次第に
映画を見始めます。徐々に徐々に主人公になり切って映画を見ている状態に入ります。一方そうなれない映画もあります。一方は主人公になり切って映画を一瞬で見てしまい、一方は全く映画に夢中になれない。これ何が違うのでしょうか???一方は映画という映像の主役に意識がチューニングされ、一方はそのチューニングが起こらないのです。主人公という映像に意識のチューニングが合致した時主人公の固定観念に準じた感情が起こるのです。
この夢
我々はこの現実という夢の中に出てくるこの体に意識がチューニングされこの体を「私」という感覚に導きこの夢を見ています。そしてこの私という固定観念に意識が合致し感情を味わいます。映画と何も変わりません。ですが本当はこの体から勝手に自動で思考が起こっていると気づくと意識がこの体へのチューニングを辞め意識は意識のままに戻ります。意識が体から脱皮した状態です。
意識がチューニングを辞めても
意識がこの体へのチューニングを辞めたとて、腹が空けばこの体は食事を食べますし、尿意が起こればトイレにいきます。思考も勝手にガンガン起こります。その時感じるのです。なんだこの体に意識を向けていなくても全ては自動で起こるのだと。そこから自由になります。森羅万象を動かすエネルギーがこの体でも起こっているというのが分かります。この思考もこの感情の動きも森羅万象の動きだったのです。雪の結晶のように完璧な動きがこれまで起こっていました。
苦しいのも完璧
勘違いの動きも完璧なのです。勘違いの固定観念すら完璧だったと気づきます。全ての雪の結晶が完璧な形態をとるように思考も完璧なのです。意識が個の視点にチューニングされた時苦しみが起こり意識が個の視点から脱皮された時苦しみが消えます。