真我を発見できない
犬や猫は、、、、「自分は実は無限の存在だったんだ」という気づきを得ることは不可能です。絶対に不可能です。ですが人間だけが「自らはこの体だ」という勘違いを起こし、、いや違った、、、自らはこの「無限の気づき」だった、、、という気づきを起こすことが可能です。勘違いできる人間だけが「無限の気づき」を得るのです。メッシの偉大さを知るには「俺もサッカー上手いぜ」という勘違いを起こす必要があるのです。つまり人間は真我を発見するための道具として幻想の世界に生まれたのです。幻想として。
最初から真我
この体が幻想としてこの幻想の世界に生まれ出ようとも、、、真我が真我でなくなることは不可能です。ですから「私は在る」という幻想の中で勘違いが生まれ、、勘違いが消え、、真我の発見という幻想が起こります。全て幻想です。真我とは無限であり気づきだ、、、、という経験すらも、、、この「私は在る」の中で起こります。そしてその「無限としての自覚」「気づきとしての自覚」こそが、、、真我の中には最初から含まれていなくてはならないのです。
だから
だから時間を超えた存在、真我の中には最初から「その自覚」は既に含まれています。その自覚はこの鏡に映った世界の中にも登場しなくてはならないのです。時空間という幻想の世界では、、今ここでそれが起こります。ですがその自覚は最初から真我の中に含まれています。時空間の幻想ゲームの中でその自覚はある日起こり、、、真我の存在に気づくのです。