思考は全体そのもの
この世界には分離は何も存在しません、よって思考も全体から分離した「何か」では絶対に絶対にないのです。思考は全体の一部として現れ出るのです。ですがその思考が認識された時思考の中には「分離した何か」というイメージが起こります。その時初めて分離ではなく(あり得ないから)分離感が起こるのです。この分離感も当然全体から分離した「何か」ではなく全体の現れです。
静寂
思考は分離した何かではなく思考の中身のみ「分離した何か」が現れることに気づくと、、、思考を積極的に起こそうとする動きが止まります。思考の中身のみが苦しみを生み出すこを完全理解してなぜ思考を起こそうと思うのでしょうか。徐々に徐々に思考が収まってきますと、、「静寂」が訪れます。この「静寂」の心地よさを一旦でも知ると、、もうそれ以外への興味が湧かなくなります。真の幸福はこの「静寂」のことなのだという気づきが起こるのです。
見かけ上の私
見かけ上の私は高校生ぐらいで既にそのことを分かっていました。だから友人と連むよりも「静寂」の時間を作りたいという欲求を持っていました。年柄年中友人同士で連む彼らがそこに真の繋がりを築いていないことに気づいていました。思考の連打により繋がりはただの生存戦略に過ぎないのです。真の静寂の心地よさを一度でも知ると、、もう思考による生存戦略に興味が失せていきます。