釈迦に説法

とは????

釈迦に説法という言葉があります。この言葉、分かり切っている人間に無駄な説明は意味がないということですが釈迦は何を分かりきったのでしょうか?釈迦は全てを分かりきったのです。全てです。ですが釈迦はIT系の知識はないですね???AI のことも数学も知りません。日本語も知りません。なのになぜ釈迦は分かり切ったんでしょうか???なぜ釈迦は分かりきったと断言できるのですか???

概念

科学者が知っているのは概念です。ノーベル賞受賞者も概念を組み合わせて全く新しい概念を積み上げていくのです。釈迦は悟り全てが概念に過ぎないと悟ったのです。何がここで起ころうとも、それを知覚するということは概念です。起こったことは概念なのです。雲が動きたという知覚は概念です。釈迦は目の前で起こる全てが概念に過ぎない、今後あらゆる科学が進化しようともその知覚は概念なのです。

7感

この世界は五感、プラス感情プラス思考感覚の7感覚です。これ以外が存在しません。世界があってその中でこの7感覚が起こると人間は思考します。ですがそれは想像です。それこそが思考感覚です。世界の中に私が存在するという思考感覚が起こったのです。世界も私も存在など全くしません。そういう思考感覚が起こったのです。このことを見かけ上の釈迦は悟ったのです。釈迦とは夢の登場人物であり釈迦も実は存在しません。それも7感覚が生み出す感覚に過ぎないからです。

つまり

誰も存在しません。誰かが存在するという知覚は第7感です。第7感覚が起こったのです。誰も存在しません。、誰かが存在するという思考感覚が起こるのです。釈迦が存在したという知覚が起こります。釈迦は存在しません。それも思考感覚です。この世界も存在しません、それも思考感覚です。私も存在しません。それも思考感覚です。第7感覚です。

それを釈迦が悟ったのか???

釈迦はまさかの自分が存在すらしないことを悟ったのです。これ文章としては成立しません。自分が居ないことを悟ったならば誰が悟ったのか???という話です。つまりこの世界には誰も何も存在しないという事実の気づきが気づきによって起こったのです。もう一度説明します。我々が存在しないことに気づくためには何かが存在していなければなりません。その何かとは「人物」ではないのです。「気づき」という存在がその事実に気づいたのです。

究極の回答

悟りがなぜ究極なのか???それは本当の自分の存在を知ってしまたらそこから疑問はもう起こらなくなります。本当の自分が分かってしまったらまさかのこの世界も誰も彼も存在しないことに気づきます。今までの世界が消えてなくなります。そしてそこにはこの体もこの私も含まれるのです。

そこを目指す

究極の存在は最初は概念です。究極の存在が存在することを先ずは概念で学びます。ですがまだそれは概念に過ぎません。究極の存在は概念では全くないのです。究極の存在は概念を生み出すものです。そしてその概念に気づく存在です。ですが究極の存在が存在することを知るだけでも一変します。それ以外に対する関心が消えます。

感じる、でもない

究極の存在は究極の存在を感じることはできません。究極の存在が感じることができるのは究極の存在以外の存在です。つまり究極の存在は探しても絶対に見つかりません。絶対に見つけることができない存在こそが究極の存在なのです。ではどうしたら自らが究極の存在であることに目覚めることが出来るのか?それは感じる全て(7感覚)が全て究極の存在ではないことに気づくのです。そして究極の存在以外は存在しないのですからそこから気づくのです。