「私は在る」は不変

変わらない

注意深く今から観察してみてください。「私は在る」という感覚、この感覚に変化はありますか???この感覚自体に変化は存在するでしょうか???どうですか????ありませんよね。。つまり「私は在る」という感覚は不変なのです。では「私は在る」という感覚の中に現れでるあらゆる景色、思考、感情、音、味に変化はありますか????100%ありますね。映像は毎秒ごとに確実に変わっていきます。では、、、、、「私は在る」=動き、、、で在るならば、、、、、、どちらかは偽物ということになります。不変=「私は在る」=動き、、、、は成り立たない。。。。だから不変=「私は在る」=動きの幻想、、、、となります。

「世界=幻想」であることが不変

「私は在る」という感覚は不変、世界は幻想で在ることが不変、、、、よって「私は在る」=世界=「幻想であることが不変」、、、、となります。だから私は居ないんです、幻想以外では。あなたも居ないんです、、幻想以外では。。。。「私は在る」=幻想の世界、、、、だけが存在します。そしてさらに突っ込めば、、、「私は在る」は熟睡と共に消えます。熟睡中は「私は在る」も消える。。。故に「私は在る」は何かに依存しています。何かが無ければ消え失せてしまいます。何か????それが「私は在る」=幻想の世界、に気づく存在「真我」です。

真我が不在の時

真我が不在の時はありません。真我の中に「私は在る」=幻想の世界、が立ち現れ、、真我の中にそれは消えます。そしてまた真我の中に「私は在る」=幻想の世界、が立ち現れるのです。なぜ????なぜ立ち現れるのでしょうか????それが真我=無限、、、であり無限の中には「無限である自覚」も含まれていなくてはならず、、、その自覚を作り出すには真我の鏡が必要であったということです。真我の鏡に映った姿を見て「お!!!無限だ!!!」という自覚が起こるのです。それがこの「私は在る」の中で起こります。この自我の存在も全く問題ないのは「本当は俺って無限だったんだ」という気づきのためにあるからです。