最後はまた「私」が持っていく

周囲からの評価

この世界では無我に入って事に当たれるようになりますと周囲から評価されるようになります。毎日毎日無我に入りバイオリンに打ち込めば、、、評価を受けれる域にどこかで達成するでしょう。ですがその評価は「私」が達成したことではなく「私」の不在時に達成したことです。ところが「私」はその達成を横取りします。不在時の達成を「私」は横取りするのです。周囲は「私」を便宜上評価することから「私」はこの評価を享受していいと判断し、、「恐縮です」になるのです。

周囲の化けの皮が剥がれる

無我時の達成を評価する周囲とは一体何なのか?????実はこの達成を評価する周囲とは画像です、イリュージョンです、マジックです、幻影です。画像の中の動く画像です、、、この画像からこの体という画像に向かって「あなた」は凄い、、、、というありもしない(一時的存在)人格に対して、、評するという動きが起こったのです。「そうか、この達成はこの私がやったんだ!!!」という勘違いが起こると「素晴らしい私」がカムバックするのです。

真実を見抜く

真実を見抜いていきますと、、、言葉でのやりとりは真実ではないことが分かります。言葉でのやりとりが真実ならば、、そこから「苦しい」が生まれることはないのです。真実ではない言葉が飛びかい、それを信じるという動きが起こりますと「私ストーリー」が強化され「苦しい」がまた起こるのです。周囲が評する「私」は便宜上のアイデアであり評価する周囲も画像でしかありません。

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