若者は苦しみから逃げ続ける傾向にある

若さはパワーでありゆえに苦しみから逃げる

この人間ゲームは苦しみのゲームです、自身は人間であるというこの体との同一化は苦しみを生み出します。なぜならば全知全能の全体が、無知無能のこの体に成り切るからです。自分でいること、この体でいること、この人間目線で人生を「意識」していきますと苦しみ、不足感、退屈感がただひたすらに湧いてきます。若者はこの退屈感を感じることですぐに逃げます、友人、恋愛、お酒、ギャンブル、ファッション、SNS、YOUTUBE、、世の中には若者を誘惑する遊びに満ちているのです。それゆえ若者はこの不足感、退屈感に向き合うのではなく逃げることでこれを見ないようにするのです。

途中で逃げきれなくなる

元気な若者ほどこの退屈感から逃げることができます、徹夜で飲み明かし、異性に明け暮れ、TVゲームに没頭し、SNSに嵌まり込む、、、次から次へと対象を変え続けてこの不足感、退屈感から逃げ続けるのです。ですがやがて働かなくてはならなくなり逃げるどころから苦悩と向き合わざるを得なくなるのです。逃げるどころか職場に閉じ込められるようになります。これは若者にとって地獄の苦しみではありますが同時にこの不足感、退屈感との対峙、真剣勝負が始まるのです。

人間の苦しみはどこから来るのか?

実は若者は退屈感、不足感から逃げ惑う生活に疲れていたのです。働くという逃げ場のない環境に閉じこめられて実はホットしているのです。これで不足感、苦悩、退屈感との真剣勝負を余儀なくされるからです。何もしないと襲ってくるこの居心地の悪さはどこからくるのか?若者は逃げ惑う生活の中で実は一瞬のヒントを得ています、ゲームで優勝した瞬間、ギャンブルに勝った瞬間、恋愛が成就した瞬間、、、この一瞬は全体、神が自我を突き破って誕生します。それが歓喜、安堵、平和です。逃げ惑いながらもヒントを得続け、そして働くことで真剣勝負が始まります。

夢中になれる仕事は楽しい

働いていく中で、どうやら夢中になれる仕事が楽しいことを理解していきます。雑念に襲われず夢中になれる、没頭できる仕事は楽しい。これは学生時代に退屈から逃げていた時期からも理解しています。没頭できるゲーム、没頭できる仕事は疲れません。人間が没頭している瞬間は自分を忘れ一瞬神になっているのです。神の片鱗をみています。どうやら自分のことを忘れている瞬間が疲れず、充実感があり、至福を感じれることを理解できてきます。そこからさらにこの苦悩、退屈、至福、歓喜のメカニズムに迫れるか?これは人間卒業まで試練は続きます。

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