ゲームには至福はないのです、なぜならば自分そのものが神であるにも関わらず不足感が湧いているというこの仕組みこそを解決しなけければ至福には至れないのは当然です。

(Visited 3 times, 1 visits today)