一生懸命考えました
昨日は一生懸命「あの悩み」について考えました。本当にスッキリしました。楽になりました。とはなりません。そのことについて考えて、、楽にはならないのです。無理です。不可能です。なぜ??なぜでしょうか???考えてもなぜ楽にはならないのですか???一生懸命、真剣に考えて起こる出来事が「苦しい」です。
その悩みは何か??
では結論を言いましょう。「その悩みは何か???」ここに行かなくては解決しません。この「悩み」はなぜ悩みなのか???ここに行く必要があります。「悩み」という出来事を上空彼方からハッキリと俯瞰した時、その悩みは悩みではなくなります。悩むことが不可能になります。「悩み」と同じ次元に居てはそれは解決しません。
誰が
誰が上空彼方に行かなくてはならないのですか???誰でしょうか。「私」ですね。「私」が悩みとは全く違う次元に行かなくては悩みは消えないのです。全ての現象は「心」が生み出しています。「心」が生み出した現象を、心が生み出した「私」は解決できません。「記憶」が生み出した現象を「記憶」が生み出した「私」は解決できません。「思考」が生み出した現象を「思考」が生み出した「私」は解決できないのです。つまり今回この悩みを解決するのは思考が生み出した「私」ではなく「意識」の方です。意識である「私」が悩みを俯瞰するのです。
つまり
つまり出来事である悩みの真犯人は「心」「記憶」「思考」です。これが真犯人です。真犯人とは全く違う「誰か」を悩みの主犯格と想像して苦しんでいたのです。容疑者を完全に勘違いしています。容疑者Aは完全な白です。容疑者A は実は「心」「記憶」「思考」が作り出した幻想です。ここに気づきます。では「心」「記憶」「思考」が犯人だとしたら捕まえることができないじゃないか!!!となります。違います。その「心」「記憶」「思考」は森羅万象の動きで自然に湧いているのです。雨の動きと同じです。雨が悪くも良くもありません。全く同じです。
要するに
つまりつまりその悩みは森羅万象の動きの中で自動で生み出されていたのです。雨が生み出す豪雨のように一時の形態に過ぎないのです。このメカニズムに真の意味で気づきますと、、、解放されます。容疑者であったAを責めたいという気持ちが消えます。容疑者Aを責めたいという気持ちを持てなくなります。恨みたくてももう恨めなくなるのです。
意識
意識がこの悩みを生み出すメカニズムを俯瞰する位置に移動した時、その悩みの被害に遭うことが出来なくなるのです。大人が小学生の内輪喧嘩に参加できないように、それに気づいた意識はその悩みの出来事に参加することができないのです。「記憶」「心」「思考」は意識が生み出しています。意識が「記憶」「心」「思考」に変容して出来事を生み出した。私はその意識です。記憶が生み出した「私」は意識が変容した「私」であってそれは「真の私=意識」の一部に過ぎないのです。ですから「真の私=意識」は出来事に巻き込まれることはできません。