禅の教え
道でブッダに会ったら殺せという過激な言葉が禅にはあるようです。これ簡単なことです。そのブッダも意識の表れに過ぎません。全ては意識ですからブッダも老子も何もかもが意識が生み出したのです。ここは意識の遊び場です。意識が生み出せないものは何もありません。ですから何が現れようとも突き詰めれば全て意識です。そして我々はそれに気づく気づきです。
会話
では友人との会話はどうなっているのですか??意識が友人になって友人という知覚を生み出し私という知覚を生み出し会話という行為が起こるのです。この全てを意識が行います。意識という原材料がこの全てを担うのです。今あなたは意識を持ってこのブログを読んでいます。その全てをその「意識」がやっているのです。そしてそのことに気づく気づきが真我と呼ばれるものです。
これは学問ではない
そのことに気づいたら今この見える視界を見ている際にも「意識」が完全に存在していることに気づきますか??意識なしに何も起こり得ないという事実に気づきますか???意識のない場所で何も起こることができないことにあなたは気づきますか??そうです。あなたこそが意識が生み出したのです。私こそを意識が生み出したのです。意識なしに私は現れることが不可能です。意識なしに彼は現れることは不可能です。意識なしに彼女は現れることは不可能です。実験してみてください。本当に意識が全てを作り出していることにあなたは気づくはずです。
超能力
世の中にはお金を稼ぐ才能、異性にモテる才能、営業する才能、、、あらゆる才能と呼ばれるものがあります。ですがあなたの意識がこの経験の全てを生み出していると分かってしまった時、、、あなたの才能はとんでもないことに気づくでしょう。孫正義もあなたの意識なしにはあなたの前に現れることができないのです、イーロンマスクもあなたの意識のないところでは現れることが不可能です。TV画面では観れる???いやいやそのTVこそがあなたの意識なしには絶対にここに現れることができません。画面を見ているその瞬間「意識」が不在であることはないのです。
意識は何でそんなことをやっているの??
ではなぜ今この意識はこんな映画を我々に見せるのですか???この映画の目的は何でしょうか???気になりますよね。では教えましょう。この映画は我々が無限の存在であることを気づかせるためにあるのです。意識がこの無限の経験を生み出し続けています。そして登場人物全てにはそれぞれの映画があります。この無限の動き、動きの創造主は意識であり、、我々こそがその意識です。つまり我々は実はこの無限に存在する映画の創造主であることを気づくためにこの映画はあるのです。なぜならばその自覚もこの無限の経験には含まれていなくてはならないからです。