夢の仕様

違う

さてこの現実と夢って何が違うのでしょうか?この現実では五感はバリバリあります。夢の中でも五感はバリバリあります。ただ夢の中の五感は現実よりも荒い出現です。この現実の五感の方が緻密な気がします。ですがそれぞれ五感は存在します。思考は全く同じように現れます。感情も全く同じ。空間時間に関してはかなり違いますがそれぞれ存在します。時間の進みが状況によって異なる点は同じです。空間を狭い広いと捉える感覚も状況によって異なる点も同じです。

結論

結論から入ります。この現実と夢は仕様が違う夢です。この現実と呼ばれる夢で消化できなかった思考、感情を違う夢で解消します。この現実と呼ばれる夢で叶えれなかったこと、悔しかったこと、後悔していることを夜の夢で叶えるのです。だから夜の夢はこの現実と呼ばれる夢の二番煎じっぽくなるのです。つまり夢のある状況とない状況がある、、これだけです。完全二択です。

では

この現実と呼ばれる夢、それの解消の夢、、この二種類の夢はなぜ起こるのでしょうか???なぜこの夢は必要なのですか???この夢は真我の鏡に映った姿なのです。神、真我、なんでもいいのですが絶対的存在の前に鏡が現れその鏡に映った映像がこの夢です。ではなぜこの映像は様変わりするし、この私も現れるのか???この無限のドラマ、映画、人間劇場自体が、、神の現れなのです。真我の鏡に映った表現がこの人間劇場です。

人間劇場

真我の鏡に映った姿がここに今まさに現れています。それが現れると太陽、テーブル、PC、私、この体、、という経験が起こります。この経験も真我から現れます。この現れは全て真我の鏡内での現れです。映像に対してあらゆる思考感情が現れますがこれも全て真我の現れです。影です。鏡に映った現れです。この思考、感情も含めて「鏡に映った現れ」なのです。つまり我々が経験してきた全ては「真我の鏡に映った現れ」です。

なぜ???

ではなぜこの意味不明な勘違いの思考が「真我の鏡に映った現れ」として現れる必要があるのか??という疑問が今現れました。これは超超超簡単です。この現れは無限の姿でないといけないからです。思考感情何もかもが無限の姿形でないといけないのです。なぜならば真我自体が無限だからです。嬉しい、悲しい、、しか現れがないとしたらその現れは無限ではなく有限です。ならば真我は「有限」の存在となります。