真我
私たちの記憶とは自我の記憶です。自我とは記憶が支えます。ところが真我だという記憶がありません。私は真我だという記憶ではなく自我としての記憶しかありません。その時記憶が行動を決めます。自我という存在を継続させる行動が起こるのです。ですが真実に基づき自分が真我だと分かればもう記憶をベースにした思考、行動が起こらなくなります。なぜならばこの仕組みが破綻するからです。
自分
自分とは記憶のことであり「自分は会社員だ」「自分は山田太郎だ」「自分は男だ」は全て記憶が生み出します。この記憶が変わります。自分とは真我なのですから。自分とは真我であることが気づかれた時、自分が支えてきた思考行動が変わるのは当然です。あれ???何者かになってやろうという衝動がない、、あれ???自分が真我だとしたらこの私は何???となります。
真我だとしたら
真我が私だとしたらこの時間も空間も私から生まれたのです。この自分もあなたも彼も彼女も全て真我という自分から生まれたのです。この事実に向き合った時何かが変わります。真我でありこの体である私が生まれます。私の過去は変わってしまうのです。私とはこれまでの私ではありません。私とは真我でありこの体でありそれを私と思い込む私のことです。この革命的な変化は次の思考、行動を確実に変えます。